「#人」というのは案外珍しいかと思いますが、ブログはみんな人が書いているモノなので、全部に付けても良い気がします。
前置きは以上で早速また「獄中記」に入るのですが、このヘビーな経験については今回で締めたいと思います。
最後はローヤで8日間を共にした囚人仲間について語るべきかと思い、6畳の空間に4人入れられてずっと共に過ごした経験は、かつて無い特別な「人」との交わりに成りました。
まずは相部屋になった3人をザっと紹介しますと、一人は23才のドレットヘアの青年で大麻所持、残りの二人は中国人で不法滞在(ビザ切れ)と傷害容疑で捕まっていました。
23才の青年(バックス)は典型的な埼玉ヤンチャボーイ(私は埼玉の留置所に入れられた)で、社会に対して明らかな反抗意識を持っており、留置所には彼の様な若者が多く居りました。 しかしバックスは優秀な大工でもあり、親方から見込まれて一軒家の現場監督を任されており、行く行くは独立して年収2000万を目指すと語る気合の入った若者でした。
彼は大麻で捕まったコトを一切やましく思っておらず、むしろそれを誇りにすら感じている節もあり、崇拝するレゲエアーティストのブジュ・バントン(ボブ・マーリーの師とされる)を熱く紹介してくれました。
次にビザ切れで捕まった憧(ドン)さんについて話しますと、彼は私と同い年くらいで、日本には8年居たと言ってました。
彼は大連出身の労働者で、日本ではとにかく稼いで送金していたそうです。 最近では中国も賃金が上がりましたが、それでも労働者が得られるのはせいぜい月に3万円程で、日本では頑張ってその10倍稼いでたそうです。
ドンさんはあまり日本語が上手く話せませんでしたが、とても明るい性格で中国に妻と娘も居り、捕まって強制送還になるのも渡航費が浮くと喜んでおりました。
しかしもう一人の中国人、徐(シュー、50代)さんは捕まったコトに対して強い怒りと心配を抱えていました。
彼は在日15年になる元留学生で、結婚はしてませんでしたが日本の居住権を持ち、法律関係の仕事(中国人向け)をしているインテリでした。 捕まったのは世話をしていた元残留孤児の日本人とキャバクラに行き、そこでその日本人が酔って暴れてしまい、シューさんは止めようとしたのに巻き添えでタイホされてしまったそうです。
彼は日本語が堪能でずっと日本に住み続けたいと考えており、今回の件で日本の居住権が剥奪されるのではないかと気を揉んでいました。
シューさんは中国の中でも開明的なハルピン(ロシア人が建てた街)の出身で、日本で自由世界のリテラシーを学び中国共産党(ドン)の洗脳から抜け出せた希有な人物でした。 彼とはとても話が合い、長春包囲戦(国共内戦)で市民の殆どが犠牲者になったコトや、その後の資本家達への残酷な仕打ち、大躍進政策の破滅的な失敗、そして悪夢の様な文化大革命時代の密告社会についても詳しく語ってくれました。
そうした過去の過ちを嘘で塗り固めるドンの姿勢にシューさんは怒りを隠さず、絶対に中国には強制送還されたくないと語っておりました。
シューさんには中国語も良く教えて貰い、いつか私が「動物福祉牧場」を築いたら、是非とも遊びに来たいと言ってくれました。
こうした特別な場所での人との出会いは、私の心を自由にしてくれたと感じております。