神経質というのはよく、シニカルな「子供の歌」が放送禁止 (banned) にされるからで、それだけ歌の影響力を認めているとも言えます。
そんな影響力の大きい「子供の歌」として、マイケル・ジャクソンの「I want you back ('69)」がまず挙げられます。
これは実に多くのアーティストがカバーしているマイケルの代表作で、彼のスターダムの始まりを飾りました。
同時代のアメリカで、スターダムにノシ上がったアーティストとしてはポール・サイモンが挙げられ、「T Free (大麻解禁)」の方でも紹介した「Me and Julio」をまた挙げます。
これはポールの子供時代に、親が彼の部屋を掃除して「葉っぱ」を見付けてしまったコトを唄っています。
サイモンは他にも多くの「草の詩」を作っており、「親子の絆」についても多くを唄っています。
「T Free」ではピンク・フロイドを一番多く紹介しましたが、彼等の代表アルバムの一つ「壁 (the Wall)」では子供時代を歌ったモノが多くを占めています。
中でも「放送禁止曲」として有名なのが「Another Bricks in the Wall Ⅱ」で、そこでは子供たちが「私達には学校での洗脳教育なんていらない」と合唱します... イギリスの学校では実際に「子供たちの反乱」が起こっており、彼等が大人に成って今、国を動かしています。
「子供の歌」で放送禁止と言えば、前にピート・シーガーの「All My Children of the Sun」も紹介しました。 ここではベトナム戦争で全滅する部隊を歌っており、兵士達はピートの子供世代に当たる為、子供の声でその苦闘が唄われています... これほど辛辣な反戦歌は他に無い気がし、さすがは労働者運動をリードして刑務所に入ったシーガーだけのコトはあります。
一転して明るく朗らかな「子供の歌」で、ピーター・ポール&マリーの「Puff」を挙げます。 彼等も子供の歌声をよくフィーチャーしており、子供たちを楽しませる為の学校コンサートをライフワークとしていました。
ラストナンバーは日本ではあまり知られていませんが、ピーター・ポール&マリーの原曲を多く作った黒人歌手のレッド・ベリーにします。 彼は沢山「子供の歌」を残したので曲目は挙げませんが、彼の人生そのものが「歌」だったとも言えます。
レッド・ベリーを偲んで〜フォークミュージックの源流“生けるジュークボックス”と呼ばれた男の数奇な人生と偉大な功績 これを読むと、なんてアウトローなヤツだと思われるかも知れませんが、黒人を迫害した当時の白人社会の方が今ではアウトローとされています。
ベリーは多くの悲しみを経験したからこそ、子供たちに明るい未来を託す歌を沢山作ったのでしょう。