元SMAPの連中の反日ゲスぶりを、告発し続けています。
誰もやらないので・・・・。(個別に中居の反日発言などはネットでは有名ですが)
このクループの持つ背徳性について触れられないのは、これらのファンには
知能低く社会性が乏しい者が多く、政治問題などに関心を持つ意識の高い層は
最初から興味がないせいです。
知的層にもファンは居ると思いますが、声高な意見は差し控えると思います。
道理として通らぬことが理解できる知性を持っているので。
その元SMAPのメンバー、草なぎ剛の犬食いについて書いたらコメント欄に
さまざまご意見が書き込まれました。
中に一つ、神道における食の禁忌について触れたものがあったので、よい
機会なので、まとめておきますね。
まず、神道というのはほぼ禁忌を持たぬ宗教未満です。
未満と言うのは未熟という意味においてではなく、戒律を持たぬ・・・・
必要がなかった民族の霊的インスピレーションで成立した神の概念
だからです。土着的神の感知は、概念ではなくもっとリアルなのですが。
神道というのは民族的シャーマニズムに根ざす「精神」なので、キリスト教に
おけるごとき、罪と罰、そして禁忌を持ちません。
古来の日本人は直く健やかで単一民族だったので、異教徒同士の対立もなく、
ほぼ家族意識でまとまっていて、諍いも家族間レベルであり西欧や中国における
凄惨さがなかったことも、タブーを設ける必要のなかった理由でしょう。
さて、神事における食ですがこれは神饌として何が神に捧げられてきたかを見れば
その持つタブーも解ります。
酒と米、他の穀物、野菜、魚に限定されていて四足はなく、これは庶民の食と
ほぼ同じですね。
ただ例外的にイノシシ、タヌキなどは山里では食されていて、神饌として捧げられるものの中に、
ごく地域を狭く限定してイノシシの頭部もあります。(これはブログ主の想像の域を出ませんが、イノシシの頭部は他文化圏からの伝来ではないか、と)
食の禁忌を語る時、常に厄介なのが線引をどこに置くかであり、これはそれぞれの主観によるしかなく
客観的線引はなかなか困難です。
ただこれが客観線引になると強弁はしませんが、知性と感情が人間に近づくほど、素朴にタブー感を人は抱くように設計されている気がします。
近親相姦を本能的に避けるのと同じように。
ただ、その制御装置を持たぬ民族・・・・・出来損ないの民族はいるわけです。偏見を覚悟で書いていますが。
それと、殺戮時に肉体的に苦痛を、精神的に恐怖をどれだけ持つかというのも線引の一つでしょう。
牛たちでさえ、場に引き連れられていく時ふだんとは違う恐怖の「叫び声」を上げると
されています。
まして、犬たちにおいておや。彼らは嫉妬心すら所有していて、夢を見て「泣き」ます。
また「笑い」という高度の表情も保持しています。
これらを以って世界スタンダードの食の禁忌とは言い張りませんが、一つ端的に言えるのは
人間の慈悲心が忍びないとして古来より、日本人は肉体的には
痛点の低いもの、殺戮時に恐怖心を持たぬものを選んで食して来ています。
基礎は慈悲にあり。
そういう目で見れば、実に精神的に高度の民族であったと思われ、四足喰らいの西欧、
犬喰らいの韓国など、野蛮の極みである、という言い方は出来るでしょう。
西欧でも目覚めた意識高い層の中には「目があるものは食べない」という選択をしている
人達が少数います。ベジタリアンやビーガンであることを選んだ人達。
そう言えば中国人や韓国人の菜食主義、フルーティアン(果物摂食者)を見たことが
ありません。いることは少数いるのでしょうが・・・・。
ブログ主本人は雑食なので「すべき論」で偉そうに書いたわけでは、ありません。
あくまでも「論」です。ただ神道に・・・・古来の日本人の感性に根ざした食生活は
心身を清らかに保ち、西欧や中韓の食べ物はヒトの血と肉を穢すような・・・・・気はします。
肉の多食は気を荒く、体臭を臭くすることで知られています。