信仰も例によって3つに分けて語ろうと思い、1つ目は大きく「神と命の捉え方」とし、2つ目に信仰の個人的な実践方法、3つ目に信仰の社会的な役割について語ります。
中国では党が「神と命」を一手に握っているので、討論会でも党の代表は神に対して高踏的な意見を述べ、それはあたかも自分たちの党が神の意志を体現しているかの様でした。
一方で、愛新覚羅仁の信仰はチベット仏教に基づき、それは清朝の頃から王は法王に仕えて平和を保つコトが仕事で、王には敬虔な信仰心が求められたからでした。
仁は多神教の仏教を信じていますが、一神教の創造主を崇めるキリスト教にも親近感を持ち、イスラム教も基本的には平和の教えなので、世界の三大宗教はいつか和合して1つに成れると考えます。
多神教では色んな女神や男神、動物や植物の神まで奉られますが、仁は新しい覚(おぼえ)を愛する羅漢なので、近未来に飛躍的に知見が高まるとされる「共生微生物学」にも神を見い出します。
仁は己の体内に共生する微生物群を、常に善玉優勢へと導く菌活を実践します。
それは「光合成細菌、酵母、乳酸菌」の三位一体を自らの手で作り出すレベルで、それを大量に培養して農業や環境浄化に用い、更には抗生物質カクテルを共生微生物群から作って医療にも貢献します。
この善玉環境を生む三位一体の微生物群は、仁にとってほぼ「神」に近く、「神は細部に宿る」という西洋の格言は微生物を抜きにしては語れないと考えます。
全ての高等生物の命は、この共生微生物群の上に成り立っていると言え、それを知るコトで仁は神に近付けたと感じます。
しかし、己の体内の共生微生物群の働きを完全に理解するコトは不可能であり、神は命を途方もなく複雑な関係性の上に創造したので、それを知れば知るほど神への畏敬の念は高まりました。
...今日のところはこの位にして、明日また信仰告白の続きを書きます。