へるしーな日々

            やーやの日記
             折々に、思いつくままに・・・
     

義父の命日

2010-02-14 20:47:46 | メモリー

義父が亡くなって8回目の命日がやってくる
今まで何度も亡くなった義父のことを書いているが、2月になると決まって思い出される。

8年前の今ごろ、それまでは やーやとの合言葉で

百歳まで生きよう! と、

言っていた強気の義父だった。
それが、カラ元気にしても、人生の先輩として、やーやにもそうあってほしい!と思わせてくれる人だった。

1月の末に胸痛の症状がでて、レントゲンをとると胸下部三分の一に水がたまっていると診断された。
ここに至って義父は、やーやに向かい、かしこまってお願いがあると言う。

どうか、入院させないでくれ。家に居りたい!

なんとか願いをきいてやりたい といっても、やーやに医学的な知識があるわけではない。かかりつけの医師に相談に行った。
医師は、義父の願いにそえるよう努力をするといってくれ、胸痛を緩和するために酸素発生装置を家におけるように手配してくれた。
すばやい処置で、2日後には装置がついた。

相談できる医師の存在は本当に有難かった。それから半月、血痰が出るようになった義父は、

やーやさん、100までは無理かな~ と、はじめて弱気な発言をした。

それでも、トイレも自分で行く気丈さは、まだ失なってはいなかった。
ポータブルトイレを置こうか?といっても頑として、それはいいと主張した。
やーやは、その頃から、パジャマに着替えずに床につくようにした。

夜中に2.3度大きな声で、やーやを呼ぶようになり、足や背中を痛がった。体を、しばらくさすっていると、必ず

あ~楽になった 有難う 

とねぎらいの言葉で、又やーやは自分の寝床へ戻る夜が一週間ほど続いて、義父は往診にきてくれた医師に緊急入院を言われ、入院後4日目に95歳で息を引き取った。

もうすぐ命日、何をすれば義父の慈愛に報いることができるのだろう・・・
自分は義父のように気丈に最晩年を過ごすことが出来るだろうか・・・
やーやに肩を支えられても、トイレにいくことを貫いた義父の強さはどこからきていたのか・・・

最晩年を共に過ごすことの出来たやーやは、義父に沢山の宿題をもらっている気がしてならない。

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