5月17日 昨日の大雨は何処へやら 新緑の風爽やかな初夏の兆し
夫さんが「もういっぺんあそこえいく~」ということで友達と6人で愛媛県新居浜市の
天空の歴史遺産「東洋のマチュピチュ」に行って来ました
ガイドさん同行の定期観光バス(11:00 と13:00)を利用テーマパーク「マイントピア別子道の駅」発着
道中はかなり狭いくねくねの山道 自身のあるマイカーさんと ときどき行き交う
バス内ではガイドさんの丁寧な説明が続く
別子銅山は1690年鉱夫の長兵衛さんが鉱脈を発見 岡山県の吉岡鉱山(住友家の経営)の
支配人田向重右衛門さんが調査し見事な鉱脈を探し当て1691年(江戸時代)住友家の経営で開坑し
1973年(昭和48年)閉山するまで約280余年の歴史があり 銅石を掘ることで難問に遭遇 難問がもとで
住友化学 林業 重機 電工など住友の会社が生まれていったそうです・・・など聞いているうち
標高750mの緑豊かな大自然に包まれたマイントピア別子「東平(とうなる)ゾーン」に着く
東平は大正5年から昭和5年までの間 別子鉱山の採鉱本部が置かれ 社宅・保育園・小学校・娯楽場・接待館
配給所・病院などが建てられ5000人もの人が住み 昭和43年に休止するまで大変賑わったそうです
小さい赤線の所を鉱山鉄道が通っていたそうです
駐車場から下を覗くと産業遺産の手前「貯鉱庫跡」その向こうに「索道停車場跡」
この220の階段を下ると 産業遺産 貯鉱庫跡・索道停車場跡があります
明治38年に造られた 重厚な花崗岩作りの 貯鉱庫跡
運ばれてきた鉱石を一時的に貯蔵するものでした
索道停車場跡
ここから今のマイントピア別子の端出場までをを結んでいた索道(リフト)跡
隣接の貯鉱庫から鉱石運搬 また生活用品・郵便・新聞なども運び住民の重要な主要運搬機関だったそうです
後ろの貯蔵庫跡と共にその姿は「東洋のマチュピチュ」と称され観光の目玉になっています
観光の目玉を左上から見ました
赤い屋根は社宅の再現だそうです 窓から台所の「おくど」見えました
索道基地跡から見下ろしました
鉱山へ向かう短い坑道(小マンプ )現在は運搬機器が展示されています
明治37年に造られた旧保安本部跡
現在はマイン工房として利用され 銅版レリーフ作りの体験ができます
駐車場の片隅にある 歴史資料館(無料)では東平地区の鉱山開発の歴史や生活文化を
ジオラマ・地形模型・写真・ 映像などで紹介 また銅に関する鉱石や製品も展示しています
別子鉱山280余年の歴史の中で東平地区の鉱山が栄えたのは採鉱本部が置かれた
大正5年から端出場に移転するまでの15年間だったそうです その間社宅や作業場が山の斜面に
建ち並びまさに天空の町といえる場所だったようです
「坂西ガイドさん わかりやすい説明をありがとうございました
土佐の酒飲みと同行 一番前座席難聴の昔の娘より」
つづいてマイントピア別子「端出場ゾーン」に行きました ガイドさんなしです
昭和5年(1930年)から昭和48年閉山まで採鉱本部があったその跡地を
別子鉱山開坑300年を記念して 鉱山の体験型遊学パークとして再開発されたそうです
マイントピア本館 「マイントピア別子道の駅」も兼ねています
明治期のレトロな赤レンガ造りの建物です
1Fはお土産・売店と 喫茶と軽食の「シェラトン」があり
2Fはレストラン「もりの風」 新居浜市街地図や鉱山関係パネルが展示されています
くつろぐ椅子もたくさん 鉱山鉄道乗り場もあります
3Fは和風宴会場「あかがねの間」120名まで収容可能
4Fはこども遊戯施設「あかがねキッズパーク」 別子温泉~天空の湯~があります
おいしく!楽しく!ゆったりくつろぐ!空間で~す
マイントピア本館の右手を上って行くと18、000本
四国最大級のシャクヤク園が見頃を迎えていました
鉱山鉄道に乗車 鉱山の体験型遊学パークへ行きます
当時のままのトンネルや 鉄橋(国の有形文化財)自然いっぱいの渓谷を眺めて走ります
終着駅に着くとマイントピア別子のマスコットキャラクター 銅太君が「ようこそ!」
端出場坑道
旧火薬庫を利用した全長333mの観光坑道になっています
見て 触れて鉱山の歴史を学び体感できます
観光坑道内マップ
江戸時代の採鉱の様子を人形で再現しています
想像もつかない苦労に驚きです
明治以降近代化が進み世界に誇る別子銅山も海面下の深部開発が進むにつれて地熱や地圧で
落盤を引き起こすようになり 市況低迷での業績悪化などから昭和48年(1973)283年の歴史に幕を閉じました
坑道の長さは約700km 下底坑道は海面下1,020mに達したそうです
別子銅山があって 住友財閥の礎ができ 新居浜市が栄えた事がよくわかりました
住友さまさまですね 「新居浜市」を「住友市」に変える話もあったそうですよ
おわり