今日で、平成も終わりですね。残り7時間と30分ほどです。
新聞もテレビも今日明日はお祝い一色の感じがあります。
確かに、昭和天皇がご崩御された折には、自粛ムードがあり、少し暗い世の中だったような
気がします。
この度のお代替わりは、そういう意味では、明るくて関係者の方も準備万端で来たのではないでしょうか。
商売人の方々の、商売根性には改めて感心しています。
明日からの新しい年を祝うとともに、世界は流動しています。
日本を取り巻く情勢も決して安閑としてはおれません。
お祝いの気分は十分に味わうとともに、決して油断はしてはいけませんね。
さて、タイトルの「正田英三郎」というお名前は?
そうです、今日まで天皇陛下を支えてこられました、美智子皇后さまのお父さまですね。
日清製粉の会長を長く務めらていました。
美智子さまがご結婚されたのは、昭和34年4月10日のことで、私はまだ高校生でした。
家にはまだテレビはありませんでした。
近所のお宅にテレビがありましたので、沢山な人がそのお宅に集まり、見させていただいた思い出があります。
翌年、高校卒業後名古屋にある金融関係の会社に就職しました。
その会社の福祉施設として、軽井沢に寮があったのです。
その寮に夏の休暇を取って家族旅行に行った時の思いでの話になります。
軽井沢は、日本のアルプスといわれるところであります。
今でもそうですが、裕福な方々の別荘や会社の別荘が沢山点在していますね。
その頃の私も一人前?になって子供も2人授かっていました。
その子供たちは今は48歳と45歳にになりました。
その子供二人と今は故人となった家内と4人で家族旅行に出かけていたのです。
本当に涼しく夏の暑さを忘れさせてくれました。
貧乏人が行けることといったら、会社関係の施設を利用するしかありません。
確か3泊4日の予定でした。
2日目の夕方、家族で近くを散歩していた時でした。
あまり人通りがありませんが、向こうから二人連れのご夫婦が歩いてこられました。
私は気に留めていませんでしたが、家内が「お父さん、あの方は美智子さんのご両親と違うのかね~」
というのです。
私は、全く気が付きませんでしたが、言われるようにご夫婦を観察しますと、確かによく似ています。
私も、間違いなくご両親だと思いました。
そこで、わたしはご夫婦に声を掛けました。
『失礼ですが、美智子さまのご両親ですか?』と。
それこそ突然失礼な話でした。
すぐに、ご婦人から言葉がありました。
何と言われたと思いますか。
『お名前は?』ーーーの言葉でした。
一瞬思いました。上流階級の人は違うんだ!!!
とっさに、私は『○○会社に努めております、○○です。』と答えました。
美智子さまの母、富美子さん『○○会社ですか。存じ上げます。』とおっしゃって、
『すぐそこに、自宅があります。一緒に写真を撮りますか。』といわれました。
厚かましいですね。でも厚かましいよりも、皇太子殿下の奥方美智子さまのご両親と写真を撮れるのですよ!!!
こんな、こんなことは一生ありません。
当たり前です。その後の人生で、皇室関係の方とお会いすることはありません。
一生で一度の機会でした。
私達家族を連れて、ご夫婦が案内してくださいました。。
そして、別荘のお庭で、ご主人の英三郎さんは、お庭にいらっしゃつた運転手に
声を掛けられました。
『この方たちと写真を撮ってくれますか。』と。私は、運転手の方にカメラを渡し、 ご両親と私たち家族4人の6人をカメラに収めていただいたのです。
大変美しいお庭でありました。そのお庭で写真を撮ってもらったのです。
そこにいた時間は、写真を撮った時間だけでしたので、短い間でした。
でも、私も家内も子供にとっても大変な貴重なお時間をいただきました。
その写真は、今でも大事にアルバムに収めてあります。
宝物ですね。子供たちは覚えているかどうかわかりませんが。
大切な大切な写真であります。
40年ほど前の思い出話でした。
ーーー
今日の漢字は24日のブログ「老いを見つめてーーーNO42 平成を振り返って(良かったこと)」
の漢字の答えだけ書きます。問題の漢字は24日のブログを見ていただければありがたいです。
① 適者生存 ② 天真爛漫 ③ 一意専心 ④ 森羅万象 ⑤ 安全護符
以上でした。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた!!
新聞もテレビも今日明日はお祝い一色の感じがあります。
確かに、昭和天皇がご崩御された折には、自粛ムードがあり、少し暗い世の中だったような
気がします。
この度のお代替わりは、そういう意味では、明るくて関係者の方も準備万端で来たのではないでしょうか。
商売人の方々の、商売根性には改めて感心しています。
明日からの新しい年を祝うとともに、世界は流動しています。
日本を取り巻く情勢も決して安閑としてはおれません。
お祝いの気分は十分に味わうとともに、決して油断はしてはいけませんね。
さて、タイトルの「正田英三郎」というお名前は?
そうです、今日まで天皇陛下を支えてこられました、美智子皇后さまのお父さまですね。
日清製粉の会長を長く務めらていました。
美智子さまがご結婚されたのは、昭和34年4月10日のことで、私はまだ高校生でした。
家にはまだテレビはありませんでした。
近所のお宅にテレビがありましたので、沢山な人がそのお宅に集まり、見させていただいた思い出があります。
翌年、高校卒業後名古屋にある金融関係の会社に就職しました。
その会社の福祉施設として、軽井沢に寮があったのです。
その寮に夏の休暇を取って家族旅行に行った時の思いでの話になります。
軽井沢は、日本のアルプスといわれるところであります。
今でもそうですが、裕福な方々の別荘や会社の別荘が沢山点在していますね。
その頃の私も一人前?になって子供も2人授かっていました。
その子供たちは今は48歳と45歳にになりました。
その子供二人と今は故人となった家内と4人で家族旅行に出かけていたのです。
本当に涼しく夏の暑さを忘れさせてくれました。
貧乏人が行けることといったら、会社関係の施設を利用するしかありません。
確か3泊4日の予定でした。
2日目の夕方、家族で近くを散歩していた時でした。
あまり人通りがありませんが、向こうから二人連れのご夫婦が歩いてこられました。
私は気に留めていませんでしたが、家内が「お父さん、あの方は美智子さんのご両親と違うのかね~」
というのです。
私は、全く気が付きませんでしたが、言われるようにご夫婦を観察しますと、確かによく似ています。
私も、間違いなくご両親だと思いました。
そこで、わたしはご夫婦に声を掛けました。
『失礼ですが、美智子さまのご両親ですか?』と。
それこそ突然失礼な話でした。
すぐに、ご婦人から言葉がありました。
何と言われたと思いますか。
『お名前は?』ーーーの言葉でした。
一瞬思いました。上流階級の人は違うんだ!!!
とっさに、私は『○○会社に努めております、○○です。』と答えました。
美智子さまの母、富美子さん『○○会社ですか。存じ上げます。』とおっしゃって、
『すぐそこに、自宅があります。一緒に写真を撮りますか。』といわれました。
厚かましいですね。でも厚かましいよりも、皇太子殿下の奥方美智子さまのご両親と写真を撮れるのですよ!!!
こんな、こんなことは一生ありません。
当たり前です。その後の人生で、皇室関係の方とお会いすることはありません。
一生で一度の機会でした。
私達家族を連れて、ご夫婦が案内してくださいました。。
そして、別荘のお庭で、ご主人の英三郎さんは、お庭にいらっしゃつた運転手に
声を掛けられました。
『この方たちと写真を撮ってくれますか。』と。私は、運転手の方にカメラを渡し、 ご両親と私たち家族4人の6人をカメラに収めていただいたのです。
大変美しいお庭でありました。そのお庭で写真を撮ってもらったのです。
そこにいた時間は、写真を撮った時間だけでしたので、短い間でした。
でも、私も家内も子供にとっても大変な貴重なお時間をいただきました。
その写真は、今でも大事にアルバムに収めてあります。
宝物ですね。子供たちは覚えているかどうかわかりませんが。
大切な大切な写真であります。
40年ほど前の思い出話でした。
ーーー
今日の漢字は24日のブログ「老いを見つめてーーーNO42 平成を振り返って(良かったこと)」
の漢字の答えだけ書きます。問題の漢字は24日のブログを見ていただければありがたいです。
① 適者生存 ② 天真爛漫 ③ 一意専心 ④ 森羅万象 ⑤ 安全護符
以上でした。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた!!