窓の外は、赤い危険予告灯が点滅するばかりで、星も月も見えない。
窓に写る男の顔は、自分でも感じるほどに疲れていて、どこか寂しそうだった。
その日も彼は、デスクに置いた携帯の点滅を確認した。
画面をなぞりながら出るのは溜め息ばかりで、彼はデスクに並んだ時計に目をやった。
「もう、寝たか…」
時計の針は2時を指していた。
『ねぇ、たまには旅行に行かない?』
彼は彼女との会話を思い出していた。
『いいね』
彼の手を引きながら歩く彼女は、同い年のはずなのに、自分より幼く見える。
朗らかに笑う彼女が、可愛くて仕方ない。
『どこが良い?おすすめは?』
『う~ん…』
仕事柄、国内外を飛び回っている。
詳しくはないが、何となくの空気は分かる。
『見たいものとか、食べたいものとか?国内?海外?』
彼女は不意に立ち止まると、顎に人差し指を当てた。
『う~ん、見たいものも食べたいものも、たくさんあるけど』
彼女はそこで彼を振り返ると、満面の笑みで言い放った。
『一緒にいられればどこでも楽しいかな』
それ以来、彼女と会えていない。
毎日のようにタクシーで帰る生活では、電話をかけることさえままらなかった。
彼は恐る恐る、携帯の留守番のメッセージを再生した。
そっけない電子音声の後からは、予想通りの声が流れ出した。
『お仕事お疲れさま。体、大丈夫?何時でも良いから、電話ちょうだい…』
しばらく間が空いて、メッセージ終了のアナウンスが流れた。
決して怒るでも、責めるでもない声音が、彼を切なくさせる。
「会いたいのは、俺のほうだ…」
彼の耳は、彼女が聞き取れるか取れないかで呟いた言葉を聞き逃さなかった。
最近は、疲れているはずなのに、まんじりともせず夜明けを待つ事が増えた。
夜明け前、一番闇が深くなる時間に空を見上げると、その闇に吸い込まれそうになる。自分を引き留めるのは、いつも彼女の笑顔だ。
彼はそっと、引き出しを開けると、中からビロードでできた深紅の小箱を取り出した。
それを数度なぞると、彼は反対の手で、携帯を操作し始めた。
時間は3時近い。
彼女が起きているとは思えなかった。
案の定、耳に呼び出し音が響いた。
『旅行、どこが良い?』
彼は心の中で呟いた。
次に会えたら、彼女にその小箱を渡すと決めた。
そして、こう言うと。
「新婚旅行だから、普段行けないところで、2人だけの思い出を作ろう」