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ネパールの仏教復興

 旅行者がチベットからヒマラヤを越えて行けるのはネパールだけで、チベット難民も大抵はネパールへ抜ける峠を越えているので、秀祥とサラもそうします。

 ネパールと言えばブッタが産まれたルンビニが仏教聖地として有名ですが、秀祥たちが逃れて来た1969年には、まだそこは荒廃しているだけでした。
 それはネパールの王様がヒンドゥー教を崇めていたからで、インド仏教が途絶えてしまったせいでもあります。

 しかし、ルンビニには1932年に日本山の草庵が建てられて、地道な仏教復興運動が続けられて来ました。
 その活動が実り、国連主導による仏教聖地の復興が行われ、日本山はその中心になりました。

強い想いは国を越える…。ネパールの「日本寺」が起こしつづける奇跡の話

「世界平和」と聞くと眉唾だと思う人もいるかもしれませんが、4年前、僕が仏教の聖地で見たのは、「強い想い(祈り)が起こした奇跡」とでも言うべきものでした。

世界新聞


 このコラムを読むと、「なんだ日蓮宗か」と思われる方も居るかと思います。
 それは創価学会や顕正会などの日蓮宗系の教団が日本では勢力を持っており、その閉鎖的、独善的な教えに反感を持つ宗派も存在するからです。

 しかし、日本山はそんな狭い教えの教団ではなく、「南無妙法蓮華経」の解釈も日本の在家教団などよりはずっと広くて深く、原始仏教と大乗仏教を結びつけるモノとして唱えられます。

 これについては「反逆の宗教」という本に詳しいのですが、そもそも大乗仏教というのはブッタの教えではなく、原始仏教から派生した異端の教団であり、双方が正統性を巡っていがみ合っている内に、仏教はインドで求心力を失ってしまいました。

 こうした状況を嘆いて産まれたのが「一乗」の教えで、それはブッタが「末世の衆生にはこの一つのマントラのみが利役する」として遺した「南無妙法蓮華経」(オームマニペネフムと同義)に帰依するコトで、仏教を一つにまとめようとしました。

 仏教に限らずキリスト教やイスラム教も、やたらと分派して互いにいがみ合っていますが、そんなのは一般の人々からは白い目で見られるだけでしょう。

 日本山の目標はまず仏教を統一するコトですが、さらに全ての宗教を「一乗」に乗せるという願望も抱いており、ルンビニの草庵を訪れたサラと秀祥も、その考えに共鳴してお題目を唱えます。
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