田舎へ行ってご/見てご!

二地域居住(田舎暮らし)、花・写真、古民家めぐり、旅、日々のあれこれなど。

街かどCafe YADOYA:柏市

2022年06月15日 | 古民家っていいなぁ。(千葉県内)

ドジですね!

14日は間違ってblogをダブってUPしてしまいました。

 

久しぶりの古民家ネタです。

先日、築120年の古民家『街かどCafe YADOYA』に行って来ました。

昨年の暮れにオープンしたそうです。

以前、UPした『古民家カフェコハレキッチン』のすぐ傍です。

なぜ「YADOYA」かというと、昭和30年代まで旅館だったことが由来のようです。

いろいろリフォームしているようで古民家としては少し残念な外観です。

2階が客席で1階が調理場になっています。(左側が2階の入口)

私が頼んだ「鶏もものグリル

かみさんが注文した「YADOYAのサラダランチ」です。

食後は腹ごなしにあけぼの山農業公園を散策

先ずは「水生植物園」の「ハナショウブ(花菖蒲)

'15~NPOが再生に取り組み、年々花数を増やしているそうです。

次に農産物直売所「とまとハウス」の「アメリカノリノキ’アナベル’

別名:アメリカアジサイ

ザクロ(柘榴)」ヒメザクロかも?

ヤマアジサイ’ベニガク’(山紫陽花’紅額’)

さくら山に新たに植えられた「サクラ’ジンダイアケボノ(神代曙)’

てんぐ巣病に罹りにくく、開花時期と花の特徴がソメイヨシノと類似するということで「ソメイヨシノ」の代用品種として植えられています。

 

 

 

 

 


佐倉宗吾旧宅:成田市

2019年11月22日 | 古民家っていいなぁ。(千葉県内)

17日(日)、BOSOからの帰路、遠回りをして成田市にある「佐倉宗吾旧宅」を訪れました。

現在17代目の当主、木内さんが丁度御在宅で詳しく案内して頂きました。 

本名を「木内惣五郎」といい、江戸時代、佐倉藩の苛政※に苦しむ農民の窮状を幕府に直訴し、捕えられて家族もろとも死罪となった人です。(※厳しすぎる政治)

仏間。

歌舞伎の演目にも取り上げられており、歌舞伎役者が見えられ、その時の記念写真が飾ってありました。

旧宅は江戸時代から伝わる”かのこ建て”と呼ばれる建築様式で、土台を設けず丸石の上に直接柱を建てています。

寄棟造りで築約400年です。当初は茅葺屋根でしたが現在はトタン葺きに変えられています。

玄関・土間

式台玄関や大黒柱を造らなかった時代とのことです。小屋組みの梁は珍しくケヤキ材を使用していました。

(文章は一部、パンフレットを引用させて頂きました。) 

 


古民家カフェ「きのこくらぶ」:成田市

2019年11月19日 | 古民家っていいなぁ。(千葉県内)

17日(日)、BOSOの帰路「麻賀多神社」の裏にある古民家カフェ「きのこくらぶ」に立ち寄りました。

私達は「麻賀多神社」へ参拝してから、森の中の裏道を抜け、カフェに行きました。「え!こんな所にカフェが?」という感じの裏道でしたが、ちゃんとのぼり旗がたっています。

神社から裏道を行くとまず見える錆びたトタンの外壁。廃屋のような納屋を改装したとのことです。

健康をテーマに自然の食材にこだわったカフェです。

これが外観です。9月末に放送されたNHK Eテレの「ふるカフェ系 ハルさんの休日」に登場したカフェです。

料理は、奄美群島にある徳之島の食材や70年続く老舗干物店・越田商店の「鯖の文化干し」などを使った栄養たっぷりの定食です。“お肉料理の定食”や”きまぐれ御膳”もあります。

椅子やテーブルはデザインがバラバラですが、これがまたいい感じです。

店内には古民具がディスプレーされ昭和レトロな雰囲気を醸し出していて、大変落ち着くカフェです。

私達は「ブレンドコーヒー」のみの注文でしたが、次回は定食を食べに行きたいと思います。

同一敷地内には昨年5月にリニューアルオープンした多世代型シェアハウス「村楽(そんらく)」(手前)があります。

築50年の古民家をリノベーションして単身の男女を問わず入居できますが、現在6室全て満室のようです。


茂木佐邸part2:野田市

2019年08月26日 | 古民家っていいなぁ。(千葉県内)

「キッコーマンもの知りしょうゆ館」見学の帰りに立ち寄りました。

真冬の’18.2.25(冬Ver)にUPした「古民家っていいなぁ。(千葉県内) 」で紹介した「 茂木佐邸」(現野田市市民会館)の夏Verです。(詳細は冬Verを! 内容、一部、重複)

正門。戸板は幅の広い一枚板(材は?)です。

正門を入って左側が「野田市郷土博物館(昭和34年開館)」で、千葉県で最初の登録博物館です。

大正13年頃に建てられた、野田の醤油醸造家である茂木佐平治氏の旧宅で、庭園に囲まれた純和風の趣きのある邸宅です。昭和20年代後半まで実際に居住していました。

主屋は木造平屋建瓦葺、寄棟造の家屋(建築面積618㎡)で「国登録有形文化財」です。昭和31年10月、主屋や庭園およそ5,000㎡の敷地が野田市に寄贈され、昭和32年に市民の福祉施設として開館しました。

庭園は平成20年に千葉県初の「国登録記念物(名勝地関係)」に登録されました。

巨大な石灯篭

入母屋造の屋根をのせた車寄せが付く玄関

縁側は半分が畳敷き

廊下用の照明。

左が主庭園。廊下の突き当たりは中庭です。

左から床脇、床、付(出)書院。

長押(なげし)は床柱に「雛止め」になっています。

障子の幅はかなり広いものです。

風呂場は腰高までタイル張りで、上部の壁はベンガラ塗りです。天井は格天井で、一部網代張りです。

 

因みに『亀甲萬(キッコーマン)』は茂木佐平治家が使っていたものです。

 


旧井上家住宅②:我孫子市

2019年07月03日 | 古民家っていいなぁ。(千葉県内)

30日(日)、BOSOの帰り道「旧井上家住宅」を再訪しました。井上家は我孫子市の東端にあり、江戸時代には利根川舟運の主要な港町として栄えた布佐郊外の「相島新田」にあります。

手賀沼開墾に尽くした豪農・名主で、相島新田は井上家が開いたことで知られています。

1.母屋、2.二番土蔵、3.新土蔵、4.旧漉場、5.表門、6.裏門 計6棟が「市指定文化財」です。

【2018年6月25日に「旧井上家住宅」+「紅屋」(我孫子市)「古民家っていいなぁ」(千葉県内)で紹介済】

母屋(安政5年(1858年)築)。木造平屋建て(約76坪)、江戸末期の典型的な上層農家の格式。建てられた当初は茅葺でしたが、戦後屋根の痛みから現在の鉄板で覆われました。

今回は昨年7月末に保存整備工事(H28~H30)が終わった「二番土蔵」(外観のみ)を中心に、視点を変えて観てきました。

二番土蔵:嘉永4年(1851)築。土蔵造2階建、桟瓦葺。倉五番と書かれた「鍵札」も見つかっているため、この他にも4つ蔵があったと考えられています。

洪水からの被害を避けるために「水塚(みづか)」と呼ばれる盛土の上に築かれています。「二番蔵」の下にある石垣部分が「水塚」

 

「二番土蔵」の二階部分。両側に蔵の補修作業の際、梯子や縄、丸太などを掛けられるようにするための「折れ釘」(半円球:ツブ)があります。二階の観音開戸が中心から右に寄っているのはなぜだろう?

土蔵の入口。黒漆喰塗りの「戸前」(観音開戸)と腰高の格子蔵戸。防火対策から壁の厚さは30cm以上あるでしょうか?中に入ることはできませんでした。

家紋(井筒に三つ星)。左が「折れ釘」と角材、下見板。

井上家で使われていた二つの家紋が母屋土間の入り口に透かし彫りされています。

こちらの「丸に片喰(かたばみ)」の家紋は塀など至る所にあります。

古色塗りの「下見板(したみいた)」を釣り廻しています。

土蔵の外壁板は写真のように、「角折れ釘」を用いて木製の角材で固定します。 これは、近隣で火災が発生した時に、この角材を叩き落として即座に板壁を外し、延焼を防ぐものです。また、角材で外壁板(下見板)を止めるためのものでもあったとのこと。

 

屋根は切妻屋根。大棟を「青海波(せいかいは)積み」にしている。 樋も「折れ釘」に支持金物で取り付けてあります。

大棟の「青海波積み」の拡大写真。屋根の上部にある棟部分は漆喰と瓦により、青海波を模しています。

母屋は寄棟造りで、軒は出桁造(せがい造)。桁行12間、梁間6間半で、北東の土間の上部に2階を設けています。「式台玄関」は大正から昭和にかけて増築。

 

「唐破風(からはふ)」。「懸魚(げぎょ)」は破風板の下に装飾を目的として付けられる彫刻(これは鳳凰?)を施した板のこと。屋根の上にある飾りは「唐破風棟鬼飾り」でしょうか?

「蟇股(蛙股)(かえるまた)」下の蟇股の中央にも家紋の片喰紋があります。

式台玄関の「格天井」。大正12年以降に電気が開通していたと考えられています。

明治15年、松平乗長家(美濃岩村藩元城主)から嫁入りの際に持ってこられた葵の家紋の入った「長持」。彫金を施した金具に漆塗り仕上げで豪華な作り。

母屋の土間入口

母屋の土間から見た内部

式台玄関から見た母屋内部。差し鴨居は間口三間あります。残念な天井の化粧合板?。

土間から見た母屋内の「帳場」

南側のガラス戸。何時のものでしょうか?

石の「手水鉢」と縁側の軒先に吊り下げられている「手水器?」or「吊り手水?」。なぜ同じ機能のものが二つあるのでしょうか? 

広縁(切縁)。進行方向に対して横張りが武家造りになっていて、板と板の間には若干の隙間がとられてあり、身分の高い方が歩いた時に滑らないように配慮しているという説もあります。

座敷には上がれないので詳しくは判りません。

左は「平書院?」、中央が「床」(畳部)、右側が「床脇」。天袋・地袋の絵も由緒ありそうです?

「透かし彫り欄間」。なんの模様が彫られているのか暗くてよく判りませんでした。機会があれば上がってじっくりと見させて頂ければと思います。

大正~昭和にかけて増築された北側の「釜屋(炊事場)」。鉄筋コンクリート造として貴重な事例。

母屋と中庭(南側)

 

中庭

中庭から望む「相島新田」

灯篭の名称は判りませんが、全体的に曲線で柔らかな印象です。(中庭)

中庭の入口付近にはこんなに変わった灯篭も。

母屋の南西角にあった巨大な羽釜。油製造に使われていたようです。

「新土蔵」(昭和5年築(1930年))の全景。平屋(桁行六軒、梁間三間)、桟瓦葺、壁は金網+モルタル壁に白漆喰。樋がないせいか、漆喰壁の汚れが目立ってきています。

「新土蔵」正面。元々は米蔵。腰巻部分は「人造石研ぎ出し仕上」。

「新土蔵」。家紋(上:丸に片喰、下:井筒に三つ星)が入った鬼瓦。

「新土蔵」の内壁

敷地の北端の「旧漉場(こしば)」(大正8年築(1919年))。昭和2年の家屋届は「倉庫」。油漉場だった可能性は低く、造りも「せがい造」で作業場としては立派で仕事場や宿舎の可能性もあるとか。

外塀は瓦載せ塀(下見板張り、一部漆喰仕上げ)、大正時代後期

「旧漉場」。「出し桁造(せがい造)」で軒が深い。

「旧漉場」の妻側の「入母屋破風」。破風板の下が「懸魚」、中央が花形(六葉?)の彫刻。

「表門(27年度修復済)」 江戸末期(嘉永4年(1851)の本格的な「薬医門」。木造切妻造桟瓦葺。

内側から見た「表門」。こちらも棟(むね)が「青海波積み」。右側の「羽釜」も漉場で使用されていたもの。金魚が泳いでいました。

「表門」の「反り破風」と破風板の合わせの下に 着く飾り「蕪懸魚(かぶらげぎょ)」

母屋の北側にある「裏門(27年度修復済)」(大正11年築)。「表門」よりやや小振りですが本格的な「薬医門」。

内側から見た「裏門」。かつては公家や武家の正門として使われていたそうです。

表門とは異なり、紐漆喰や目地漆喰は施されていないため、白地が少なく全体的に落ち着いた印象。

「裏門」の両開き戸。「八双金物」で固定されています。丸いものは「釘隠し」で「乳金物」(別名:饅頭金物、乳鋲)と呼ばれています。

駐車場からの入口。左から「母屋」、庭門の両脇に延びる「屋根塀」、「旧漉場」(正面奥)、「井戸」(右手前)