四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第15回目最終回は
平成27年3月20日から21日の2日間 お大師さまとともに「同行二人」の
四国八十八ヶ所霊場巡りが 無事結願できた ご報告とお礼参りに
今年はお大師さんが 高野山に真言密教の根本道場を開創されて1200年記念の
奥ノ院 大師教会 金剛峯寺 壇上伽藍 お大師さまとお母様 ご縁の慈尊院へ 参拝しました
高野山開創1200年記念絢爛壮麗な大法会は 平成27年4月2日から5月21日まで
50日間 奥ノ院 壇上伽藍 金剛峯寺などで連日営まれます
お詫び 84番~高野山まで 平成13年9月~「お遍路徒然」で一度投稿をしていたブログに
新しく画像を入れて投稿をしますのでよろしく
高野山 山内図
先ず 世界遺産 老杉が茂る 荘厳な佇まい 聖地の中の聖地といわれる
お大師さんがご入定されている 奥の院を参詣しました
「虚空盡衆生盡涅槃盡我願盡」 「南無大師遍照金剛」の門柱のある 一の橋奥ノ院入口
虚空盡衆生盡涅槃盡我願盡
「この世の迷い苦しむ人びとが全て さとりを得 幸せになるまで この世に
身を留めて 生きとし生けるものを 導き救っていく」
「という 弘法大師の お言葉であります この 同行二人済生利人の有難い御誓願に対して
私達は 南無大師遍照金剛の御宝号を 以て誠を捧げるのであります」と立札に記されていました
一の橋から御廟橋まで約2km 参道沿いには樹齢数百年の杉の巨樹がそびえ
20万余りとも言われる 国や宗派を超え あらゆる 階層の人々の 新しいお墓や
苔むした墓石 供養塔が さまざまな型で延々と続き 広大な 墓地になっています
手前の方は有名企業の供養塔が多い
国・宗派を問わないのが お大師さんの遺志
さて墓地代は?60㎝四方 お座布団一枚分 100万円!です
1972年7月5日 高知県繁藤の 大山崩れの 殉職者 殉難者慰霊像です
高野山を訪れる県民の皆さんの思いが 途切れることなくお花が手向けられているそうです
東日本大震災の犠牲者の供養の碑 が 12013年3月11日に建立されています
狂気の義父に両腕を斬られながらも カナリアが嘴で餌をやるのを見て
口で字を書くことを修行され 書画家になられ 後年は大石順教尼として
福祉活動に励まれ多くの 障害者の光となり 崇高な人生を歩まれたと伝えられています
お墓の後方に 腕塚があります
徳川家康の二男 結城秀康の石廟
奥に進むにつれ 杉の巨樹がそびえ 深々とした参道わきには
苔むした 著名人や戦国武将のお墓が多くなります
お大師さんの近くで供養されたいと願う 古の人たちが植えたと いわれる供養杉は
中には2本の根元がくっついたり 3本の根元がくっついたりして
夫婦杉・家族杉と言われています
化粧お大師さんと呼んでいます
お化粧をしてあげると美人になれるそうです
また目をどの角度から見ても しっかりと目と目が合い
何処に居ても お大師さんは私たちを見守って下さっています
苔むした五輪塔(供養塔)が広大な奥の院墓地にたくさんあります
上から 空 ・風・火・水・地を表しているといいます
普通は梵字を刻んでいるそうですが 写真のように まれに漢字を刻んでいるのもあるそうです
なぜかうつむいて 考えている?悩んでいる?思案にくれている?
三界萬霊地蔵
ありとあらゆる 精霊を供養するお地蔵さまです
水向け地蔵
先祖供養の経木を手向け水をそそいで ご先祖の冥福を供養するそうです
これはまえの画像 毎月21日は大師さんの月命日です
奥の院 弘法大師御廟で御影供(みえく)法要が行われます
水向け地蔵のあたりで 御廟の方から 下りて来る
僧侶さんの行列に出会いました
御廟橋 お大師さんはここで参拝者を出迎え 見送るといわれ 深く1礼します
ここから先は脱帽 禁煙 飲食 カメラは禁止です
玉川に架かる石橋は 36枚の橋板と 橋全体を一尊と数え 金剛界の37尊を表していると言われ
橋板の裏には37の梵字が刻まれ 橋を渡るときは 一枚一枚を踏みながら渡ります
参道の正面に 灯篭堂が見えます その奥の杉の木立の中に大師さんの御廟があります
灯篭堂の左側から進み御廟に最も近いところで 最後のお札を納め 蝋燭 お線香をあげ
納経 大師宝号「南無大師遍照金剛」は21遍唱え お遍路満願の報告をします
御廟前には お大師さまを偲ぶ沢山の献花が所狭しと並んでいました
燈籠堂は真然僧正(大師の甥)が初めて建立し 1023年藤原道長公により再建されたといいます
堂内には千年近く燃え続けている 白河(上皇)灯 祈親(上人)灯(きしんとう)の
「消えずの火」が二つあるそうです 貧しい生活の中 養父母の菩提を弔うために
祈親上人のすすめで 自分の黒髪を切り売ってまで 奥の院の燈籠堂に
献燈したと伝わる 貧しいお照さんに因んで 「貧女の一灯」
白河灯のことを「長者の万灯」とよぶ伝説が残っているそうです
また燈籠堂の薄暗い地下には天井一面に お大師さまに献上された灯篭が下がり
壁面には小さな身代わり大師像がびっしりと並んでいます
御廟に面する位置 御簾の向こうに お大師さまの入定されているお姿が
うっすらと浮かんで見えます(見えない方も居るようです)
その前にお大師さま座像のお姿で 何時もお持ちであった
三鈷杵とお数珠が置かれ お擦りするとお大師さまの恩徳をいただけるといいます
高野山真言宗の別格本山龍光院 (2日目バスで移動の途中パチリ)
お大師さまがご入定されて 49日間龍光院に居られたとか???(ガイド兄ちゃんの話)
お大師さんの日々の食事を作っている御供所(ごくしょ)(前の画像)
(今回の写真)
入定後は 生前と同じく食事 生身供( しょうじんく)を午前6時 午前10時の2回され
行法師(ぎょうほうし)によって調理された食事は
先ず 嘗味地蔵(あじみじぞう)に供え 味見をして 御廟に運ばれるそうです
頌徳殿の左に 小さなお堂 嘗味地蔵(あじみじぞう)が祀られています
食事は御廟まで3人の僧侶さんで運ばれるそうです (お借り画像)
水掛け地蔵の前に 頌徳殿
殿内には 納経所 お姿 御守りなどを売っています
茶堂
セルフサービスのお茶が用意され 参拝の人達の休息所になっています
茶堂あたりから左に分かれた参道を下ると
無縁塚
無縁塚をくだると
五輪塔を中心に 左に お大師さんの座像 右に修行大師の銅像があります
どうもここでメガネを落したような・・・ ケースに住所氏名電話番号まで書いてある
私にしてはかなり高価な・・・宿坊に帰って気が付いた・・・大師さま・・・(ー_ー)!!
英霊殿
第二次世界大戦の戦没者供養のため建立されています
高野山1日目
弘法大師空海 62歳で 永遠の悟りの世界に入られ
今も奥ノ院であらゆる人々を救いつづけているといわれている 奥の院をあとにします
宿坊 遍照尊院
遍照尊院玄関
高野山にはお寺が103あるそうです 52ケ寺が宿坊をしているそうです
大広間で夕食 もちろん精進のご馳走 美味しくて ヘルシー
希望で 般若糖と名乗るお酒 麦般若と名乗るビールも許されています
お膳に湯呑がついてなく 空になった器でお茶をいただくのが 修行だそうです
遍照尊院では朝 6時から 「勤行」(ごんぎょう 朝のおつとめ)が始まります
先ず理趣経(真言宗のお経)を僧侶さん達一同の読誦が行わます
お一人の僧侶さんのお経が流れる中 願い事を書いた護摩木を焚き
燃え上がる炎の前で祈願成就を祈って下さり、護摩行を行いながら
別の僧侶さんが 仏用具を持ち 一人ひとりに お加持祈祷を行います
背後より「えい」と力強い声で煩悩を打ち砕き 悪魔を払い仏の加護を頂きます
つぎに 一番偉い住職さんから「世の中は 「こそ」 の二文字の 置きどころ
乱るるもこそ納まるもこそ」相手を立てて こそ世の中は丸く収まりますの
説法をいただきます「勤行」は約1時間で終わりました
応接間にあったのを無断でパチリ 左 一番偉い住職さんです
おしまい