秋が深まってきました。夕方4時をすぎると急に陽がおちてきます。
近道をしようと公園を横切っていたら、お日様が雲間に入る前・・・これは夕映えでしょうか・・・
見入っていましたが、あっという間に西へ沈んでいきました。
秋の日は釣瓶落とし、 秋の日没のはやさを,井戸に落とす釣瓶 のはやさにたとえ言われますね。
ふいに口をついて出たのは
「秋はゆうぐれ・・・」 枕草子の一節を思い出しました。
夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、
三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。・・・・
他は忘れていても、十代の頃に学んだものは記憶の襞に眠っているようです。
古文の学習をしたときに、清少納言は、からすを数えるのにどうして 三つ四つ、二つ三つと
言ったのだろう?
二つ三つから先に言わなかったのか・・・と、
その時の授業風景までが浮かんできます。
清少納言の時代は電線などなく、もっと広々とした景色だったと想像できますが、
秋のゆうぐれを愛でる 人の心は現代でも同じ気がします。
つるべ落とし→秋の日→落日母燃ゆ ですね。
思い出すものは人それぞれのようですね~
秋のままとどまってはいなくて、寒い冬がくるのはつらいですが、
冬ならではのこともありますし・・・
楽しいことを考えることにしましょう。
コメントありがとうございました。
昔のことを、なにかのきっかけで思い出すことってありますね~
いつもは忘れているのに、引出しが開かれたように細かいことまで
思い出すのです。
大きなお孫さんがおられるのですね。
お孫さんと一緒に学ぶ・・・なんて、そんなことができたら私はとても嬉しいと思います。
秋の日の ヴィオロンのためいきの身にしみて・・・でしたか・・・
いいですね。
思い出すものはひとそれぞれで、おもしろいですね。
秋の夜長、ヴェルレーヌの詩をひも解いてみましょうか。
やがて迎える冬を思うと、一抹の寂しさを感じますが、やがては春がやって来ます。
カメラを片手に、頑張って行こうと思っています。・・・・?
yumemiruさんのブログ見て感じました。
yumemiruさんは、やはり文学者ですね。
日本文学の良さをみごとに表現されていましたね。
古文ですか・・・
十代の頃の記憶は忘れられることはないでしょう。
いいお話しをきかせていただきました。
孫たちがいま古文の勉強中です。 あふれるほどの本をつめこんだバックにには手あかでよじれてしまった古文教科書がどっさりと、抱えてみようとしましたがとても重くて・・・
わたしは残念ながら商業学校、ほかの教科がおおくて古文の勉強はできませんでした。いまからでもできるかな・・・
なんだか変な文字が入ってしまいました。
ポール・ヴェルレーヌです(^_^;)
枕草子ですか?
私はこんな素敵な風景を目にしたら、
秋の日の ヴィオロンのためいきの・・・と言うポ−ル・ヴェルレーヌの詩を思い出します。
いろんな方が訳してますが、私は上田 敏のが好きです。