正眼寺オープンキャンパス in かかみがはら というチラシをみつけて、昨日の午後でかけてきました。
正眼寺短大は、美濃加茂市井深にある古刹 正眼寺に隣接して建っている短期大学です。
以前、その近くにある正眼寺ゴルフ場の下見に来たことがあり、お寺にも立ち寄ったことがあります。
今日は、岐阜 眞聖寺住職の村瀬正光講師の模擬授業で、「白隠禅師坐禅和讃」という内容でした。
正眼寺短大の紹介などもはさみ、白隠禅師坐禅和讃の解説が始まりました。
我が家は仏教ですが、正眼寺の臨済宗ではないので、全く初めて聞く和讃です。
抜粋して、さわりの部分だけ載せておきます。
衆生(しゅうじょう)本来仏(ほとけ)なり 水と氷のごとくにて
水をはなれて氷なく 衆生の外仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
譬えば(たとえば)水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
[意訳]
われわれ凡夫はもともと仏。水と氷のようなものです。水をはなれて氷はなく、凡夫のほかに仏はありません。凡夫は近くの仏を知らないで、遥か遠くに恋い求めます。
あたかも水の中にいて、渇きを叫ぶようなものです。金持ち息子と生まれながら、物乞いしているようなもの。
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こんな講義を学生さんたちにまじり、受けてきました。
自分で求めて行ったオープンキャンパスですが、普段の緊張を欠いた日常と違っていて、非常に疲れた2時間でした。
一口で表せば、自分のいる場所が浄土と悟り、自分の心の中に浄土を作り上げることが出来る・・・ということかと、これはやーやの勝手な解釈かもしれません。
たまには、こんな緊張も自分の生活に渇をいれるのに必要かなとも思います。
パンフには、”第二の人生は僧侶になって世の為・人の為に活動しませんか”とありましたが、
これは無理!(笑)と、会場を後に しました。