平成26年4月14日 第三十一番 五台山 竹林寺を参詣しました
竹林寺は聖武天皇(在位 724~749年)はある夜 中国唐の五台山で文殊菩薩を
拝んだ夢を見られ 天皇は行基菩薩に わが国にも五台山の霊地に似た山容を
見付けるよう 命じ 行基菩薩は 諸国を歩き 土佐のこの地が 天皇の霊夢に相応しいと
文殊菩薩を刻み寺を建て 安置したのが はじまりで その後(806~810年)に弘法大師が
この地を 訪れ「瑜加行法」を修法し 荒廃した堂宇を補修し霊場に定められたそうです
竹林寺境内図
納経所
本坊 客殿
客殿は江戸時代の初め 藩主参詣の接待殿として建立されたもので
高知県指定文化財 一部納経所となっています
客殿の周りに広がる庭園は鎌倉時代後期の 作庭で 国指定の名勝といわれています
位牌堂
2014年1月 高さ83cmの 木像阿弥陀如来立像に 徳川家康を供養する 内容の文字が
朱書きされていることが X線撮影で判明 家康の養女で 土佐藩2代目藩主山内忠義公の妻
阿姫(くまひめ)が奉納された像で 位牌堂に 安置されています
宝物館
国指定重要文化財 鎌倉 平安 室町時代作の 木像の立像 座像13体の仏像と
文殊菩薩像は50年に一度の開帳の秘仏ですが
待者像4体と 菩薩台座の獅子像は宝物館に安置され 有料で常時拝観できます
虚空蔵菩薩堂
丑・寅うまれの守り本尊
抜群の記憶力と 福徳 知恵を授けて下さいます
二層仁王門
金剛力士像
新暦と旧暦の1月16日に 仁王さんに鏡餅をお供えして中風除けを祈願する
習わしがあり大勢の信者さんが参詣されるそうです
手水場
ご本尊 ご開帳の お知らせ 看板
春期 平静26年4月25日~5月25日
秋期 平静26年10月25日~11月25日
本堂
屋根の曲線が美しい 杮葺き(こけらぶき)の本堂は 「文殊堂」とも呼ばれ
竹林寺にある 最も古い建造物で 1672年焼失したそうですが
土佐2代藩主山内忠義公によって再建され 国の重要文化財です
四国八十八ケ所で 文殊菩薩を ご本尊としているのは 唯一31番竹林寺だけです
ご本尊は4人の侍者を伴い 獅子にまたがった「騎獅子文殊」で 国の重要文化財です
騎獅子文殊菩薩像(ダウンロード画像)と4人の侍者(絵左から須菩提尊者・優填尊者・善財童子・最勝老人)
智慧を象徴する 文殊菩薩は お釈迦様の弟子の中で 最も智慧に長けていたといわれ
お釈迦さまは 文殊菩薩から 知恵を借りていたそうです
受験シーズンには 合格 学力向上を祈願する学生さんで賑わいます
接待所 売店もあります
本堂から 右奥に 聖天堂
歓喜天が祀られています
本堂と向い合せに 大師堂 1644年土佐2代藩主山内忠義公から 寄進されたそうです
朱色の五重の塔は 周りの緑と 青空に映えて美しいく 高さ31m
当初は 三重の塔だったそうですが 明治33年 台風で倒壊
昭和55年に信者さん達の 浄財で再建 されました
インドより分霊された お釈迦様の遺骨と大日如来が祀られているそうです
仁王門から石段を上がった 正面に 五智如来の石像があります
大師堂の裏手に 一言地蔵堂
願い事は120%ではなく 少し控えめの98%位がいいそうです
「赤ちゃんが授かりますように・・・」でしょうか 赤ちゃん地蔵さんがいっぱい奉納されています
仏陀(お釈迦さま)ドーム
船岡堂
明治の廃仏毀釈で廃寺となった 竹林寺を再興され
多大な功績を尽くされた 住職の船岡和尚が祀られています
この周辺は 奥ノ院とされています
池の中に 水かけ地蔵さん
子安地蔵堂
子供授かり 安産が出来るよう 祈願し子供を護って下さるお地蔵さまです
淡島堂
女性を護って下さる神様です 婦人病に霊験があるそうです
稲荷神社
五穀豊穣 商売繁盛の神様 祈願や願い事には 即効性があるそうです
お地蔵さまに 見守られている 無縁墓石
奥ノ院の 裏口にも 文殊菩薩の侍者が描かれて4月25日からの ご開帳の準備がされていました
バスツアーでは 毎回 奥ノ院から境内に入りますが 編集のを ありゃこりゃ(反対 )にしました
つぎ32番札所 禅師峰寺まで 約9km バスで20分です
投稿が後先になりましたが 5月20日に投稿をしました
「竹林寺 平成のご開帳」のブログもよかったら覗いて下さい ここ をクリックして下さい
おしまい