これまで私が「草」で捕まったにも関わらず、こうして自由を謳歌しているワケを説明して来ました。
しかしまだ説明責任を完全に果たしたとは思えず、よりディーセントな釈明が必要かと感じます。
ディーセンシーは日本では「慎み深さ」と約されるコトが多いのですが、欧米ではより積極的に真理を探究する姿勢が強調され、「本物さ」と言った意味で捉えられています。
伝統社会ではこのディーセンシーこそが男に求められる最大の徳とされ、文芸の世界も伝統を重んじるので「本物さ」の追求は私にとって大きなテーマです。
現代に於ける文芸で最も影響力を持つのは映画かと思うので、ここでは「草」をフィーチャーした名作として「イージーライダー」と「冬のカモメ」を引き合いに語ってみます。
この二作は共にジャック-ニコルソン主演で、彼の映画は「カッコーの巣の上で」を前に紹介しましたが、その独特な自由な感じは「草」を象徴している様に思えます。
「イージーライダー」はヒッピー-コミュニティを渡り歩く物語で、彼等はまるで仏教の出家集団のような暮らしをしています。 違うのは性がフリーで子供もたくさん居るコトで、みんなで食べて行くのに農業を営みますが上手く行かずカツカツの暮らしをしています。
しかしそうした貧しさの中でこそ若者たちのディーセンシーは光って観え、そこでは他国と戦争して儲けている大人たちへの対抗意識が彼等を支えています。
私はこうした元ヒッピーの人達とアメリカ平和行進をのべ一年間歩いたコトがあり、彼等はもう60代になっていましたが、その「草」にドップリ浸かった60年代の意識を持ち続けておりました。
「冬のカモメ」もベトナム戦争の頃のヒッピー-ムーブメントを描いていて、ニコルソンはベテラン兵士役で軍隊内部の矛盾を描き出しています。
彼は軍規違反で見せしめの為に長期間ローヤへ入れられるコトになった若者を護送するのですが、その若者に同情して護送を長引かせて、青春をローヤで過ごすコトになる若者に良き思い出を作らせようとします。
この二人の友情は「草」の共感性も手伝って深まりますが、非情な軍隊の掟には逆らえず最後はケンカ別れとなります。 しかしそれでも一時、軍隊の支配から脱した思い出は残り、それは無理やり徴兵されて戦わされた世代の人々にとって、かけがえの無い勝利に映ったかと思います。
映画はこの位にして、次回からはいよいよ「草」を歌った音楽をフィーチャーして行きます。