2010年7月某日
羽田空港の展望デッキでいつも何かがはじまる。
1年近く前、心身がボロボロの状態、辞める直前にここに来た。
大学の頃、その会社に内定が決まった日もここに立った。
ゼミ合宿や修学旅行のときもそう。
羽田にはいつも少し早めに行って、展望デッキに立つ。
絶景と言うほどの絶景ではないのだが、飛び立つ飛行機に何かが重なるのだ。
その何かが何なのかは判らない。
およそ1年ぶりのおじいとの再会だ。
去年は叔母と一緒におじいたちが大和へ来た。
当時横浜で勤めていた私は希望休をもぎとって、河口湖への旅行に合流した。
あれから1年、いろんなことがあった。
あのときの私は骨と皮状態だったこともあり、おじい、というかおばあの方が特に心配していた。
──元気になったら会いにいこう。元気になったあたしを見てほしい。
看護学校の受験が終わって一段落ついた頃、そう思ったのだ。
悠長なことを言っていられない事態が起こったのは、学校にも慣れてきて少し疲れもたまり始めた梅雨の頃だった。
母から
「あんた脊柱管狭窄症って判る?」
ちょうど解剖生理で脳・脊髄神経のページを読んだばかりだ。
それにその病名には聞き覚えがあった。
「背骨のあの間が狭まって脊髄やられちゃうやつでしょ。腰が超痛いって。車椅子の人が多いかな」
高齢者に多い、聞き慣れた病気だ。
知り合い(というか入居者)に多いから、湿布の張り替えやトイレ介助なんかをよくする。
「で、誰か狭窄症なの?」
「あんたのお父さんじゃなくて私のお父さんよ」
母は沖縄の家族の話をするとき、一人称が私になる。
『私』と聞いて、ハッとした。
しばらくして母は沖縄へ帰った。
手術を受ける祖父と世話をする祖母に付き添うという。
あたしも行こうか──と言い出しかけたが、どうしても外せない試験もあり、母も
「今回は病院に付き添うだけだから大丈夫」
と言った。
やっと会える。
おじいとおばあにやっと会える。
飛行機は速度を上げて、巨体を持ち上げる。
鉄の塊には無数の窓があって、たくさんの気持ちが映っている。
──飛べ!飛ぶんだ!
浮き上がった機体の影が滑走路に写る。
瞬く間に夏空へ飛行機が消えていく。
私が搭乗する予定だった飛行機は定刻より遅く発った。
鹿児島上空で少し揺れたらしいが、爆睡していたのでまったく気づかなかった。
シートベルト点灯サインのアナウンスで目が覚めると、眼下に海がうっすら見えた。
那覇が近づいている。
那覇空港はハイシーズンともあってかなりの賑わいだった。
人を掻き分けてスーツケースをとりにいく。
ゆいレールの出口のほうへ向かうため、少し外に出ると海の匂いがした。
暑いことは暑いのだが、熊谷の違う暑さである。
夕方の遅い時間帯だったので、パックに含まれているビジネスホテルに泊まることにした。
電話を入れておく。
「今那覇ついたから。明日そっち行くね」
ビジネスホテルの夜も慣れたものだ。
どうやら明日は暑くなるらしい。
サングラスか何かを買おうかな、国際通りなら売ってるかな。
少しリゾート気分になってくる。
サングラスはともかくとりあえずおなかがすいたので、近くの居酒屋へくりだすことにした。
「生1つ」
居酒屋に1人で入る女なんてどう思われるんだろう。
大方傷心旅行とかなんて思われるのかな。
そんな私の危惧はともかく、うちなんちゅは陽気である。
「どちらからいらした?」
「埼玉です」
「出張さ?」
「いえ、旅行で・・・帰省かな」
「うちなーの人?」
「祖父母に会いに」
キンキンに冷えた生ビールを飲み干したあとは、泡盛を少しずつ飲む。
ジーマーミー豆腐、紅いもの天ぷら、チャンプルー。
自分の食べたいものを食べる。
1人居酒屋はこれだからやめられない。
歌いだしたおじさんたちの声をBGMに小さく笑う。
ホテルに帰り、読書に耽る夜。
医学書は普段読んでるからその類は読まないことにした。
久しぶりに小説を読みたかったのだ。
スーツケースの中に5冊程度入れてきた小説を読み上げてみる。
薬を飲むのを忘れそうになるくらいに、快適な夜だった。
2日目。
酒を飲んだ割には早く起きた。
波之上宮へお参りをしにいこう、不意にそう思った。
初宮参りは確か波の上宮だったが、それももう4半世紀も前の話である。
波の上までの道を歩きながら、沖縄の朝を満喫する。
ビーチではもう泳いでいる人がいた。
──昔、よくきたっけな。
懐かしい市街のビーチも、橋の向こうに何かが建つらしい。
その向こう側をフェリーが通っていった。
ここでなら、あたしは海の魚になれそうな気がする。
バスは旭町のターミナルから出る。
その前に国際通りに行こう。
昨日見ていた雑誌の中で、気になるお店を発見したのだ。
「メロメロ石」
芸能人御用達、何でも願いが叶う。
神様仏様、パワーストーン様、何にでも頼りたくなる他力本願の私の目に留まらないはずがない。
説明を聞いている途中からなんだかうさんくささを感じたが、まあいいかと思い切ってアクセサリを購入した。
「4500円で人生メロメロになるのかしら」
衝動買いの代償は1駅歩きである。
バス停についたとたん、天気雨が降り出した。
「あっぶねー」
バスの行き先を確認し、乗り込む。
1時間もしないで祖父母宅の最寄のバス停についた。
「おじい、来たよー」
おじいが1人でテレビを見ていた。
「はっさ久しぶりさー」
懐かしい瞬間。
買い物に行っていたおばあが帰ってきて昼食となった。
「あのコルクボードは?」
私の両親やおばさんたち、いとこたちの写真が飾ってある。
肝心の自分はといえば、高校時代のものである。
「やだ、これ高校んときのじゃん」
「ひーちゃんの成人式の写真はねー・・・」
とおしゃべりタイムがはじまった。
夕方近くになると叔母や従姉妹たちがぞくぞくやってきた。
翌日は、生憎の雨だった。
午前中におじいの担当ケアマネージャーがやってくるという。
「認定調査だって」
「へえ」
ギリギリ午前中の時間にケアマネはやってきて、おじいとひとしきりしゃべっていた。
時々おばあとも笑いあっていた。
「お孫さん?」
「はい」
「ああ、前に話されてた。介護のお仕事されてるって」
「今は辞めて看護学生なんです」
へぇっと驚いたその人とは話が弾んだ。
「その選択に間違いはないよ、よく頑張ったねえ」
おじいとおばあの間でほめられて、少し気恥ずかしかった。
でも嬉しかった。
午後は新都心のメーンプレースへ出かけた。
3人だけで外食なんて何年ぶりだろうか。
「そういえば今年はうなぎ食べてないなあ」
とうな重を頼んだが、思った以上のボリューム。
外へ出ると交通規制が始まっていた。
このときはわからなかったが、家に帰ってニュースを見ると、ちょうど皇太子が来ていたまさにその瞬間だったらしい。
「どおりで混んでたんだ・・・」
熊谷より涼しいといってもやはり暑い。
3人で川の字になって昼寝をした。
せみの音がしみる。
今は何年何月だ──不意に思う。
ずっとこのまま、ここにいたい。
夕方、ドライブへ行こうとおじいが言った。
せっかくだから外食に、と南部のカレー屋さんを目指すことにした。
「大丈夫かねえ」
とおばあはおじいの体調を心配していたが、言いだしっぺがおじいだったのだから仕方がない。
ちょうど仕事を終えた叔母さんや叔父さんたちも一緒にいくことになった。
南部は真っ暗だった。
なんだか北海道に似ている。
函館か知床かどこかでこの風景をみた覚えがある。
半島の向かい側に見えるのは糸満あたりだろうか。
みんなで食べるスープカレー。
楽しい時間を写真に残す。
青い海も白い雲もないけれど、笑顔がある。
それであのコルクボードに貼ろう。
夜空は晴れ渡って、星が輝いていた。
翌朝にはまた雨が降っていた。
朝5時半。
「散歩行きたかったなあ」
と呟く。
今日の夕方の便で帰るから、今日が最後のチャンスだった。
しかし雨が降っていては仕方がない。
「なぁに、また来ればいいさ。ひいちゃんが来てくれたおかげで、寿命が延びたよ」
おじいがお風呂に入っているとき、
「なかなか会えないからたまには背中くらい流させて」
手持ち無沙汰だったこともあり、背中を洗った。
「去年にみんなで富士山行ったさ。あのときもひーちゃんが背中流してくれて、おじいは本当に嬉しかったんだよ」
涙が出てきそうになるのを必死でこらえた。
おじいちゃんは私が結婚するまでは死なない、とよく言う。
じゃあ結婚しない、と私もよく思う。
でもそれは違うとも最近思う。
ただもっと一緒に居たいだけだ。
普段できない場所の掃除を散々した。
シャワーをあびて、着替えたらいよいよ帰る。
「忘れ物はー?」
「大丈夫」
スーツケースをかついでアパートを出る。
──次は、いつ来れるだろうか。
曇り空の向こうに明かりが差す。
小禄駅で別れた。
「あんたはがんばり屋だからがんばり過ぎちゃあだめだよ」
1年に1度しか会えないのに、全てを見透かされている。
でも
「あの頃より元気になった」
って笑ってくれる笑顔が嬉しかった。
良かった、それだけでも本当に良かった。
「じゃあ、また来るから」
3人で笑って、笑って、改札口でどれくらいの時間が経っただろうか。
泣き出しそうだったから慌てて切符を買った。
「また、来るから──」
1人、ゆいレールに乗り込んだ瞬間、涙があふれた。
めんそーれの看板が目に沁みる。
ずっと雨が降っていた。
青い空も海もなかった。
でもここは私の沖縄なんだ。
遠ざかる市街地の景色を見て、何度も何度も上を見た。
ここが、私の沖縄だ。
那覇空港は案の定の混雑で、どこへ行っても人だかりができていた。
仕方がないので展望デッキにたつ。
有料だからここは人がいない、貸切だ。
響く飛行機の轟音に、大きく歌を歌ったら。
少し悲しさが消えた。
帰るんだ。
まだいたいけど帰るんだ。
埼玉には父と母が待つ。
全部話そう。
──いや少しは秘密にしておこう。
めんそーれの看板を、今度はきちんと見られるように。
羽田空港の展望デッキでいつも何かがはじまる。
1年近く前、心身がボロボロの状態、辞める直前にここに来た。
大学の頃、その会社に内定が決まった日もここに立った。
ゼミ合宿や修学旅行のときもそう。
羽田にはいつも少し早めに行って、展望デッキに立つ。
絶景と言うほどの絶景ではないのだが、飛び立つ飛行機に何かが重なるのだ。
その何かが何なのかは判らない。
およそ1年ぶりのおじいとの再会だ。
去年は叔母と一緒におじいたちが大和へ来た。
当時横浜で勤めていた私は希望休をもぎとって、河口湖への旅行に合流した。
あれから1年、いろんなことがあった。
あのときの私は骨と皮状態だったこともあり、おじい、というかおばあの方が特に心配していた。
──元気になったら会いにいこう。元気になったあたしを見てほしい。
看護学校の受験が終わって一段落ついた頃、そう思ったのだ。
悠長なことを言っていられない事態が起こったのは、学校にも慣れてきて少し疲れもたまり始めた梅雨の頃だった。
母から
「あんた脊柱管狭窄症って判る?」
ちょうど解剖生理で脳・脊髄神経のページを読んだばかりだ。
それにその病名には聞き覚えがあった。
「背骨のあの間が狭まって脊髄やられちゃうやつでしょ。腰が超痛いって。車椅子の人が多いかな」
高齢者に多い、聞き慣れた病気だ。
知り合い(というか入居者)に多いから、湿布の張り替えやトイレ介助なんかをよくする。
「で、誰か狭窄症なの?」
「あんたのお父さんじゃなくて私のお父さんよ」
母は沖縄の家族の話をするとき、一人称が私になる。
『私』と聞いて、ハッとした。
しばらくして母は沖縄へ帰った。
手術を受ける祖父と世話をする祖母に付き添うという。
あたしも行こうか──と言い出しかけたが、どうしても外せない試験もあり、母も
「今回は病院に付き添うだけだから大丈夫」
と言った。
やっと会える。
おじいとおばあにやっと会える。
飛行機は速度を上げて、巨体を持ち上げる。
鉄の塊には無数の窓があって、たくさんの気持ちが映っている。
──飛べ!飛ぶんだ!
浮き上がった機体の影が滑走路に写る。
瞬く間に夏空へ飛行機が消えていく。
私が搭乗する予定だった飛行機は定刻より遅く発った。
鹿児島上空で少し揺れたらしいが、爆睡していたのでまったく気づかなかった。
シートベルト点灯サインのアナウンスで目が覚めると、眼下に海がうっすら見えた。
那覇が近づいている。
那覇空港はハイシーズンともあってかなりの賑わいだった。
人を掻き分けてスーツケースをとりにいく。
ゆいレールの出口のほうへ向かうため、少し外に出ると海の匂いがした。
暑いことは暑いのだが、熊谷の違う暑さである。
夕方の遅い時間帯だったので、パックに含まれているビジネスホテルに泊まることにした。
電話を入れておく。
「今那覇ついたから。明日そっち行くね」
ビジネスホテルの夜も慣れたものだ。
どうやら明日は暑くなるらしい。
サングラスか何かを買おうかな、国際通りなら売ってるかな。
少しリゾート気分になってくる。
サングラスはともかくとりあえずおなかがすいたので、近くの居酒屋へくりだすことにした。
「生1つ」
居酒屋に1人で入る女なんてどう思われるんだろう。
大方傷心旅行とかなんて思われるのかな。
そんな私の危惧はともかく、うちなんちゅは陽気である。
「どちらからいらした?」
「埼玉です」
「出張さ?」
「いえ、旅行で・・・帰省かな」
「うちなーの人?」
「祖父母に会いに」
キンキンに冷えた生ビールを飲み干したあとは、泡盛を少しずつ飲む。
ジーマーミー豆腐、紅いもの天ぷら、チャンプルー。
自分の食べたいものを食べる。
1人居酒屋はこれだからやめられない。
歌いだしたおじさんたちの声をBGMに小さく笑う。
ホテルに帰り、読書に耽る夜。
医学書は普段読んでるからその類は読まないことにした。
久しぶりに小説を読みたかったのだ。
スーツケースの中に5冊程度入れてきた小説を読み上げてみる。
薬を飲むのを忘れそうになるくらいに、快適な夜だった。
2日目。
酒を飲んだ割には早く起きた。
波之上宮へお参りをしにいこう、不意にそう思った。
初宮参りは確か波の上宮だったが、それももう4半世紀も前の話である。
波の上までの道を歩きながら、沖縄の朝を満喫する。
ビーチではもう泳いでいる人がいた。
──昔、よくきたっけな。
懐かしい市街のビーチも、橋の向こうに何かが建つらしい。
その向こう側をフェリーが通っていった。
ここでなら、あたしは海の魚になれそうな気がする。
バスは旭町のターミナルから出る。
その前に国際通りに行こう。
昨日見ていた雑誌の中で、気になるお店を発見したのだ。
「メロメロ石」
芸能人御用達、何でも願いが叶う。
神様仏様、パワーストーン様、何にでも頼りたくなる他力本願の私の目に留まらないはずがない。
説明を聞いている途中からなんだかうさんくささを感じたが、まあいいかと思い切ってアクセサリを購入した。
「4500円で人生メロメロになるのかしら」
衝動買いの代償は1駅歩きである。
バス停についたとたん、天気雨が降り出した。
「あっぶねー」
バスの行き先を確認し、乗り込む。
1時間もしないで祖父母宅の最寄のバス停についた。
「おじい、来たよー」
おじいが1人でテレビを見ていた。
「はっさ久しぶりさー」
懐かしい瞬間。
買い物に行っていたおばあが帰ってきて昼食となった。
「あのコルクボードは?」
私の両親やおばさんたち、いとこたちの写真が飾ってある。
肝心の自分はといえば、高校時代のものである。
「やだ、これ高校んときのじゃん」
「ひーちゃんの成人式の写真はねー・・・」
とおしゃべりタイムがはじまった。
夕方近くになると叔母や従姉妹たちがぞくぞくやってきた。
翌日は、生憎の雨だった。
午前中におじいの担当ケアマネージャーがやってくるという。
「認定調査だって」
「へえ」
ギリギリ午前中の時間にケアマネはやってきて、おじいとひとしきりしゃべっていた。
時々おばあとも笑いあっていた。
「お孫さん?」
「はい」
「ああ、前に話されてた。介護のお仕事されてるって」
「今は辞めて看護学生なんです」
へぇっと驚いたその人とは話が弾んだ。
「その選択に間違いはないよ、よく頑張ったねえ」
おじいとおばあの間でほめられて、少し気恥ずかしかった。
でも嬉しかった。
午後は新都心のメーンプレースへ出かけた。
3人だけで外食なんて何年ぶりだろうか。
「そういえば今年はうなぎ食べてないなあ」
とうな重を頼んだが、思った以上のボリューム。
外へ出ると交通規制が始まっていた。
このときはわからなかったが、家に帰ってニュースを見ると、ちょうど皇太子が来ていたまさにその瞬間だったらしい。
「どおりで混んでたんだ・・・」
熊谷より涼しいといってもやはり暑い。
3人で川の字になって昼寝をした。
せみの音がしみる。
今は何年何月だ──不意に思う。
ずっとこのまま、ここにいたい。
夕方、ドライブへ行こうとおじいが言った。
せっかくだから外食に、と南部のカレー屋さんを目指すことにした。
「大丈夫かねえ」
とおばあはおじいの体調を心配していたが、言いだしっぺがおじいだったのだから仕方がない。
ちょうど仕事を終えた叔母さんや叔父さんたちも一緒にいくことになった。
南部は真っ暗だった。
なんだか北海道に似ている。
函館か知床かどこかでこの風景をみた覚えがある。
半島の向かい側に見えるのは糸満あたりだろうか。
みんなで食べるスープカレー。
楽しい時間を写真に残す。
青い海も白い雲もないけれど、笑顔がある。
それであのコルクボードに貼ろう。
夜空は晴れ渡って、星が輝いていた。
翌朝にはまた雨が降っていた。
朝5時半。
「散歩行きたかったなあ」
と呟く。
今日の夕方の便で帰るから、今日が最後のチャンスだった。
しかし雨が降っていては仕方がない。
「なぁに、また来ればいいさ。ひいちゃんが来てくれたおかげで、寿命が延びたよ」
おじいがお風呂に入っているとき、
「なかなか会えないからたまには背中くらい流させて」
手持ち無沙汰だったこともあり、背中を洗った。
「去年にみんなで富士山行ったさ。あのときもひーちゃんが背中流してくれて、おじいは本当に嬉しかったんだよ」
涙が出てきそうになるのを必死でこらえた。
おじいちゃんは私が結婚するまでは死なない、とよく言う。
じゃあ結婚しない、と私もよく思う。
でもそれは違うとも最近思う。
ただもっと一緒に居たいだけだ。
普段できない場所の掃除を散々した。
シャワーをあびて、着替えたらいよいよ帰る。
「忘れ物はー?」
「大丈夫」
スーツケースをかついでアパートを出る。
──次は、いつ来れるだろうか。
曇り空の向こうに明かりが差す。
小禄駅で別れた。
「あんたはがんばり屋だからがんばり過ぎちゃあだめだよ」
1年に1度しか会えないのに、全てを見透かされている。
でも
「あの頃より元気になった」
って笑ってくれる笑顔が嬉しかった。
良かった、それだけでも本当に良かった。
「じゃあ、また来るから」
3人で笑って、笑って、改札口でどれくらいの時間が経っただろうか。
泣き出しそうだったから慌てて切符を買った。
「また、来るから──」
1人、ゆいレールに乗り込んだ瞬間、涙があふれた。
めんそーれの看板が目に沁みる。
ずっと雨が降っていた。
青い空も海もなかった。
でもここは私の沖縄なんだ。
遠ざかる市街地の景色を見て、何度も何度も上を見た。
ここが、私の沖縄だ。
那覇空港は案の定の混雑で、どこへ行っても人だかりができていた。
仕方がないので展望デッキにたつ。
有料だからここは人がいない、貸切だ。
響く飛行機の轟音に、大きく歌を歌ったら。
少し悲しさが消えた。
帰るんだ。
まだいたいけど帰るんだ。
埼玉には父と母が待つ。
全部話そう。
──いや少しは秘密にしておこう。
めんそーれの看板を、今度はきちんと見られるように。
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