秋が深まってきました。夕方4時をすぎると急に陽がおちてきます。
近道をしようと公園を横切っていたら、お日様が雲間に入る前・・・これは夕映えでしょうか・・・
見入っていましたが、あっという間に西へ沈んでいきました。
秋の日は釣瓶落とし、 秋の日没のはやさを,井戸に落とす釣瓶 のはやさにたとえ言われますね。
ふいに口をついて出たのは
「秋はゆうぐれ・・・」 枕草子の一節を思い出しました。
夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、
三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。・・・・
他は忘れていても、十代の頃に学んだものは記憶の襞に眠っているようです。
古文の学習をしたときに、清少納言は、からすを数えるのにどうして 三つ四つ、二つ三つと
言ったのだろう?
二つ三つから先に言わなかったのか・・・と、
その時の授業風景までが浮かんできます。
清少納言の時代は電線などなく、もっと広々とした景色だったと想像できますが、
秋のゆうぐれを愛でる 人の心は現代でも同じ気がします。