yurikago-sa

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日赤安芸支部研修旅行~広島赤十字病院と平和公園・資料館~

2016年07月13日 | 日記

 7月7・8日毎年恒例にしている日赤奉仕団安芸支部の平和研修旅行に行ってきました

1日目はお天気に恵まれ汗だくの上天気 午前6時30分安芸を出発 高知道 高松道

 瀬戸大橋を渡り山陽道を走って広島市へ 高層ビルにあるお好み村で名物のお好み焼きで各自昼食 

原爆ドームとドーム前を流れる元安川を船で遊覧 広島日赤本社・原爆病院を訪問 

平和公園・資料館を見学の後約45分東に走って竹原市 湯坂温泉 加茂川荘で宿泊 

2日目は残念ながら雨 東広島呉道を走って 呉市 海事歴史科学館(大和ミュー ジアム)と

実物の潜水艦を陸で展示している海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)をゆっくり見学と買い物 

昼食はマリンファッションのミュー ジアムレストランで幕の内を食べて帰路

呉道 山陽道 しまなみ海道を走って一路高知への旅でした

お好み村

お好み焼き屋さんが集う小さい間口  それぞれにずら~っと暖簾を掛けている 

 どの店も鉄板を囲むようにL字型のカウンターです 

  お好み焼きといえば・・・お冷のお代わりで辛抱

昼食後は 見学と研修                 

 

ドームの正面                               ドーム裏側 遊覧船から

原爆はこの原爆ドームの上で爆発したのではなく ドームの東南約160m離れている

現在の島外科病院の約580m上空で爆発したといわれています

 1996年 核兵器の惨禍を伝える建築物として世界文化遺産に登録されました

平和記念公園を流れる元安川を遊覧

船内から原爆ドームを違った角度から眺めました

 遊覧船は扇風機が回っていたけど 窓は開けてなく ま~暑かったこと

広島は川が多くそのぶん橋も多く「川と橋」の街だそうです

次に広島日赤本社・原爆病院を訪問

まずスライドによる原爆の恐ろしさ 被爆による健康への影響など学習して

隣接する 広島赤十字・原爆病院メモリアルパ-クに案内してもらいました

 

(資料から)

 広島赤十字・原爆病院は爆心地から約1、6kmの位置だったそうです

広島赤十字・原爆病院メモリアルパ-クは 赤十字精神・被爆体験を

後世に伝え平和を願う拠点として整備されたものだそうです

パーク内にあるレリーフなどの写真です

  

爆風でゆがんだ鉄製の窓枠 爆心地から 1,6km離れていながらも

爆心地側(北)の窓枠は内側に 西側の窓枠は外側に曲がっています          

ガラスの破片が突き刺さった痕が残る壁

階段の壁の一部で1階から屋上までの壁に無数の傷跡を残していたそうです

原爆投下の翌日赤十字病院の玄関前の円形の花壇に並べられた

中学生の遺体の絵を陶板にしたものだそうです

平和への祈り 日本赤十字社 原爆殉職職員 戦時事変戦没者 合祀

と記されています 側面には原爆や 戦争で殉職された146名の名前を刻んでいます

 

原爆殉職職員慰霊碑

原爆で亡くなった医師・看護師さんの霊を祀っています

  

赤十字国際委員会会長(レオポルド-ボアシエ)碑文

 

  スイス人医師 マルセル・ジュノー博士のレリーフ

ジュノー博士は被爆地で被害調査と被爆者治療にあたり 連合国総司令部と交渉 大量の援助物資を

広島に送りペニシリンなどの医薬品によって1万人以上の命が救われたといわれています

平和学習 (の資料をいただきました)

~核兵器のない 平和な世界の 実現に向けて~

はじめの記に「昭和20年8月6日8時15分に当院(赤十字病院)で何が起こったのか、またその日から当院は

何をしてきたかということを知っていただき、核兵器のない平和な世界の実現に向けて、これから

何をしなければならないかということを一緒に学習しましょう」と結んでいます

参考までに資料の内容の目次です

つぎは語り部とともに 平和公園散策です(時間が少なく主なところだけ)

被爆アオギリの木

爆心地から約1,3kmにあったこのアオギリは爆心地方向にさえぎるものがなかったため

爆風で焼けえぐられて枯れ木同然だったのが 翌年の春に芽を吹き 被爆で足を失った女性が

生きる希望を失ったとき このアオギリのように生きようと思い また多くの被爆で苦しんでいる人々にも

生きる希望を与えたといわれています

平和の鐘

毎年8月6日の広島平和記念式典で鳴る鐘

原爆被災者広島悲願結晶の会によって 核兵器 戦争のない

平和な世界へ祈りをこめて造られています

 

原爆供養塔

名前や年齢 性別などほとんどわからなく また家族全滅で引き取るひとがない

原爆犠牲者の遺骨7万柱が地下に収められ遺族を探しています 

  

 原爆の子の像                     資料より

禎子さんの同級生たちが「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけ

募金運動で作られた 高さ9メートルのブロンズ像です 禎子さんが捧げている折り鶴は鶴を千羽折ると

病気が治ると信じ折り続けた折り鶴をかたどったものです

石碑には『これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための』と刻まれています

 

毎年8月6日に広島平和式典が行われる 広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)です 

昭和20年8月6日原子爆弾で壊滅した広島市を平和都市として再建することを念願して建立されています

トンネル状の空間を通して 平和の灯 遠くに「原爆ドーム」を直線上に見通すことが出来ます

中央の石室(右写真)の中には原爆被爆者の全ての人の名簿が納められ毎年被害者の名前が書き加えられるそうです

 

ノーマン・カズンズ氏 のレリーフ                      

アメリカ合衆国のジャーナリスト 作家 広島市特別名誉市民

原爆や戦争の孤児たちの養子運動や原爆乙女たちをアメリカに渡米させケロイド治療に尽力し

核兵器の絶滅を世界に訴え続け そんな功績に 広島市民はアメリカへの憎しみが薄れていったそうです

ノーマン・カズンズ氏の碑文

世界平和は 努力しなければ達成できるものではない 目標を明確に定め 

責任ある行動をすることこそ 人類に課せられた責務である 

 平和公園にも 赤十字国際委員 マルセル・ジュノー博士のレリーフ があります                      

スイス医師 原爆投下後の惨事の広島にいち早く入り 

被害者の支援に当たり1万人余の命を救った

 

広島平和記念資料館

被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真 被害資料などが展示され

原爆の悲惨さ 凄さを目の当たりにします

 

玄関ロビーにある ローマ法王 ヨハネ パウロ二世 の碑文

資料館見学順路おわりのところに アメリカ大統領としてはじめて

広島を訪れたオバマ大統領のコーナーがあります

 

オバマ大統領自作 平和の象徴折り鶴 が贈られています

2日目 呉市 海事歴史科学館「大和ミュー ジアム」と「てつのくじら館」を見学しました

 

大和ミユジアムは日本一の軍艦を造船した 呉の港に面して建てられています

 

大和ミユジアム メイン展示の 戦艦大和 実物の10分の1の模型です

大和は 全長263m 全幅38、9m 72,800トン 乗組員3,300人 世界最大の戦艦でした

零戦六二型 特攻機

これに乗って生還の見込みのない決死の攻撃をしました

特殊潜行艇 海竜 海の特攻兵器

頭の部分に爆薬を備え両脇の魚雷を発射して敵艦に体当たりしたそうです

海上自衛隊呉史料館 てつのくじら館

引退した巨大潜水艦が展示されています 外から見るとかなり大きい 内部に入ると想像以上に狭い 

海上自衛隊の仕事や 潜水艦での生活や 活躍などが展示されています 入館無料 

自衛隊を退官された方々が詳しく説明してくれます

戦争の悲惨 平和の大切さを確認できた旅でした

おわり