田舎へ行ってご/見てご!

二地域居住(田舎暮らし)、花・写真、古民家めぐり、旅、日々のあれこれなど。

蕎舎(そばや):つくば市

2022年08月01日 | 古民家っていいなぁ。(県外)

昨日、7月生まれの娘夫婦のお祝い会でつくば市にランチに行ってきました。

店は「みずほの村市場」の敷地内にあり「蕎舎(そばや)」と言います。

建物は20年前、約150年前の農家住宅を移築したそうです。

食い気が先行して、またしても食事の写真を撮り忘れました。メニューの名前どおりのものですが。

因みに「鴨汁そば」、「天もりそば」などをいただきました。写真は入口の照明です。

 


長竿亭:河内町

2020年09月22日 | 古民家っていいなぁ。(県外)

18日(金)、BOSOのフルハウスに行く途中、遠回りをして昼食に立ち寄りました。

場所は茨城県稲敷郡河内町長竿(かわちまちながさお)。

千葉県側からは成田市から利根川を挟んで反対側。

旧家「長竿邸」は、空家になって10年後に河内町に寄付され、再生後、まちの小さな拠点「長竿亭」として誕生。

家主であった長竿家はこの地域の名主だったそうです。薬医門でしょうか?

この建物は、大正時代に建てられ、土間と田の字の平面構成など伝統的な民家スタイルを残しています。

改修前に台所だった土間の客席

「長竿亭」では、昼は北海道旭川江丹別産の蕎麦粉を使った手打ち蕎麦が頂けます。

もりそばを大盛りにしても200円増しの700円と大変リーズナブル。私は舞茸の天ぷら200円をトッピングしました。

皿にはかみさん注文の野菜かき揚げ、竹輪も盛られています。

夜は予約制で店主おまかせの懐石料理が頂けます。

8畳2間の続き間。一番奥は書院(付書院、床、床脇)のある座敷。

オジギソウやツリバナなどが植栽された庭。建物にマッチし、落ち着く空間になっています。

左側が元来客用玄関。右側が和室8畳。大量の「こけし」を展示。現在、収蔵・展示用の離れを建築中です。

欄間も渋いですね。

同じ敷地にある築200年以上の土蔵。

中には入りませんでしたが、蔵カフェ「S-Garage Coffee」として営業中。

 

 

 


一之江名主屋敷part2:江戸川区

2019年03月14日 | 古民家っていいなぁ。(県外)

昨日、久しぶりに江戸川区の「一之江名主屋敷」(都指定史跡、区登録史跡)を訪れました。

前回訪れたのは、昨年の8月17日、真夏でした。(詳細は前回のblogをご覧ください)

入口脇に咲いていた「ボケ」の花。

この屋敷は、江戸時代のはじめに一之江新田を開発した「田島家」の住居で、元禄時代(以降、一之江新田の名主を務めていました。

敷地平面図と間取り(区HPより)。敷地面積は約2000坪(公園部分除く)。

田島家は名主として村の民政を行い、武士のような「門構え」と「玄関」を許され、自宅を役所として公務を行いました。

門構えを許された農家では、好んで「長屋門」を造ったようです。建築年代は不明ですが江戸後期頃と推定されています。(約52㎡)

長屋門の閂金具の飾りになっている釘隠し(乳鋲、饅頭金物、乳金物などと言う)

内側から見た、長屋門。

主屋は、1774年(築240年)に再建されたもので、面積は約270㎡(約84坪)。天保年間(1830~1844)に土間の部分が増築され「曲がり家」となりました。

土間部分。妻側(東)の入口。入母屋造り。三角の部分は「破風」
経年による損傷が目立ってきたことから、平成元年度から4年度にかけ、主屋、長屋門、蔵のすべてを一度解体してから江戸時代末期から明治時代にかけての状態に復元しています。


主屋の茅葺屋根は野鳥による引き抜きや樹木からの滴りによる腐朽が目立ち、雨漏りも見られるようになり、

平成18年に全面葺き替え(材料は静岡県御殿場のススキ)を実施。葺き替えにはなんと5000束、約30tもの茅を使用したそうです。

「出桁(せがい)造り」の軒

平成23年に田島家から建物と土地の一部が寄贈(一部は区が購入)され、区の所有となり、平成28年には隣接する「春江二丁目公園」を取り込み、歴史公園として整備。こちらに「展示棟」を設け、田島家の民具を移動しました。

「ダイドコロとカマド」。


土間の「マス(穀物の収納庫)」。
主屋(曲がり家)は、住まい部分と土間部分に分けられますが、土間は脱穀などの農作業をしたり、用具の置き場に使っていました。

住まい部分は、畳の部屋と板の間があり、玄関に面した座敷は名主を務めている時は公用の場所でした。


畳の部屋の天井は「棹縁天井」。土間は「根太(踏板)天井(上の写真)」で、この上に水害時の救難用の舟が乗っているそうです。


土間の大黒柱。

「イタノマ」。「イロリ」が復元され「自在鉤」、「火棚(ほだな)」を設置。毎日、囲炉裏で茅を燻しているそうです。

「ナンド」、「ホトケノマ」。仏壇、神棚は移動が可能。

「欄間」も質素。

仏壇(左)、右側の下が稲荷神社の神棚(屋外に屋敷神のお稲荷さまを祀った神社があります)。上には一般的な神棚があります。

また、板の間の内、「ダイドコロ・女中部屋」が梁組のままで天井がありません。

「ツギノマ」、「ナカノマ」、「イタノマ」。右側が「ゲンカン」

「槍掛け」

「オクザシキ」。こちらも質素な造りの「床」。何故か天井の棹縁が「床差し(挿し)」になっています。

主屋の「シキダイ付ゲンカン」は、名主の格式を表したもので幕末から明治に造られたものです。

二間間口の「ゲンカン」を正面から。

「イリカワ(入側)」は座敷と濡れ縁の間の通路で、外部から矢を射られたときに畳を立てて防衛した場合もあるそうです。

「濡れ縁」

外側から見た主屋の「濡れ縁」、「イリカワ」

江戸時代末期の様子に復元された「南庭」

屋敷畑跡から見た主屋(北面)

北側の広大な屋敷林(防風など)






旧大塚酒造:坂東市

2018年11月02日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
27日の古民家巡り。最後は、坂東市観光交流センター「秀緑」にある国登録有形文化財の「旧大塚酒造」(店舗兼主屋・本蔵)です。
大塚酒造は平成22年に廃業しましたが、坂東市が2棟を買い取り、2年前の11月に市の「観光交流センター 秀緑(しゅうろく)」として開業した。
「秀緑」は、市中心市街地に残る旧蔵元の酒蔵などを生かした集客施設で野菜や土産物販売、陶芸・木工の体験工房などがあるほか、本蔵は市民が交流できる多目的ホールに、店舗兼主屋は総合案内所として利用されています。

この日は、ハロウィン仮装コンテストがあり、変装した子供たちも沢山来ており、大変賑わっていました。

「秀緑」と言うのは「旧大塚酒造」が醸造していた日本酒の銘柄で、これを施設名にしたそうです。

本蔵は明治28年の建築で、約790㎡に及ぶ大規模な醸造蔵。コンサートから同窓会まで、広く利用できるイベントホールとして活用されています。
建物の窓側には酒蔵に関する様々な道具や資料が展示されています。

本蔵の側面

本蔵の中央にある多目的ホール。

ホールの外周部。通路と展示を兼ねているようです。

「火打ち梁」ではないかと?

酒のラベル

煙突

煙突の裏に大正12年、下野(しもつけ)煉瓦との記載があります。

総合案内所になっている店舗兼主屋。明治中期の建築で、瓦ぶきの2階建て。桁行15m、梁間10mの規模で、屋根は寄棟造桟瓦葺。

整形四間取り平面を基本とするが、東南角に台所を突出させ、座敷背面に廊下を廻らすなど近代的な様相を示している。

梁と天井。壁は漆喰塗り。

変装したした人たちとは違和感のある場違いなじいじ6人は早々に退散しました。
柏で二次会を17:15スタートで予約していましたが、16:30頃には会場に着いてしまい、前倒しで飲み会に突入しました。

長塚節(たかし)生家:常総市

2018年10月31日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
下妻市の古民家café「あかり家」での昼食後、常総市(旧結城郡石下町)にある「長塚節(たかし)の生家」(茨城県史蹟指定文化財)を訪れました。
こちらは今でも長塚家の子孫の住居(東京在住)になっており、この日は案内人(飯塚さん)から一つ一つ丁寧に説明を聞くことが出来ました。

歌人であり、小説「土」で有名な作家でもある長塚節の生家は、町の北より、鬼怒川から約1km西に離れた位置にある大字国生にあり、田畑が広がる平坦地です。
節は3歳のころ小倉百人一首をそらんじて、神童といわれましたが、病弱で病気療養を兼ねて諸国を歩き、九州で、37歳の生涯を終えました。

屋敷の南面は道路に面し東西約60m余り、南北は80m余りで東南角が鋭角に変形している広大な敷地です。建物は江戸時代後期に建てられました。

長屋門全景

長屋門の入口

入口脇に建つ節の銅像
南道路に面して建つ桁行17.5m、梁間5.5mの大きな瓦葺の長屋門を入ると、正面に南面して茅葺の主屋が建っています。

長屋門と主屋との間は、ほぼ長屋門の桁行巾を方形とした空間です。
主屋は西方に書院を突出部として接続した規模の大きな建物(桁行9間、梁間6.5間)で、屋敷のほぼ中央に位置します。

長屋門の西端から主屋の書院境にかけて瓦葺の屋根塀を設けて西側を内庭と区切り、中央に本瓦葺の中門(切妻、本瓦葺)があります。

中門の両サイドにある彫刻。こちらは亀が3匹。反対側は鶴が3匹です。
内庭は自然木と庭木を巧みに配置した庭園です。
長屋門の両脇の道路沿いは樹木で囲み、門の東には納屋があります。
背面は樹木と竹林に覆われ、書院の後方に稲荷社(屋敷神)、その後に土蔵が一棟が建ち、背後は竹林が繁っています。 (説明は県HPより引用)

書院(桁行5間、梁間5間)へはここで靴を脱ぎ、障子を開けて入ります。

一般公開されているのは書院のみで母屋は現在でも持ち主が利用しているそうです。
書院の内部。節が実際に旅の道中、お気に入りの詩を記しながら使用した旅傘や愛用していた机、直筆の原稿や手紙なども見ることができます。

豪農ぶりを伺わせる生家の庭とのことですが残念なことに管理が行き届かず荒れた印象でした。
最後にお恥ずかしながら、私は民文学の名作『土』を読んだことも無く、長塚節の名前すら知りませんでした。
なお、長屋門の向かいにある案内所は毎週土、日、月曜日オープンで、案内時間は午前10時から午後4時です。

この後、坂東市にある「逆井城跡公園」を訪れました。別ページへ。