論語を現代語訳してみました。
公冶長 第五
《原文》
子貢問曰、孔文子何以謂之文也。子曰、敏而好學、不恥下問。是以謂之文也。
《翻訳》
子貢〔しこう〕 問〔と〕いて曰〔い〕わく、孔文子〔こうぶんし〕 何〔なに〕を以〔もっ〕て之〔これ〕を文〔ぶん〕と謂〔い〕うか、と。子 曰〔のたま〕わく、敏〔びん〕にして学〔がく〕を好〔この〕み、下問〔かもん〕を恥〔は〕じず。是〔ここ〕を以て之を文と謂う、と。
子貢〔しこう〕 問〔と〕いて曰〔い〕わく、孔文子〔こうぶんし〕 何〔なに〕を以〔もっ〕て之〔これ〕を文〔ぶん〕と謂〔い〕うか、と。子 曰〔のたま〕わく、敏〔びん〕にして学〔がく〕を好〔この〕み、下問〔かもん〕を恥〔は〕じず。是〔ここ〕を以て之を文と謂う、と。
《現代語訳》
子貢さんはつづけて、孔先生に次のように尋ねられました。
衛国〔えいこく〕の元大夫〔もとたいふ〕・孔圉〔こうぎょ〕さんがお亡くなりになられて、文〔ぶん〕という立派な諡〔おくりな〕を賜〔たまわ〕ることができたのは、どうしてなんでしょうか、と。
先生は、次のように答えられました。
孔圉殿は、誰よりもすすんで学問を好み、目下や後輩の人にも教えを乞〔こ〕うことをためらわなかった。こういう謙虚〔けんきょ〕な姿勢が認められて、文という立派な諡号〔しごう〕を得たのじゃろう、と。
語り合う孔子と孔圉(=孔文子)
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
死んだのちのことは語らず…(/ω\)
けれども、孔子学院のお陰で、良くも悪くもこれだけ孔子の論語が世に広まったことは、かつて無いのではないかな?
シナ共産党の下、文化大革命で大弾圧を受けたあとは、日本と台湾でしか語られることがなくなってしまった孔子と論語ですが、良い意味で語り継いでいけるように、これからもっともっと精進していきたいですな。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 孔圉(=孔文子)は衛国の大夫。孔圉は生前中に不義を犯していたが、文という諡を賜った。子貢はそれを疑問に思い、孔子に尋ねたのであろう
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考