BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

上皇陛下の私設広報官なのか、「ご学友」 とやら

2019-05-06 | 皇室問題

 

▼強い意志で「象徴としての天皇」退位を実現:同級生が語る上皇陛下の素顔

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190503-00010000-nipponcom-soci&p=3

5/3(金) 20:30配信 

以下、転載 色文字がBBツッコミ。 

 

新天皇が5月1日に即位し、元号は平成から「令和」に切り替わった。天皇の「生前退位」は、江戸時代の光格天皇以来202年ぶりのことで、明治以降はこれまで、制度上も退位・譲位は認められていなかった。

要するに上皇のわがままで憲法が無視され、皇室典範がねじ曲げられた、という文意です。

 

異例とも言える制度変更が、なぜ今回は実現したのか。

「異例」なのではなく、上皇陛下による「掟破り」が正確な表現。

 

それは、退位後に「上皇」となった平成の天皇陛下の強いご意思があったからだ。

その思いを直接感じた1人が、陛下(新上皇)と80年来の付き合いがある明石元紹(あかし・もとつぐ)さん(85)だ。陛下が学習院の幼稚園児だった時から遊び相手を務め、その後も学習院初等科から高等科まで、数少ない同級生として時代を共にした“学友”である。

明石元紹さん 明石元紹さん

陛下からの電話

陛下の「生前退位」のご意向が初めて世の中に知れたのは、2016年7月13日のNHKのスクープ報道だ。その後、8月8日に明仁天皇陛下ご自身がビデオメッセージを公表した。

NHKスクープというのは眞子内親王の婚約報道と同じく、内部に意図的リーク者がいるということ。それは2トップのいずれでしかあり得ないということ。
2トップの意向を無視して、それ以下の者たちが公共放送に情報漏らしは出来ません。
反日寄り公共放送と、天皇皇后との癒着。政府の頭越しに公共放送を用いたお気持ち表明は、放送法違反。

「私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました――」

明石さんのもとに陛下から電話がかかってきたのは、その約2週間前のことだった。

「陛下は電話口でも、非常に落ち着いてゆっくりわかりやすくしゃべられるのですが、まずお話しされたのが、美智子さまのことです。NHK報道の後、私がマスコミ取材に『ご退位の理由の一つに、皇后さまの体調がよろしくなくてそれを陛下がご心配されているんじゃないか』などと話したことがあります。陛下はそれを気になされて、『明石、そういうことはないから。それが皆の共通認識になるとよくないので』と話されました」

 

皇后の体調で、退位ではないかと忖度する学友の思考の奇態さ。要するに皇后ベッタリを知っているからこそ。ありようは天皇を率いる女帝。上皇はそれを否定されたものの。「皇后の都合」で天皇の座を捨てると発想する上皇のスポークスマン

 

譲位を「合理的でいつまでも変わらない制度に」

要するに憲法に違反しても、皇室典範に違背しても、それが天皇個人が合理的だとする悪しき唯我独尊、勘違い

そして、それに続いて退位についてもお話しになられたという。

「自分の考えを知っておいてほしい、というニュアンスでした。譲位についてはずいぶん前から考えていたとのことで、『歴史を振り返れば、譲位によって天皇が代わった例は過去にいくらでもある。僕がいまそういうことを語ってもびっくりするような話ではない』

歴史という過去を例にあげ、現在の憲法と皇室典範は無視しても良い、天皇の思いがそれを上回るというお考え

 

『僕の時だけの問題ではなく、合理的でいつまでも変わらない制度にしてほしい』とおっしゃっていました。また、天皇の座についたまま摂政制度にすることは、大正天皇を例に挙げて、『大正天皇をお守りしようとする人と、摂政(昭和天皇)を支えようとする人との間で二分した』と否定的なお話もされました。一言一句正確ではありませんが、陛下がおっしゃった趣旨はこのようなことです。当然、私は、陛下は明らかに皇室典範の改正などを経た恒久的な制度のもとで退位をお考えなのだと聞き取ったのです」

大正天皇は元々、ああいうお方。その例を引っ張ってくる不当ないしは学習院を卒業できなかった頭脳での浅慮。今回、皇太子を摂政として立てても、天皇を守る人と、摂政である皇太子を支えようとする人との分裂など、現実にあり得ないものを。

皇室典範の改正を時の天皇の恣意で行えるという、お考え違い傲慢。それが出来るなら、何のための皇室典範なのでしょう


もっとも、現実はその通りには進まなかった。陛下のご意向を受け、政府は有識者会議を設けて法整備の検討を急いだ。そして、翌17年12月8日の閣議で「特例法による一代限りの退位」が正式に決定されたのだ。

 

政府としては寝耳に水の、公共放送を用いての「お気持ち」という名の半ば押し付け、半ば命令。国民を味方につけてのやり口。国民に天皇が憲法違反をなさろうとしている、とも言えず苦慮した政府が「特措法」という例外を用いた弥縫策。でも特措法が気に食わぬと、今度は別のご学友という名の広報官を用いて、国民に「言いつける」始末

「私自身、少しでも陛下に恩返しをしたいと思い、政府関係者にそのご意向を伝えるなどしたのですが、政府の方針は始めから決まっているかのようでした。陛下ご自身が、それについてどうお感じになっていたのかは分かりません」

学友という単なる庶民が、政府にかけあうこの筋違い、勘違い。上皇の言外の言葉を忖度しての、政府への掛け合いだったのか、直接頼まれたのか。上皇の「許可」がなければ政府を相手になど、出来るものですか、常識をもし備えていたら。

特措法には不満たらたらである、と別の「広報官」がアナウンスしています

 

「公平」で「フェア」であることを喜ばれた

憲法と皇室典範に対しては公平でもフェアでもなかった上皇

「戦後の中等科時代には、同級生の仲間内であだ名で呼び合っていました。当時、皇太子殿下だった陛下のあだ名は『チャブ』。蚊取り線香の器に使う、茶色い素焼きの豚のイメージから取ったものです。陛下は当時、スポーツなどで日焼けして浅黒かったので。私たちとしては、陛下と区別なく付き合うのが大切と考えるようになっていて、敬語も使わなくなっていました。あだ名については、ご本人は半分不愉快で半分快感という感じで受け入れられていたように見えましたね」

学習院高等科時代、一般の生徒と共同生活を送った清明寮で食事をされる継宮さま(上皇陛下、奥左から2人目)=1949年12月 学習院高等科時代、一般の生徒と共同生活を送った清明寮で食事をされる継宮さま(上皇陛下、奥左から2人目)=1949年12月

そのころから変わらない陛下の性格は、「うそや誇張が大嫌いで、逆にいちばん喜ばれるのが『公平』で『フェア』であること」だという。

 

嘘がお嫌いな上皇が、祭祀不能の皇太子を即位させる国民への大嘘。愛子さまご優秀、IQ72の嘘放置近日中の天皇による祭祀は、装束の写真は見せるか、あるいは文字だけの記事か?

「とにかくご自分が特別扱いされることを嫌うとともに、どんな人に対してもフェアであることを、陛下は常に心根にお持ちでした。

暮らし自体が特別扱いで、成り立っているのに? 

仮住まいなら他に既存の四箇所があるのに、数億円かけての短期仮住まいのような特別扱いには平然。

旅行には専用機、電車は丸ごと使用なのに要所要所で「平等」アピール。誰もそれを望んでもいないのに「お人柄」演出は、上皇后のお仕込み?

体育室はもったいないから止めよと節約アピール。既存の仮住まいならゼロ円なのに、質素パーフォーマンス。上皇后の「小さな祠」と同じ。
客を迎えるのに冷暖房を切ってみせ、東北大震災の人々の暮らしを思えば、とここでもアピール。冷暖房の費用ごとき、ほかでのダダ漏れ金遣いを見れば、どうということもないのに。それでも感激した「客」が陛下はこんなお方と、表に向かって広報。

例えば、学習院高等科の時、陛下は乗馬部の主将を務めていました。乗馬の技術は間違いなく一流。周囲の大人たちが落馬を心配して性格のおとなしい馬を陛下にまわすよう配慮すると、『自分はキャプテンだから勝敗のカギになる重要な馬に乗る責任があります』と言って、いちばんクセの強い馬に乗り、見事に勝利したことがあります」

粗末な椅子にぎっしり座り雑談

見出し文ママですが「ぎっしり」座る、というのはどういう座り方?おそらく学友たちと肩を接してぎっしり、の意かと思いますが。学友の談話も粗雑なら、記事も粗悪

OBになってからも、毎年恒例の乗馬会が近くになると電話がかかってきて、『もっとルールをフェアにできないか。こういうのはどうだ』などと提案されるのだという。

また、皇太子だったころにOB会で桜を植樹した時には、OB会長が用意した「皇太子殿下お手植え」と大書した標札に対して、「これ、おかしいじゃないか。OBのみんなで植えているのになんで僕の名前になっているんだ」と再三指摘。翌年のOB会でも直っていないことを知ると、「おかしいじゃないか」と改めて不満を口にしたという。「陛下とは、そういうお人柄なのです」と明石さんは言う。

皇太子という別格の存在であることの意味をまるでお考えではない。「OBの右代表」で軽く流しておけばいいものをいちいち言い立て、御本人フェアなつもりで周りは困惑。平等、フェアはいかにもヴァイニング夫人仕込み。
元々基礎価値としてフェアではない位置に置かれ、その一種の代償として広大な住まいや大勢の仕え人が捧げられているというのに、そちらには頭が行かないのでしょうかそれをアンフェアとは思われない? アンフェアを否定しているわけではありません。皇室とはそういう存在であることが前提なのだから。上皇の思考を用いれば、随分ご都合主義のフェアだと思うだけです。

中略

こだわり続けた「家族」のあり方

平成を振り返ったとき、陛下は象徴天皇としてのあり方を模索しながら、“国民に寄り添う”新たな皇室像を示されてきた。その姿勢の根底に流れるものは、ご自身の「家族観」にも表れていると言えよう。3歳3カ月で両親である昭和天皇・皇后さまのもとを離れ、赤坂の東宮仮御所で大人に囲まれて育てられた陛下は、「皇室の家族のあり方」を強く意識してこられた。

 

私的家族観を皇室にあてはめたマイホーム皇太子の系譜は、更に輪をかけ新天皇の「雅子が、愛子が」。

 

「陛下のご希望は、明治・大正・昭和の時代とは異なり、自分で家庭を持って夫婦生活を営み、普通の生活をしたい、ということだったと思います。そうでないと人の気持ちを理解することなどできないのではないか、という意識はとてもよく分かります」

午後5時には「仕事を止め」後は家庭生活を大事にしたいとの発言も、この頃。
満員電車にも揺られず、家のローンと子供の教育費捻出にあくせくしている庶民の苦労をいっさい背負わぬまま、庶民としての暮らしをお望み。それでいて、海外へは政府専用機であることのお立場が解っていらっしゃらない不思議

 

明石さんはこう続ける。

「陛下は昭和天皇から引き継いだ『象徴天皇』のあり方を模索し続けられ、さらには『人間天皇』であるために自らの生活を選ばれてきたと言えます。それは実際に、民間ご出身の美智子さまとご結婚され、皇室の長い歴史に前例のない、わが子を手元で育て親子が一緒に住むという『人として普通の家庭生活』をされたことによく表れています。

普通の家庭生活を営んだ、ということは現天皇に帝王学が授けられてはいないということ。帝王であることと、孤独は表裏一体、本来「家族主義」からもっとも遠いのが天皇のはずです天皇にとって家族とは「日本国」の民のはずです

 

政権とは距離を持ち、政治ではできないご活動を

公平、フェアであることを愛し、家族への思いを大切にする――。陛下のこうしたお考えが、平成の時代に新しい皇室像をつくり出してきた。明石さんは最後にこう語った。

「陛下のお考えが、戦没者慰霊や、震災などの被災者に寄り添う旅となり、皇室を国民にとって身近な存在とされました。陛下が新しい皇室の姿を示されたことの功績は非常に大きいと思っております。でも私は今後、それだけではない、それ以上のご活動を望んでおります。人権問題や外交などについて、政権とは距離を持った、政治では行えないお立場でのご活動です。そしてそのことが、これからの皇室の存在意義につながっていくと思っています」

 

「人権問題」「外交」と言うなら、拉致被害者のこと、盗まれたままの竹島のことをいっさいスルーなさるのはなぜに?

「政権とは距離を持った活動」は、上皇陛下のご意思でしょう。韓国への謝罪旅行をはじめ、要らざることをなさらぬように、と願います。上皇となられて、日も経たないうちに「お忍び」とは名ばかりのカメラマン引き連れての行動。
大正天皇と摂政側の人間との分裂を心配したお方が、上皇・上皇后と天皇・シモ皇后との権威二重構造には思考が至らないのでしょう。

 

........ここまで

 

程度の悪い天皇陛下のご学友 (2019-04-29 15:14:23 | 皇室問題) 不満を、ご学友に電話でぶちまけ、それを国民に、向けて語らせる天皇陛下

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祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え