yurikago-sa

1939年生まれ
ボケないようにパソコン
遊びをします!!

高知家・まるごと東部博 安芸市オープニングイベント

2015年04月30日 | 日記

 高知県東部9市町村で「おもてなしジオの恵みにであう旅」をテーマーに 東部地域の魅力 

観光 グルメ イベント 各種体験や地域の人々との交流を満喫できる 盛りだくさんの内容で

まるごと頭部博覧会が 2015年4月29日~12月23日まで開催されます

博覧会と室戸ジオパークセンターのオープンに合わせ 4月29日

室戸ジオパークセンターがメインで 9市町村を結ぶバトンタッチリレー ステージイベント 

ジオツアー グルメ出店など 多彩な内容のオープニングセレモニーが開幕されました

 安芸市のオープニングイベント(4月29日)として

岩崎弥太郎銅像移設式典(除幕式)が行われました

井ノ口地区の婦人会や井ノ口小学校父兄の出店 ステージでは観客席からの

応援と手拍子で一体となり にぎやかに会場が盛り上がりました

 

井ノ口保育所みなさんの可愛いダンス 「ぐんぐんどこまでも」

井ノ口小学校2年生と4年生の合唱

「こいのぼり」「さんぽ」「手のひらを太陽に」みんな元気に唄いました

安芸市観光ボランティアガイドさん達の合唱

彌太郎さん  を動画にしました ご覧ください 赤字クリックして下さいね 

岩崎彌太郎さんの紙芝居 を動画にしました ご覧ください

ご 

栗山社中さんのライブ

「浜辺の歌」「おぼろ月夜」[夏は来ぬ」「蘇州夜曲」など他2曲は?

豆電球さんのライブ ふるさと高知の歌をいっぱい唄い

電球のキャラクターさんも可愛い目でライブを盛り上げていました

金本美智子さんが作詩され 元吉明さんが作曲して お二人で唄いました

「土佐っ子魂今生きる」「弥太郎さん」 「安芸の元気に来てみいや]

彌太郎先生の生家

彌太郎先生の銅像は国道55号線沿いの江の川上公園から

 井ノ口一の宮の生家のすぐ横に移設されました

「生まれた ところへ もどって わしゃあ まっこと うれしいぜよ」と多分 いいよります

  

除幕式の様子を動画にしました ご覧ください 

 

弥太郎太鼓を奉納

迫力の音を大空へ響かせました

神事の後 もち投げでオープニングイベントは終了しました

高知県内外の方 海外の方も 東部博へ大勢来てくださることを願っています

おしまい


高野山 大師教会

2015年04月28日 | 日記

 高野山お礼参り2日目 宿坊を8時30分に出発して 「お受戒」の体験(修業)を

するため 大師教会に向いました 高野山のお礼参りは5回目ですが

大師教会へは初めて 「お受戒という言葉も初めて ・・・

バスで10分位走って 大師教会へ到着

正面に 大講堂

高野山開創1100年を祈念して1925年に建てられ

高野山真言宗の布教などの総本部とのこと 

 

正門から入ると右手に 日本仏教保育教会の「いかせ いのち」のモニュメント

稚児大師奉賛会から奉納された「稚児大師がお座りしているお堂」 その横に

大師 直筆の「いろはに・・・・」の石碑があります (撮ることについ夢中になる(ー_ー)!!)

 

 

大講堂  ご本尊に弘法大師 脇仏に愛泉明王と不動明王が祀られています  

   

お受戒体験は大講堂の前の回廊を通って左奥の「授戒堂」へ行きます 

入口で研修さんからお香をいただき 心身を浄め 入口から漏れる明りをたよりに

暗いお堂のなかへ当方目が悪い故 耳が悪い故 手探りでやっと前の方へ坐る 

入口を閉めると 静寂と闇のなか わずかなお燈明の灯だけ 左の扉が開いて

人影が入られた お先達さんから 阿闍梨さまは赤い衣を 白黒は研修生と

聞いていましたが 色など見えないが・・・阿闍梨さまです 間もなくすると

 阿闍梨さまから 私達が生きていくための 仏の教え十の戒めのお話を

された つづいて読経 「南無大師遍照金剛」を何十回となく唱える 一同 ご唱和している

秘かに(ー_ー)!!指を折りながら思った お大師さまが 悟りの境地へと導いて下さるのかな~と

 最後に同行の方が3人 ひとりづつ壇座に上がり何かして(暗くて見えない)

下りてくる それが終わると 阿闍梨さまが何か申された・・・残念聞き取れなかった(ー_ー)!!

左の扉に人影が消え「お受戒」の体験は終わりました

あとで「菩薩戒牒」の御守りが配られました

 

 お経の「十善戒」が記され あとは読めません(ー_ー)!!

最後に 「傳戒大阿闍梨 金剛峯寺座主」とあります

「十善戒」とは

不殺生(ふせっしょう)・・・生きものを殺さない

不偸盗(ふちゅうとう)・・・人の物を盗まない 

不邪淫(ふじゃいん)・・ ふしだらなことをしない

不妄語(ふもうご)・・・・・うそをつかない

不綺語(ふきご)・・・・・・お世辞を言わない

不悪口(ふあっく)・・・・・悪口をいわない

不両舌(ふりょうぜつ)・・・二枚舌を使わない

不慳貪(ふけんどん)・・・・欲張らない

不瞋恚(ふしんに)  怒らない

              不邪見(ふじゃけん)  間違った考えは起こさない

  心がけよう!!と思っても な・か・な・か・む・つ・か・し・い~~

悟りの世界への道のりは 遠い~~(ー_ー)!!

お大師さまの命日3月21日にちなんで毎月21日に大師教会の前の駐車場で

縁日が開かれ大勢の人でにぎわうそうです 準備中でした

        

つぎに 高野山真言宗総本山 金剛峯寺へ

おしまい   


高野山 奥の院

2015年04月24日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 15回目最終回は 

平成27年3月20日から21日の2日間 お大師さまとともに「同行二人」の

四国八十八ヶ所霊場巡りが 無事結願できた ご報告とお礼参りに 

今年はお大師さんが 高野山に真言密教の根本道場を開創されて1200年記念の  

奥ノ院 大師教会 金剛峯寺 壇上伽藍 お大師さまとお母様 ご縁の慈尊院へ 参拝しました 

高野山開創1200年記念絢爛壮麗な大法会は 平成27年4月2日から5月21日まで

50日間  奥ノ院 壇上伽藍 金剛峯寺などで連日営まれます

お詫び 84番~高野山まで 平成13年9月~「お遍路徒然」で一度投稿をしていたブログに

新しく画像を入れて投稿をしますのでよろしく

高野山 山内図  

先ず 世界遺産 老杉が茂る 荘厳な佇まい 聖地の中の聖地といわれる 

 お大師さんがご入定されている 奥の院を参詣しました

「虚空盡衆生盡涅槃盡我願盡」 「南無大師遍照金剛」の門柱のある 一の橋奥ノ院入口 

 

虚空盡衆生盡涅槃盡我願盡

「この世の迷い苦しむ人びとが全て さとりを得 幸せになるまで この世に

身を留めて 生きとし生けるものを 導き救っていく」

 「という 弘法大師の お言葉であります この 同行二人済生利人の有難い御誓願に対して

 私達は 南無大師遍照金剛の御宝号を 以て誠を捧げるのであります」と立札に記されていました

 

一の橋から御廟橋まで約2km 参道沿いには樹齢数百年の杉の巨樹がそびえ

20万余りとも言われる 国や宗派を超え あらゆる 階層の人々の 新しいお墓や

 苔むした墓石 供養塔が さまざまな型で延々と続き 広大な 墓地になっています

手前の方は有名企業の供養塔が多い

国・宗派を問わないのが お大師さんの遺志

さて墓地代は?60㎝四方 お座布団一枚分 100万円!です

 

 1972年7月5日 高知県繁藤の 大山崩れの 殉職者 殉難者慰霊像です

高野山を訪れる県民の皆さんの思いが 途切れることなくお花が手向けられているそうです

 東日本大震災の犠牲者の供養の碑 が 12013年3月11日に建立されています

     

狂気の義父に両腕を斬られながらも カナリアが嘴で餌をやるのを見て 

口で字を書くことを修行され 書画家になられ 後年は大石順教尼として

福祉活動に励まれ多くの 障害者の光となり 崇高な人生を歩まれたと伝えられています

お墓の後方に 腕塚があります

徳川家康の二男 結城秀康の石廟

奥に進むにつれ 杉の巨樹がそびえ 深々とした参道わきには

苔むした 著名人や戦国武将のお墓が多くなります

 

お大師さんの近くで供養されたいと願う 古の人たちが植えたと いわれる供養杉は

中には2本の根元がくっついたり 3本の根元がくっついたりして

夫婦杉・家族杉と言われています

化粧お大師さんと呼んでいます 

お化粧をしてあげると美人になれるそうです 

また目をどの角度から見ても しっかりと目と目が合い

 何処に居ても お大師さんは私たちを見守って下さっています

 苔むした五輪塔(供養塔)が広大な奥の院墓地にたくさんあります

上から 空 ・風・火・水・地を表しているといいます

普通は梵字を刻んでいるそうですが 写真のように まれに漢字を刻んでいるのもあるそうです

なぜかうつむいて  考えている?悩んでいる?思案にくれている?

三界萬霊地蔵

ありとあらゆる 精霊を供養するお地蔵さまです

 

 水向け地蔵 

先祖供養の経木を手向け水をそそいで ご先祖の冥福を供養するそうです

これはまえの画像  毎月21日は大師さんの月命日です 

奥の院 弘法大師御廟で御影供(みえく)法要が行われます

 水向け地蔵のあたりで 御廟の方から 下りて来る 

僧侶さんの行列に出会いました

 御廟橋 お大師さんはここで参拝者を出迎え 見送るといわれ 深く1礼します 

 ここから先は脱帽 禁煙 飲食 カメラは禁止です

玉川に架かる石橋は 36枚の橋板と 橋全体を一尊と数え 金剛界の37尊を表していると言われ 

橋板の裏には37の梵字が刻まれ 橋を渡るときは 一枚一枚を踏みながら渡ります

参道の正面に 灯篭堂が見えます その奥の杉の木立の中に大師さんの御廟があります

灯篭堂の左側から進み御廟に最も近いところで 最後のお札を納め 蝋燭 お線香をあげ

納経 大師宝号「南無大師遍照金剛」は21遍唱え お遍路満願の報告をします

 御廟前には お大師さまを偲ぶ沢山の献花が所狭しと並んでいました

燈籠堂は真然僧正(大師の甥)が初めて建立し 1023年藤原道長公により再建されたといいます

堂内には千年近く燃え続けている 白河(上皇)灯 祈親(上人)灯(きしんとう)の 

「消えずの火」が二つあるそうです 貧しい生活の中 養父母の菩提を弔うために

 祈親上人のすすめで 自分の黒髪を切り売ってまで 奥の院の燈籠堂に

献燈したと伝わる 貧しいお照さんに因んで 「貧女の一灯」 

白河灯のことを「長者の万灯」とよぶ伝説が残っているそうです

また燈籠堂の薄暗い地下には天井一面に お大師さまに献上された灯篭が下がり 

壁面には小さな身代わり大師像がびっしりと並んでいます 

御廟に面する位置 御簾の向こうに お大師さまの入定されているお姿が

うっすらと浮かんで見えます(見えない方も居るようです)

その前にお大師さま座像のお姿で 何時もお持ちであった 

三鈷杵とお数珠が置かれ お擦りするとお大師さまの恩徳をいただけるといいます

高野山真言宗の別格本山龍光院 (2日目バスで移動の途中パチリ)

お大師さまがご入定されて 49日間龍光院に居られたとか???(ガイド兄ちゃんの話)

 

お大師さんの日々の食事を作っている御供所(ごくしょ)(前の画像)

(今回の写真)

 入定後は 生前と同じく食事 生身供( しょうじんく)を午前6時 午前10時の2回され

行法師(ぎょうほうし)によって調理された食事は

先ず 嘗味地蔵(あじみじぞう)に供え 味見をして 御廟に運ばれるそうです 

頌徳殿の左に 小さなお堂 嘗味地蔵(あじみじぞう)が祀られています

食事は御廟まで3人の僧侶さんで運ばれるそうです (お借り画像)

 

 水掛け地蔵の前に 頌徳殿

殿内には 納経所 お姿 御守りなどを売っています

茶堂

セルフサービスのお茶が用意され 参拝の人達の休息所になっています

茶堂あたりから左に分かれた参道を下ると

無縁塚

無縁塚をくだると

五輪塔を中心に 左に お大師さんの座像 右に修行大師の銅像があります

どうもここでメガネを落したような・・・ ケースに住所氏名電話番号まで書いてある

私にしてはかなり高価な・・・宿坊に帰って気が付いた・・・大師さま・・・(ー_ー)!!

英霊殿

第二次世界大戦の戦没者供養のため建立されています 

高野山1日目 

弘法大師空海 62歳で 永遠の悟りの世界に入られ

 今も奥ノ院であらゆる人々を救いつづけているといわれている 奥の院をあとにします

 宿坊 遍照尊院

 

遍照尊院玄関

高野山にはお寺が103あるそうです 52ケ寺が宿坊をしているそうです

大広間で夕食 もちろん精進のご馳走 美味しくて ヘルシー

 希望で 般若糖と名乗るお酒 麦般若と名乗るビールも許されています 

お膳に湯呑がついてなく 空になった器でお茶をいただくのが 修行だそうです

遍照尊院では朝 6時から 「勤行」(ごんぎょう 朝のおつとめ)が始まります

先ず理趣経(真言宗のお経)を僧侶さん達一同の読誦が行わます

お一人の僧侶さんのお経が流れる中 願い事を書いた護摩木を焚き 

燃え上がる炎の前で祈願成就を祈って下さり、護摩行を行いながら 

別の僧侶さんが 仏用具を持ち 一人ひとりに お加持祈祷を行います

背後より「えい」と力強い声で煩悩を打ち砕き 悪魔を払い仏の加護を頂きます

つぎに 一番偉い住職さんから「世の中は 「こそ」 の二文字の 置きどころ 

乱るるもこそ納まるもこそ」相手を立てて こそ世の中は丸く収まりますの

説法をいただきます「勤行」は約1時間で終わりました

 

応接間にあったのを無断でパチリ 左 一番偉い住職さんです 

 おしまい

 


平安神宮と神苑

2015年04月20日 | 日記

4月4日「京都御所春期一般公開と平安神宮八重紅枝垂れ桜」の某会社のバスツアーに参加

京都御所公開の参観が終わり 平安神宮に移動 京都の街は 御所の参観と桜巡りの

観光さんでしょうか 歩いている人もいっぱい 車ものろのろ 普段の何十倍も

人口がふくれあがった感じ! 京都は海外の観光さんが多いですネ~

バスが動かないのでバスの中から花見

ラッキ~~!! 水際の桜は良いもんです~~

さて 平安神宮は 平安京遷都当時の天皇 第50代桓武天皇を祀る神社として明治28年

 平安遷都1100年を記念して 第8回内国勧業博覧会の会場施設として創建されたそうです

社殿は平安京の約2分の1で復元され 二層の神門の応天門(おうてんもん) 

 一層の拝殿大極殿(だいごくでん) 拝殿左右の桜閣 東は蒼龍桜(そうりゅうろう) 

西は白虎桜(びゃっころう)と なっています 博覧会目的にしては す~ごく立派な建物です

 

            神門 応天門 平安京の5/8の大きさです                     手水舎 

外拝殿 大極殿 後方に 内拝殿 本殿が建っています     

応天門うをくぐると白砂のお庭が広がる 正面の一段高くなった龍尾壇に大極殿が建ってます 

平安京の2分の1で再現され 国の重要文化財です 前面には東に左近の桜

西に右近の橘が植えられています

祭神は 当初は桓武天皇だけでしたが 昭和15年(1940)平安京最後の

孝明天皇もご一緒に祀られています

ご利益は 開運 厄除 家内安全に 信仰されています

また 平安神宮の大祭 京都三大祭りの一つ 時代祭は平安神宮が創建された

明治28年から 毎年10月22日に行われ 維新勤王時代を先頭に時代を逆のぼり 

最後は延暦時代(桓武天皇時代)の弓・矢組の時代風俗行列が 

京都御所から平安神宮まで 練り歩くそうです ・・・一度見に来たい

額殿(がくでん) 昭和15年の建築

参拝者の休息や講演などに使われる建物です

この日は参観の方々が おぜんざいを食べて休んでいました

 

                 西の桜閣 白虎楼                       東の楼閣  蒼龍桜  (お借り画像

明治28年 平安遷都1100年紀念時に第8回内国勧業博覧会の

会場施設として建てられています

神楽殿(儀式殿) 結婚式も行われます

結婚式の一組がいました

  

  桜みくじ と書いて「はなみくじ」と読みます ひいたおみくじで 桜みくじが満開!

桜みくじは 三月下旬~四月中頃 桜の時期の期間限定のおみくじです

 

 平安神宮神苑の拝観券

神苑は大極殿の後 周囲三方に位置して 南神苑、西神苑、中神苑、東神苑の

面積は33,000平方メートル 池を中心に 周囲に園路を巡らしたお庭です

 築山 島 橋 名石など置き 池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれ

国の名勝に指定されています   

 

京都の代表的桜 八重紅枝垂れ桜 まさに満開 見事です

 明治28年日本で初めて京都の町を電車が走り

神苑内に その当時の最も古い電車が鎮座しています

 

   

 

 

         泰平閣(橋殿)                          尚美閣(貴賓館)水面に映る光景は絶景

紅しだれ桜の美しく咲き誇るさまは ほんまにけっこうどしたえ

おしまい


京都御所 一般公開

2015年04月16日 | 日記

4月4日「京都御所春期一般公開と平安神宮八重紅枝垂れ桜」の

某会社のバスツアーに参加 

古都京都 明治の初めまで 歴代の天皇(帝)のお住まいであった京都御所

広大な敷地の中に おおよそ20棟といわれる 御殿と美しい庭園を拝観 

 日本の美と平安の豪華な様子が伝わる 厳かな佇まいでした 

不順なお天気がつづくなか4日は瀬戸大橋も眺めれる良い天気に恵まれました

京都御苑図 (入場のときもらった栞から)

京都御所(宮内庁の管理)は京都御苑(国民公園で環境省の管理)のなかにあります

御所内 参観順路 図

 

築地塀(ついじべい)

御所は東西250m南北450mの築地塀の中にあり 周りには6つの御門があります

築地塀の裾には御溝(みかわ)がめぐり 水が流れています

 宜秋門(ぎしゅうもん)外側

築地塀の西側の中央にあり 皇族や摂政 関白 公家さんが出入りしたそうです

拝観者は 手前(上の写真白いテント)で荷物の点検を受けてこの門をくぐり御所に入ります

全国各地から 海外からも大勢の拝観の人出でした

 

諸大夫の間 (じょうだいぶのま)の 屏風絵  

下級貴族を諸大夫といい 参内した時の控えの間としての建物で 身分の上下によって 

襖絵が異なり 格の高い順に 虎の間 鶴の間 桜の間 の部屋が東から並んでいるそうです

 

障壁画

 

新御車寄(しんみくるまよせ)

大正4年(1915年)大正天皇の即位の礼に際して

 天皇 皇后両陛下 使用の玄関として建てられたそうです

 

月華門(げっかもん)から承明門の回路に生けられていた 生け花

月華門は天皇の御殿を構成する 内郭の門で 紫宸殿(ししんでん) 南庭(だんてい))を

回廊で取り囲んだ 西側の門で東側の門は日華門(にっかもん)といいます

 

承明門(しょうめいもん)

紫宸殿(ししんでん)の南正面の門です

天皇や上皇の出入りに使われたそうです

(スキャン画像)

紫宸殿(ししんでん) 御所の中心的な建物で南に面しています

即位礼など重要な儀式が執り行われる 最も格式の高い正殿で

正殿の中央に天皇の 高御座(たかみくら)その東に皇后の御帳台(みちょうだい)が

置かれ大正天皇の即位礼に造られ 昭和天皇の即位礼もこちらで行われ

 平成天皇の即位礼の祭には 東京に運ばれたそうです

正殿の前面には白砂の南庭(だんてい)が広がり東側に 左近の桜 

西側に右近の橘が植えられています

 建礼門(けんれいもん)内側

御所の正門

天皇専用の御門です

築地塀の南面中央にあり承明門 紫宸殿の正面に位置します

建春門(けんしゅんもん)内側

築地塀の東側の南寄りにあり

勅使 皇后 皇太子の使用門です

 

一般公開の4月5日 蹴鞠保存会による蹴鞠の催しが こちらで行われます 

春興殿(しゅんこうでん)

大正天皇即位のとき 皇位とともに継承される三種の神器の一つ 

神鏡を安置する所として建てられたそうです

(スキャン画像)

清涼殿(せいりょうでん)

東向きに建てられ 平安時代には天皇の日常の生活の場でしたが 御常御殿建造後 

主に儀式の祭に使用されるようになったそうです 

御殿の前面に 右に呉竹(くれたけ) 左に漢竹(かわたけ)が植えられています 

 清 

小御所(こごしょ) 諸々の儀式 皇太子元服の儀式などが行われる場所

昭和29年(1954)鴨川の花火大会の飛び火で焼失 同33年に復元されたそうです

舞楽の美しい人形が展示されていました

 

 

御池庭(おいけにわ)

池を中心とした回遊式庭園

前面は洲浜で その中に舟着への飛び石を置き右手に欅橋(けやきばし)が架かり

対岸には樹木を配し 色々な景色を楽しむことができます

御学問所(おがくもんじょ)の左面  天皇 親王 内親王の勉学をされた所

また月次の和歌の会などが行われたそうです

御学問所 正面

小御所と御学問所の間に 蹴鞠の庭があります

足で蹴って下に落とさないようにする遊びです

御常御殿(おつねごてん)   (お借りした画像)

豊臣秀吉献上の建物といわれろ御殿 中は天皇 女官の大小15の部屋があり

天皇の部屋は金箔の障壁画で覆われた豪華なもので

 天皇の日常の生活の場として使用され 御所の中で最も大きな御殿です

 

御常御殿の 金箔や最高の絵具を使った障壁画のコピーが展示されていました

 

御内庭(ごないてい)

松を中心とし曲折した池に 石橋を架けた庭で 奥に茶室があります

まずくて長いブログと写真で お疲れのことでしょう 御所のお庭を見て癒してください

 

 

御涼所(おすずみしょ)

天皇の夏季の納涼のための御座所として使われ東からの風を

受けるために東面が広く造られているそうです 奥には茶室を備えています

  

 御三間(おみま) 

内部は下段の間 中段の間 上段の間に区切られ それぞれの部屋には見事な襖絵があるそうです  

七夕や祖先の供養(盂蘭盆会うらぼんえ)などの内々の行事に使われたそうです

清所門(せいしょもん)外側

清所門は平常の日の御所参観(参観休止日もあります)の受付所になっており

参観の出入り口にもなっています 一般公開の時は出口になります

車返桜 駐車場から宣秋門への道路の左にあります

サトザクラの品種で八重咲き 別名御所御車返し(ごしょみぐるまかえし)といわれ

後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が外出された時 あまりの美しさに 

御車を返され 鑑賞されたことから この名が付けられたといわれています

長々おわりまで お付き合いくださいましてありがとうございました

大勢の人で写真を撮るのに夢中((+_+)) もう一度 秋の一般公開に来て

 ゆ~くりと御所内を拝観したいと思います

つぎは平安神宮 神苑の八重紅枝垂れ桜を愛でにまいります

 おしまい


医療生協安芸支部~春のバスツアー~

2015年04月12日 | 日記

4月1日 医療生協安芸支部では恒例の春のバスツアーで しまなみ海道

伯方島の桜・大三島の大山祇(おおやまづみ)神社・大島の村上水軍博物館

道の駅めぐりの欲張りツアーを計画 参加費一人6,000 入場料食事は

各自別途負担ということで・・・当初参加者35名を想定で計画のところ 44名の

大勢の参加者があり参加費 たったの4,500円で記念写真付き 道中では

あちこちの桜満開の 風景を楽しみ 大変 お得なツア~~でありました~~

先ず 今治市伯方町伊方(伯方島)の 開山(ひらきやま)の桜へ 

開山一帯は瀬戸内海 国立公園に指定されていて 標高149mの

山頂公園にはソメイヨシノやヒマラヤサクラなど5種類の桜が1,000本余り

植えられ シーズンには四国や中国地方からも大勢の観光客が訪れるそうです

山頂の展望台からは 360度広がる瀬戸内の島々や 大橋が一望できます

展望台の側に西国33の観音さまが並んでいました

 仏像 大好き~~

 だんごより さ く ら

 

展望台から ず~っと南へ下ったところ

 ほかのところも良かったけんど 遠くに大三島橋が見える

ここからが一番絶景やったぞね~

一番絶景の近くに こんな石像

なんという 石像さんやろ~~

つぎ 今治市大三島町(大三島)にある大山祇神社を参観

大山祇神社は三島明神ともいわれ 天照大神のお兄さん神 大山積大神を祀り

 全国にある大山祇神社 三島神社の総本社であるそうです

海・山・戦いの神さまとして 朝廷や 武将さんから崇拝されたそうです

  

高い石柱の書は知ちゅう人の名前やったに 抜けてしも~た~ 

 総門 700年ぶり2010年に再建され 奈良吉野の檜材を使って

総費用2億2千万円ですって 

 

 神門

拝殿 後ろに赤い御社 本殿があります

諸願全般成就 なんでもに ご利益があるそうです

 

境内の真中にある 御神木

 

 

神社は 楠の巨木群に覆われ 御神木が多く 原始林社叢として 日本最古といわれ

国の天然記念物に指定されていて また本殿や拝殿も重要文化財

宝物館には国宝 重要文化財がたくさん展示されているそうです・・・入館しなかった

鶴姫の銅像

大山祇神社の大宮司さん大祝(おおほうり )家の娘さん

1526年生まれ 女性ながら三島水軍で出陣し戦勝しながらも 戦いで

お兄さんや恋人を亡くし後追って18歳で 入水自殺をされたと伝わっています

大山祇神社には彼女が着用した女性用甲冑が重要文化財として保存されているそうです

大山祇神社の案内図

つぎに しまなみ海道を後戻り 今治市宮窪町(大島) 戦国時代 瀬戸内海の

海域を支配し 海の大名といわれた海賊衆 村上水軍の博物館を見学しました

 

 

1階は 特産品やグッズ販売 図書室で水軍講座 文献や資料で勉強ができます

2階は 常設展示室 能島の海での水軍の活躍や暮らしを復元 発掘された遺構や遺物も展示

     村上家記念室では子孫に伝わる水軍資料を展示 わくわく体験ルームでは甲冑や小袖を着て

     当時の雰囲気を体験できます

3階は 展望室 瀬戸の海を眺望 床面にはしまなみ海道の地図が広がり空中散歩が楽しめます

       館内写真はダメと言われました・・・

屋外展示 村上 影親公の像

能島水軍の全盛時代を築いた父武吉公の二男

戦国時代から江戸初期 小早川 毛利氏の家臣となり 文禄・慶長の役で

捕虜になった朝鮮貴族の娘さんを側室にされたそうです

村上水軍で活躍した軍船 小早船(こはやふね)

写真の船は水軍レース大会のために復元したもの

全長8.4m 幅2m 5丁櫓の搭載しているそうです

 瀬戸内海に関所を置き 通行料の徴収や水先案内海上警備 

運輸などの役目を果たした 勇猛果敢 勇ましく 勇敢な水軍であります

こどものころ 習った社会科を懐かしく思い出した見学でした(*^。^*)

つぎは おまけ! 時間に余裕が・・・ということで今治城へちょっこり

1602年 藤堂 高虎公によって築城  

お堀に海水を引き入れ 当時は海から堀へ直接船が出入りができ

海上交通に海を最大限に活用したお城だったそうです

鉄御門(くろがねごもん) 平成15年から19年に再建完成 

築城の名手といわれた伊予今治藩主 藤堂高虎公の像

 

現在の天守閣は 昭和55年(1980)に再建されています

満開の桜をバックに新婚さんの前撮りに出逢いました

 お幸せに!

 

そして私達も 満開の桜に酔いしれた 楽しい幸せな一日となりました

おしまい


四国国八十八ヶ所 第八十八番札所 大窪寺

2015年04月08日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 14回目

 平成27年1月11日 いよいよ結願の札所

第八十八番  医王大窪を参拝しました

大窪寺は717年行基によって開創され その後唐から帰国した弘法大師が

現在の 奥ノ院の岩窟で 求聞持法を修め 大きな谷間の窪地に本堂を建て 

薬師如来を刻んで本尊とし唐から持ち帰った 三国(インド・唐・日本)伝来の錫杖を

納めて四国霊場の結願寺とされたそうです 後に長宗我部元親軍の兵火 明治の火災で  

 堂宇はほとんど消失の繰り返し  高松藩主庇護や歴代住職の尽力で再興されています

詫び 84番~高野山までの投稿は平成13年9月~「お遍路徒然」で一度投稿をしていたブログに

      写真を加え投稿をしますのでよろしく 

大窪寺 境内図

 

   四国霊場 結願所の文字が刻まれた石柱

平成2年に完成の 豪壮な仁王門です 


 

金剛力士像 (覆っているものに 光が反射 残念!) 

渋い 堂々とした仁王さまです

 

境内側は 大草履が奉納されていま

仁王門をくぐると 左手に鐘楼

右手に手水場 

手前の石段を上がれば大師堂へ 右手を進めば本堂へ

二天門から石段を上り正面に本堂があります 

 

本堂内の正面に「霊場結願所」の大きな文字の額が掛かっています

ご本尊の薬師如来さまは 薬壺の代わりにほら貝を持ち 

厄難諸病を吹き払うといわれています

本堂の後ろに 多宝塔の屋根が見えます

 

本堂と並んで右に 阿弥陀堂

阿弥陀堂の石段の入り口に 山頭火の小さな歌碑と祠があります

「ここが打止の水があふれてゐる」 山頭火

阿弥陀堂の右手前端に 忠魂碑石仏

本堂前に 厄除け不動

不動明王を中心に五大明王が祀られています

降三世明王  軍荼利明王  不動明王 大威徳明王 金剛夜叉明王 

  

厄除け不動の近くに歌碑

あなうれし ゆくもかへるも とどまらむ われは大師と 二人づれなり

今迄は 大師とたのみし 金剛杖 つきて収める 大窪の寺

本堂左手前 石仏が新しく祀られています

左から 地蔵菩薩 宝手菩薩 阿弥陀如来 宝印手菩薩 持地菩薩 堅固意菩薩像

以前は水かけ地蔵さんが祀られていました 水かけ菩薩さんに変わった?

新しい石仏の左を上がると 納経所

 

納経所の左に手水場

 手水場の左に 己王大明神

己王大明神の左に結願修行大師像 

本堂の左手 山肌にお釈迦さまはじめ 如来さま 菩薩さま

 たくさんの石仏が並んでいます

大師堂へは石仏の左を進みます

途中に ?堂

そして 心経塔

信者さん達の 般若心経の 写経が奉納されるそうです

大きな錫杖をのせている 宝杖堂(ほうじょうどう)

結願されたお遍路さんの「同行二人」の金剛杖が奉納され 

 大護摩で供養され 奉納された方の 諸願成就が祈られるそうです

宝杖堂の前に原爆の火

大師堂 高野山の御影堂と造りが同じです

 

大師堂前にて 霊場八十八ヶ所巡り 最後の読経です

 般若心経 3回 光明真言 3回 高祖御寳号「南無大師遍照金剛」21回 

「願わくは 此の功徳を以って 普く一切に及ぼし 我らと衆生と

皆共に 仏道を 成ぜん」 回向文で締めくくりです

お先達さんは地面に座って 結願の読経をされました

大師堂の左に巨大な大師像

報恩謝徳を願う信者さんたちの寄進された像だそうです

  

大師堂の地下にある お砂踏み道場の入口です

(お砂踏みは今回は お詣りしませんでした)

88ヶ所の ミニご本尊が祀られ  

ご真言を唱えながら お砂袋を踏んで八十八ヶ所をお詣りをします

第88番大窪寺の お砂踏みの ご本尊 薬師如来さまの ほら貝が何者かに盗まれ

大先達花岡先生が ほら貝をプレゼントされたそうです

 

大師堂参拝が終わると 山門 二天門へ向います

 途中に弘法大師 幼少時の可愛らしい真魚(まお)像が祀られています

 

囲いの欄干の右におんな坂 左におとこ坂と刻まれ 

側に厄除けのご案内の立札があります

  

二天門の大草鞋に 小さな草鞋が ぶら下がっています

全行程1,400キロ余りという距離を歩き 結願の寺に辿り着いた

よろこびの証の奉納では・・・と思うと胸が熱くなります

 

 山門 二天門には四天王のうち持国天と多聞天が祀られています 門の前に修行大師も

歩き遍路さんたちは どんな思いでこの石段を上り

二天門をくぐられるのでしょうか・・・

お宿やお土産店 食堂などが並んでいる門前町 大窪寺を最後に

 ご開創1200年記念のバスツアー 四国八十八ケ所霊場巡拝は終わりました 

3月に高野山へ お大師さまとともに四国八十八ヶ所霊場巡りが 

無事結願できた ご報告に参ります

 おしまい 


四国八十八ケ所 第八十七番札所 長尾寺

2015年04月04日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 14回目

 平成27年1月11日 第八十七番  補陀落(ふだらくざん)長尾を参拝しました

長尾寺は聖徳太子の開創とも伝えられ 739年行基がこの地を訪れ道端の

やなぎの霊木で 聖観世音菩薩を刻み 小堂を建て安置し 法相宗で

開基されたのが 始まりとされています 806年~810年弘法大師が 

唐に渡る前に この地を訪れ 入唐が成功するよう護摩修法を行って

国家安泰と五穀豊穣を祈願し 人々に護摩符(お守り札)を

丘から投げたといいます  825年唐から帰国した時に 堂宇を建立し

真言宗に改宗 霊場とされ その後兵火により 本堂以外は消失 

1596~1615年領主 生駒一正公が再建され 1683年 

藩主松平頼重の命で堂宇を整備し 天台宗に改めたと伝わっています

詫び 84番~高野山まで 平成13年9月~「お遍路徒然」で一度投稿をしていたブログに

写真を加えながら投稿をしますのでよろしく 

長尾寺 境内図

 長尾の町並みに建つ 仁王門 

           

 仁王門の手前左右に経幢(きょうどう) 石柱の面に経文を刻んだ石柱です 

 左 弘安六年七月  右 弘安九年五月の銘が入り  四角の柱に

八角の笠と宝珠( 宝珠が写っていませんが)を乗せています 国の重要文化財です

鎌倉時代の讃岐の将兵の慰霊柱と伝えられています 

 

奉納の 大草鞋

  

仁王門は 鐘付の鐘楼門 1694年の建立です

 仁王門をくぐると 大楠のもとに手水場

境内に並んだ堂宇 

左から 護摩堂 本堂 大師堂

 

仁王門から正面に 本堂 1683年 藩主松平頼重公が堂宇を再建されました

ご本尊は 聖観世音菩薩  度重なる火災に不思議と難をのがれ

 讃岐七観音の随一と指定され秘仏です

ご真言 おん あろりきゃそ わか

苦難を除く仏さま ご真言を唱えるだけでどのような災害も救って下さいます

        

本堂の欄間の彫刻に 箒が刻まれています 

お釈迦さまの弟子の周利槃特(しゅりはんどく)は弟子の中でも頭が悪く 

仏の教え経文がなかなか記憶できず お釈迦さまは一本の箒 

一枚の布を与え「塵を払い垢を除かん」と唱えさせ 彼はお坊さん達の履物のチリを払い 

箒で各所を掃除しつつ 一心に「塵を払い垢を除かん」の意味を考え唱え 

チリを払い掃除することに徹底し 汚れが落ちにくいのは人の心も同じ だと悟り 

ついに仏の教えを理解して阿羅漢(聖者の位)になられた 伝説の箒物語です 

 お釈迦様の教えは

「わずかなことでも 根気よく 徹底して やればいつかは悟りは開ける」   

ではないでしょうか

本堂の左に 護摩堂

 

護摩堂の左の一角に 地蔵尊像と並んで 静御前剃髪塚があります

 源義経の妻 静御前が義経死後得度して下ろした黒髪を埋めています

 

剃髪塚などの左後ろに 本坊

お休み処納経所

屋根の相輪がりっぱな 大師堂 

 

 大師堂の縁に おびんづるさま

自分の痛いところを左手で びんづるさまのその箇所を右手で擦ると

ご利益があるそうです

 

大師堂の右に薬師堂 と 東門

薬師堂には 弁財天 薬師如来 枳尼天(とぎにてん) が祀られています

枳尼天は白狐に乗った天女像で 仏の神さまです

薬師堂に向かって右にある 東門は 栗林公園の 嶰の口御門(かいのくちごもん) と

いわれ 大正2年 御門が改修される時 当時の住職が払い下げをうけ

再現されたもので 昔は長尾寺の正門だったそうです

 

薬師堂の左の一角にきちっと整頓された石仏が並んでいます

画像は お釈迦さま 阿弥陀さま 薬師如来さま 

あらゆる霊を供養し 供養の大切さを教えて下さる三界萬霊地蔵尊も祀られています

        

     

大鏡力餅 (ダウンロード画像)

 お正月の7日 大師が入唐のとき 護摩修法を行い五穀豊穣を祈念して

 護摩符(お守り札)を投げたのが由来で 大会陽福奪(だいえようふくばい)

として伝わり 五穀豊熟と国土安穏を祈念する法要が営まれ

 福と書かれた福餅を投げる 福奪が行われます

また 三盆にのせた 150kgの大餅を運ぶ「大鏡力餅運搬競技」の 

行事も行われ 県内外から多くの人が参加して競い

1月7日は広い境内は大勢の人々で賑わうそうです

 すっきり並んだ堂宇や石仏の長尾寺を後に

次はいよいよ結願の寺 第88番大窪寺へバスで約20分です

おしまい