雪の季節となった今、あの日がまざまざと蘇ります。雪が降ると気持ちが暗くなります。
3月11日のあの時迄は、いつも通りの穏やかな日々でした。
人生に於いて沢山の試練の道を歩んできた私ですが、あの日を境に、その試練がとても小さな事だった様に感じます。
近い将来、必ず起こると言われていた宮城県沖地震を意識して生活していましたので、あの最初の瞬間「来たか!」との思いにかられました。
宮城県人でそう感じた人は少なくないと思います。
なので、大なり小なり覚悟をしていた私でしたが、あんな悪夢になるとは想像もしていませんでした。
子供の頃から私にとって、宇宙はロマンであり、自然は美しく、地球は優しい存在でした。
でも、そんな思いは無惨にも打ち砕かれました。
あの日、現地の人間には情報が入らず、世の中で何が起こっているのかさえ分からない状態でした。
それよりも、全く連絡が付かない母の安否ばかりが気に掛かり、夜中迄探し回りました。
母の家も、足の踏み場がない程の状態で部屋へ入る事が出来ず、玄関から大きな声で呼び掛けました。
家具の下敷きになっているのではないか。
真っ暗な中、思いは暗い方暗い方へと沈み込こんで行きました。
お蔭様で母は無事でしたが、百貨店の地下で震災に遭い、近くに居たお姉さんに手を握ってもらいながら「大丈夫ですよ!大丈夫ですよ!」と励まされて居たとの事でした。
その後も、見知らぬ沢山の方々に助けて頂き私の家迄辿り着く事が出来ました。
東北では一体今何が起こって居るのか。
車中で二晩ガタガタ震えながら見たTVには、今迄見た事もない巨大津波の映像。
その映像が現実のものなのかさえ判断が付きませんでした。
慣れ親しんだ場所が、津波で全て欠き消えて行くあんな映像を、受け入れる事自体出来ませんでした。
だけど、現実はむごかった。
そのむごさを知った2011年。
沢山の尊い命を奪われ、想い出のいっぱい詰まった家屋を奪われ、私達はなすすべもなく、涙も出ない程・・・たぶんまだ全ての現実を受け入れられない状況で、今年は終わりを告げようとしています。
大好きだった海だったのに、今の私にはまだ恐怖感しかありません。
友人達を奪った海を又好きになる迄には、何年もかかるかもしれません
今後、同じ様な天災はどこかで起きます。
1人1人がこの大震災を風化させず、次は自分の身に降りかかるかもしれない、と云う高い意識を持ちながら生きていかなければいけません。
生きると云う事がどう云う事なのかを真摯に考え、1日1日を大切に大切にしていかなければ。。。
そして、無念の死を遂げると云う事がどういう事かを真剣に思い、生かされた私達の役割りを考え、そして動いていかなければいけません
。
重く悲しく辛い年となってしまった2011年。
2012年は、笑顔の多い年になります様にとの願いを込めて。。。
3月11日のあの時迄は、いつも通りの穏やかな日々でした。
人生に於いて沢山の試練の道を歩んできた私ですが、あの日を境に、その試練がとても小さな事だった様に感じます。
近い将来、必ず起こると言われていた宮城県沖地震を意識して生活していましたので、あの最初の瞬間「来たか!」との思いにかられました。
宮城県人でそう感じた人は少なくないと思います。
なので、大なり小なり覚悟をしていた私でしたが、あんな悪夢になるとは想像もしていませんでした。
子供の頃から私にとって、宇宙はロマンであり、自然は美しく、地球は優しい存在でした。
でも、そんな思いは無惨にも打ち砕かれました。
あの日、現地の人間には情報が入らず、世の中で何が起こっているのかさえ分からない状態でした。
それよりも、全く連絡が付かない母の安否ばかりが気に掛かり、夜中迄探し回りました。
母の家も、足の踏み場がない程の状態で部屋へ入る事が出来ず、玄関から大きな声で呼び掛けました。
家具の下敷きになっているのではないか。
真っ暗な中、思いは暗い方暗い方へと沈み込こんで行きました。
お蔭様で母は無事でしたが、百貨店の地下で震災に遭い、近くに居たお姉さんに手を握ってもらいながら「大丈夫ですよ!大丈夫ですよ!」と励まされて居たとの事でした。
その後も、見知らぬ沢山の方々に助けて頂き私の家迄辿り着く事が出来ました。
東北では一体今何が起こって居るのか。
車中で二晩ガタガタ震えながら見たTVには、今迄見た事もない巨大津波の映像。
その映像が現実のものなのかさえ判断が付きませんでした。
慣れ親しんだ場所が、津波で全て欠き消えて行くあんな映像を、受け入れる事自体出来ませんでした。
だけど、現実はむごかった。
そのむごさを知った2011年。
沢山の尊い命を奪われ、想い出のいっぱい詰まった家屋を奪われ、私達はなすすべもなく、涙も出ない程・・・たぶんまだ全ての現実を受け入れられない状況で、今年は終わりを告げようとしています。
大好きだった海だったのに、今の私にはまだ恐怖感しかありません。
友人達を奪った海を又好きになる迄には、何年もかかるかもしれません
今後、同じ様な天災はどこかで起きます。
1人1人がこの大震災を風化させず、次は自分の身に降りかかるかもしれない、と云う高い意識を持ちながら生きていかなければいけません。
生きると云う事がどう云う事なのかを真摯に考え、1日1日を大切に大切にしていかなければ。。。
そして、無念の死を遂げると云う事がどういう事かを真剣に思い、生かされた私達の役割りを考え、そして動いていかなければいけません
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重く悲しく辛い年となってしまった2011年。
2012年は、笑顔の多い年になります様にとの願いを込めて。。。