総てが虚構なら、どんなに良かったか。
それから、上皇となったシンが上殿を訪れるのは2ヶ月に1度か2度、昌徳宮に泊まって行く日もあれば、帰る時の方が多かった。
添えば仲の良い上皇夫婦だった。
共にある姿はまさに「理想の夫婦」で、周囲の側近や子どもたちは、二人がまた添う事を願っていた。
そして、平穏に流れる時間は唐突に終わりを告げた。
まさに青天の霹靂、昌徳宮にいた皇太后が倒れたのだ。
決して病弱では無いが、もともと華奢で線の細い皇太后は、入院を余儀無くされた。
シンは足繁く彼女を見舞った。
周囲は再び彼らが住居を共にすると予想したが、それが叶えられることは無かった。
皇后が皇太后を見舞った時、上皇がこのまま昌徳宮に入ってくれるよう願う旨を伝えると、皇太后は微笑んで軽く首を横に振った。
皇后はその儚げな微笑に胸が痛かったという。
皇太后が無事に退院し、昌徳宮に戻ると、シンは3日だけ滞在し、離宮に戻った。
周囲は密かに落胆していたが、誰もその事に関しては触れなかった。
ジュンに結婚の話が出始めた頃、今度はシンが体調を崩して床に伏せた。
添えば仲の良い上皇夫婦だった。
共にある姿はまさに「理想の夫婦」で、周囲の側近や子どもたちは、二人がまた添う事を願っていた。
そして、平穏に流れる時間は唐突に終わりを告げた。
まさに青天の霹靂、昌徳宮にいた皇太后が倒れたのだ。
決して病弱では無いが、もともと華奢で線の細い皇太后は、入院を余儀無くされた。
シンは足繁く彼女を見舞った。
周囲は再び彼らが住居を共にすると予想したが、それが叶えられることは無かった。
皇后が皇太后を見舞った時、上皇がこのまま昌徳宮に入ってくれるよう願う旨を伝えると、皇太后は微笑んで軽く首を横に振った。
皇后はその儚げな微笑に胸が痛かったという。
皇太后が無事に退院し、昌徳宮に戻ると、シンは3日だけ滞在し、離宮に戻った。
周囲は密かに落胆していたが、誰もその事に関しては触れなかった。
ジュンに結婚の話が出始めた頃、今度はシンが体調を崩して床に伏せた。
末期癌と診断されたユルは、王立病院の特別室で過ごした後、下宮に居を移した。
半年の間にジュンが誕生日を迎え、ジェウの希望で家族写真を撮影した。
埋まった空席に、ジェウは満足そうだった。
撮影後、病床から何かを伝えるユルに、シンが首を横に振る姿を、尚宮が見ていた。
数日後、尚宮と内官に看取られて、ユルが息を引き取った。
シンは公務先で報せを受け取ると「そうか」とだけ呟いた。
年若いユルの死に、ミン皇太后も深い追悼の意を表した。
シンの皇帝即位40年を目前に、そのミン皇太后も天に召された。
ジュンが王立学校幼稚舎に入学した年、シンはジェウへの譲位を発表した。
国民は未だ健康なシンに残念がったが、シンの決意は固かった。
譲位と同時に閉鎖していた東宮殿を解放し、ジュンのために改築した。
それが、皇帝として最後の仕事だった。
譲位後、シンは一人、夏の離宮に移り住み、パク皇太后は昌徳宮で過ごすことになった。
彼女が共に離宮に来ない事を、シンは分かっていた。
半年の間にジュンが誕生日を迎え、ジェウの希望で家族写真を撮影した。
埋まった空席に、ジェウは満足そうだった。
撮影後、病床から何かを伝えるユルに、シンが首を横に振る姿を、尚宮が見ていた。
数日後、尚宮と内官に看取られて、ユルが息を引き取った。
シンは公務先で報せを受け取ると「そうか」とだけ呟いた。
年若いユルの死に、ミン皇太后も深い追悼の意を表した。
シンの皇帝即位40年を目前に、そのミン皇太后も天に召された。
ジュンが王立学校幼稚舎に入学した年、シンはジェウへの譲位を発表した。
国民は未だ健康なシンに残念がったが、シンの決意は固かった。
譲位と同時に閉鎖していた東宮殿を解放し、ジュンのために改築した。
それが、皇帝として最後の仕事だった。
譲位後、シンは一人、夏の離宮に移り住み、パク皇太后は昌徳宮で過ごすことになった。
彼女が共に離宮に来ない事を、シンは分かっていた。
元皇太后の死は大きく報道され、宮家も家族の死として悼み、葬儀を行った。
ユルは約20年振りに帰国し、1か月の滞在で、また渡英した。
緩やかに、しっかりと時は流れて行く。
温陽で隠居生活を送っていたヒョンが亡くなったのは、雪融け間近だった。上皇崩御に国中が喪章に染まった。
シンは、どんなに慕われた皇帝であったのか、改めて知ることとなった。
一人になったミン皇太后が上宮離宮に移り住むと、ミンジの懐妊が分かった。
孫息子夫婦の子どもにミン皇太后は飛び上がらんばかりに喜んだ。
「太皇太后様のお気持ちが分かりました」
嬉しそうにそう言う母の顔に、シンは目を細め、微かな笑みを浮かべた。
皇孫の誕生に宮家はもとより、国民も喜びにわいた。
生まれたのが男の子だと分かると、さらに盛り上がった。
ジュンと名付けられ、皇太孫に柵封されても、ジェウ同様に親元で育てられることが決まった。
皇帝即位30年の春、ヘミョンたちも呼んで、記念撮影をした。
未だシンの手元にはアルフレッドたちがいた。
その直後、香港に移り住んでいたユルが緊急帰国した。
「最期の時を家族と過ごしたい」。
それがユルの願いだった。
ユルは約20年振りに帰国し、1か月の滞在で、また渡英した。
緩やかに、しっかりと時は流れて行く。
温陽で隠居生活を送っていたヒョンが亡くなったのは、雪融け間近だった。上皇崩御に国中が喪章に染まった。
シンは、どんなに慕われた皇帝であったのか、改めて知ることとなった。
一人になったミン皇太后が上宮離宮に移り住むと、ミンジの懐妊が分かった。
孫息子夫婦の子どもにミン皇太后は飛び上がらんばかりに喜んだ。
「太皇太后様のお気持ちが分かりました」
嬉しそうにそう言う母の顔に、シンは目を細め、微かな笑みを浮かべた。
皇孫の誕生に宮家はもとより、国民も喜びにわいた。
生まれたのが男の子だと分かると、さらに盛り上がった。
ジュンと名付けられ、皇太孫に柵封されても、ジェウ同様に親元で育てられることが決まった。
皇帝即位30年の春、ヘミョンたちも呼んで、記念撮影をした。
未だシンの手元にはアルフレッドたちがいた。
その直後、香港に移り住んでいたユルが緊急帰国した。
「最期の時を家族と過ごしたい」。
それがユルの願いだった。
太皇太后はいまわの際に皇帝を呼ばれ、何事かを囁かれると、笑顔で天に召された。
シンは思わず「おばあ様…」と呟いていた。
遺影は、孫や曾孫に囲まれて撮影された笑顔の写真だった。
撮影される時に一つ、座る人のない椅子が用意されていた。
それから10余年。
ジェウが高校に進学し、シン同様に皇太子妃を迎える事が議題にのぼり出した。
ジェウに許嫁はいない。
ジェウに事実を話すと、まだ結婚は考えられないと言う。
当然と言えば当然の反応に、王族の顔をたてるため、ジェウの半公式誕生会を開いたのだった。
ジェウが大学2年の秋、皇帝夫婦はリュ・ミンジと言う女性を紹介された。
ジェウより1歳年上で、父は教師、母は会社員という一般家庭の娘に、皇后は当初、余り良い顔はできなかった。
だが、彼女の遠戚にリュ財閥と王族の名を見付けると、態度は軟化した。
そして、大学卒業の冬、ジェウはミンジと、婚礼の儀を行った。
翌年、ギュリが降嫁すると、異例ながらミンスが大君に柵封された。
そして、夏のある日、イギリスからソ・ファヨンの訃報が届いた。
シンは思わず「おばあ様…」と呟いていた。
遺影は、孫や曾孫に囲まれて撮影された笑顔の写真だった。
撮影される時に一つ、座る人のない椅子が用意されていた。
それから10余年。
ジェウが高校に進学し、シン同様に皇太子妃を迎える事が議題にのぼり出した。
ジェウに許嫁はいない。
ジェウに事実を話すと、まだ結婚は考えられないと言う。
当然と言えば当然の反応に、王族の顔をたてるため、ジェウの半公式誕生会を開いたのだった。
ジェウが大学2年の秋、皇帝夫婦はリュ・ミンジと言う女性を紹介された。
ジェウより1歳年上で、父は教師、母は会社員という一般家庭の娘に、皇后は当初、余り良い顔はできなかった。
だが、彼女の遠戚にリュ財閥と王族の名を見付けると、態度は軟化した。
そして、大学卒業の冬、ジェウはミンジと、婚礼の儀を行った。
翌年、ギュリが降嫁すると、異例ながらミンスが大君に柵封された。
そして、夏のある日、イギリスからソ・ファヨンの訃報が届いた。
時間はゆっくりと、だが確実に流れて行く。
シンは再び皇太子に柵封され、ヘミョン女王の結婚の日取りが発表されると同時に、シンへの譲位が公表された。
報道は賛否両論を巻き起こしたが、年若い皇太子夫婦に期待する声に後押しされる形で、譲位は加速度的な早さで行われた。
そしてヘミョンは、外から宮家を支えると、ボランティア時代に知り合った男性へと嫁いだのだった。
それから2年、皇帝夫婦の初めての子ども、ギュリに世間はわいた。
更に3年後、男子ジェウの誕生に、国民はお祭り騒ぎだった。太皇太后がその小さな手で小さな子を抱いた幸せの笑みを、シンは撮影した。
ジェウは生まれて間もなく、皇太子に柵封された。
だが、手元で我が子を育てる決意をした夫婦に、国民は新たな宮を見い出した。
ギュリが王立学校幼稚舎に入学した年、ヘミョンが二卵性双生児を生んだ。ミンスとユンナと名付けられた。
明くる年、初春「もう一人孫を抱かねば」と言いながら、太皇太后が崩御した。
シンは再び皇太子に柵封され、ヘミョン女王の結婚の日取りが発表されると同時に、シンへの譲位が公表された。
報道は賛否両論を巻き起こしたが、年若い皇太子夫婦に期待する声に後押しされる形で、譲位は加速度的な早さで行われた。
そしてヘミョンは、外から宮家を支えると、ボランティア時代に知り合った男性へと嫁いだのだった。
それから2年、皇帝夫婦の初めての子ども、ギュリに世間はわいた。
更に3年後、男子ジェウの誕生に、国民はお祭り騒ぎだった。太皇太后がその小さな手で小さな子を抱いた幸せの笑みを、シンは撮影した。
ジェウは生まれて間もなく、皇太子に柵封された。
だが、手元で我が子を育てる決意をした夫婦に、国民は新たな宮を見い出した。
ギュリが王立学校幼稚舎に入学した年、ヘミョンが二卵性双生児を生んだ。ミンスとユンナと名付けられた。
明くる年、初春「もう一人孫を抱かねば」と言いながら、太皇太后が崩御した。