今日は、いい天気でしたねーー、少し暑いくらいでした。甲子園球場はゴールデンウイーク真っ盛りで満員。球場全体がトラの黄色に染まっていましたね。 年寄りにとっつては、このくらいの暑さ温度がちょうどよいくらいで優しいかもしれませんね。 やさしいといえば、日本経済新聞に「シニアにやさしい街」の調査結果が出ていましたね。 調査項目は「社会参加偏差値」「生活支援・予防偏差値」 「認知症対策偏差値」「医療介護偏差値」の38項目について調査した結果だそうです。 結果は、やっぱり。という結果でした。 ベスト5位 1位 板橋区 2位 栃木県 小山市 3位 新宿区 4位 荒川区 5位 石川県 能美市 ワースト5位 1位 山口県 萩市 2位 千葉県茂原市 3位 福島県 本宮市 4位 北海道 三笠市 5位 徳島県 阿波市 ベストの第5位の石川県能美市は意外でした。が立派と言えると思います。 お金持ちの自治体が、環境が整っているといえますね。地方の自治体のまかなえるお金が少ないと言えるでしょうね。 だからといって、それではその市に転居するか? といば、そんなことをする人は、まずいないでしょうね。 「シニアにやさしい街」かどうかよりも、その人にとって、例えば、買い物弱者ということもありますが、いかに住みやすいか、どうかでしょうね。 シニアにとってではなくて、その人にとっての価値観の問題でもあると思いますが。皆さんはいかがですか?
朝鮮半島が騒がしい。アメリカの空母カールビンソンが日本海に入る。 北朝鮮が非常に危険な国であり、米国にとって優先課題であると指摘。 韓国にはTHAADを配備し、海には空母で監視する。北朝鮮の問題はシリアのように簡単に攻撃は出来ない。問題が複雑すぎる。 トランプ大統領は、テーブルの上には「あらゆる選択肢がある」と語り、北朝鮮が一線を越えたら攻撃するようなことを語っている。 では、米国の一線とはどんなことを指すのか? [一つは、ICBMであり、もう一つは核実験を実施する]と解されている。トランプ大統領は、外交的に解決したいとも語っているが、「非常に大規模な紛争」が起き得るとの考えている。とも語っている。 これほど困難なことになったのは、国連安保理がキチンと機能していない点であると思う。拒否権という厄介な権利が存在し、しかも、安保理で決定したことがチャンと守られていないことが、大きな問題であると思われる。 守らない国とは、言わずと知れた国==中国が裏から北朝鮮を援助している。ざるである。 この点、前大統領オバマ大統領と違ってトランプ大統領は、中国を何とか動かして、北朝鮮を抑え込もうとしている。この姿勢は、同盟国としてもありがたいことである。 しかし、日本としてはどんなことが出来るのか?もどかしい限り。憲法が、行く手を阻んでいる。 掲題の件ですが、日本には「一線」があったとしても、「拱手傍観」で「日本有事」となり攻め込まれる。といった事態にならなければ動かないのではないか。 一個人として、何とも歯がゆい。------ 皆、どう思っているのでしょうか? 聴きたいものである。
家内の叔母さんが引っ越しした。 93才である。実は、1月1日生まれで、自分の母と生年月日が同じである。 自分の母は、もう、よぼよぼであるが、おばさんは元気。杖をついて外を歩ける。私は70才半ばは過ぎた。が、目は加齢黄斑円孔で耳は難聴でしかも補聴器を付けている。耳も両耳とも耳鳴りに年がら年中悩まされているが、おばさんは、耳も目も良い。おばさんは、今まで、一人暮らし。 いままで、我が家から2分くらい離れた場所に住んでいたが、賃貸住宅の家賃が高く引っ越しすることになった。 当初、府営住宅に申し込みをしたが、条件がきつく申し込みも出来なかった。家内が、UR賃貸住宅に確認したところ、条件は問題なくすぐに空き部屋に入れることになり、準備出来次第入ることとなった。 さあ、それからが大変。独り暮らしではあるが、なんせ、物が多い。 ここで「断捨離」。 やはり、年と共に物が増えていく。でも、おばさんたちの年代は、「勿体無い」の精神の持ち主のため、「モノ」がなかなか捨てることが出来ない。 横道に逸れるが、自分の母は、同い年ではあったが、ものをどんどん捨てていけた人である。 引っ越しの荷物つくりに、家内とおばさんの格闘が始まった。おばさんは「これは要らない、これはおいとく」等々。 家内は「あの世に、何も持ってはいいけない」---等々。 人には、考えもある、が、執着は持たない方がよい。!!! こんな機会こそ、「モノ」の「断捨離」ができる。
今日もいい天気だった。 午前中には、特定検診に出かけた。風邪をひいて1か月くらいになる。のどがいがらいし少しまだ咳が出る。身体が怠い。それでも、60%から70%位は良くなってきている。 特定検診と言っても、大阪府が費用を負担をしてくれるためただで受けられる。ありがたいのだが、項目がちとばかり少ないのが玉にきず。文句を言っている場合でもない。糖尿病のために年一回受ける。
薬は飲まない。サプリメントだけ飲んでいる。結果が楽しみである。 今日は、風薬をもらった。でも飲まない。今度風邪をひいたら、飲むかもしれない。薬とは、その程度のものである。 さて、午後三時からはボランティアである。枚方市の「青パト」に参加している。ボランティア活動のグループに入っているため、車が迎えに来てくれる。6小学校巡回して回るのである。 風薫り、車の窓を開けると、空気がおいしい。気持ちがいい。花々が満開である。 今の時期、生け垣は、「芝桜」が満開、白にピンク。鮮やかや色が、目を楽しませてくれる。また、ピンクの「ハナミズキ」もいい、もっと美しいのが 真っ白な「ハナミズキ」。私は、この真っ白な「ハナミズキ」が好きだ。心が洗われる思いになる。「つつじ」や「藤の花」も咲きだした。来週くらいには満開になるであろう。 今一番見事なのは、「もっこうばら」かもしれない。我が家の近所に喫茶店がある。店全体を囲むようにその「もっこうばら」の見事なこと。別名「八重咲黄花」ともいう。黄色の花いっぱいに入口も囲われ、おとぎの国に入っていくような感じになる。 公園には、「ビオラ」や「パンジー」が穏やかな日差しを受けて子供たちに笑顔を見せている。 ボランティアの「青パト」活動でもこの時期が、一番楽しい。防犯活動で巡回しているが今まで何事もなく来ている。消防活動と同じで、何事もなく過ぎていることが何より。身体能力が低下している自分ではあるが、この活動は続けていけそうである。
薬は飲まない。サプリメントだけ飲んでいる。結果が楽しみである。 今日は、風薬をもらった。でも飲まない。今度風邪をひいたら、飲むかもしれない。薬とは、その程度のものである。 さて、午後三時からはボランティアである。枚方市の「青パト」に参加している。ボランティア活動のグループに入っているため、車が迎えに来てくれる。6小学校巡回して回るのである。 風薫り、車の窓を開けると、空気がおいしい。気持ちがいい。花々が満開である。 今の時期、生け垣は、「芝桜」が満開、白にピンク。鮮やかや色が、目を楽しませてくれる。また、ピンクの「ハナミズキ」もいい、もっと美しいのが 真っ白な「ハナミズキ」。私は、この真っ白な「ハナミズキ」が好きだ。心が洗われる思いになる。「つつじ」や「藤の花」も咲きだした。来週くらいには満開になるであろう。 今一番見事なのは、「もっこうばら」かもしれない。我が家の近所に喫茶店がある。店全体を囲むようにその「もっこうばら」の見事なこと。別名「八重咲黄花」ともいう。黄色の花いっぱいに入口も囲われ、おとぎの国に入っていくような感じになる。 公園には、「ビオラ」や「パンジー」が穏やかな日差しを受けて子供たちに笑顔を見せている。 ボランティアの「青パト」活動でもこの時期が、一番楽しい。防犯活動で巡回しているが今まで何事もなく来ている。消防活動と同じで、何事もなく過ぎていることが何より。身体能力が低下している自分ではあるが、この活動は続けていけそうである。
断捨離の中で一番厄介なのは何なのか? 私は、「離」ではないかと思います。断捨離とは「こころ」の問題であるからです。ではなぜ、「離」がむつかしいのか。 「断、捨」も「こころ」が軽くなるからですね。でも、「離」は、どうでしょうか、「断、捨」とはならないのです。 以前、こんなご婦人と知り合いになりました。その方は、10年以上も前にご主人を亡くされていました。 ご婦人とは、短歌の会で知りあいました。 ご婦人と御主人様は恐らく仲が良かったのでしょうね。夜になって、ご主人のことを、思い出しては涙を流されているとのことです。 ご主人が着られていた背広もいまだにたくさん残しておられるようです。このように、「モノ」や「コト」と違って「情」は難しいですね。特に、情はなかなか捨てたり、断ったり、離したり出来ないのです。 私自身は、70歳半ばを過ぎました。すでに、断捨離をかなり進んでいますが、この中で、「離」がやはり一番難しい。 肉親への思いは、断と捨は絶対と言ってもよいくらいに出来ない。従って、離をどのくらいできるかであろうと思う。肉親ーーー親、兄弟姉妹、配偶者、子供。この中で、親、兄弟姉妹とは比較的早い段階に離れていくように思う。特に男であれば早くから独立していくのではないだろうか。(でも、現代は晩婚のために親たちと同居の期間が長くなっているようだが。) 父が亡くなった時にはすでに独立しかなりの年月が過ぎていた。このためか、あるいは自分は冷たいのか、父の死の現実に冷静になっており涙は出なかっつた。 昨年には父の死後30年過ぎたので、「祖霊祭り」を行い、「先祖代々之霊位」の位牌の方へ移って頂いた。 後妻である母は、自分の養い親となり高校を卒業するまで面倒を見てくれた。今は、93歳になり一人で暮らしているが、身体能力の低下が激しく、 伝い歩きが精一杯であり、ヘルパーさんに週3回も通ってもらい家事等の応援をしてもらっている。昨日、妹から電話がありました。母が骨折したとのことです。恐らく、もう、あの年では回復の見込みはないかもしれません。 父や母に対しての「離」は、このように離れて暮らしていたためか、「心」を乱すこともなく、一定の距離をおいて相対することが出来る。 それでは、亡くなった先妻に対してはどうか? 当然33年も一緒に生活し、子供も2人も生んでくれた大切な人である。斎場への運び入れる前の棺の前ではこらえなくなって大粒の涙を流した私でした。 正直、3年位だったか悲しみに暮れていた。 その頃、自分は「短歌」の同好会に入っていた。短歌は中断していたが、そのメンバーの中の一人がいつまでもくよくよしていても始まらないと「カラオケ」に引っ張り出してくれたのである。このカラオケがいまでも自分の趣味としていまだに続く。ありがたいことである。 その後の 故人・妻への思いはどうか。ここに「離」がどうなのかが出てくる。 「離」は出来る。しかし、「断」や「捨」は出来ない。 人間とは良くしたもので、年月が少しずつ忘れさすのである。別に言えることは、「死者」は「生者」に迷惑をかけてはいけないという。また、「生者」は「死者」に迷惑をかけてはならないのである。それはなぜか? 「生者」は「死者」の修行を邪魔をしてはならないのです。 前述のご婦人に見られるように夜な夜な故人を思い涙を流すのは、「死者」のあの世においての修行の妨げになるのです。 心情的には、よくわかる。しかし、涙を流すことや「故人」の遺影を飾ることは、故人が生きていたことの思いを引きずらすことになるのです。 「写真」については、「お彼岸」や「お盆」には飾ってもいいが、日常には飾らないほうが良いのです。「死者」が生前の自分をの姿を見ては、この世に未練をのこし、修行の妨げになってしまうからです。 私は、写真は、お彼岸、お盆、そして、命日以外は飾らないようにしています。その方が、 亡くなった方たちにとっても、生者にとっても良いのです。