BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

上皇后陛下 玉の輿狙いの婚活大成功物語

2019-05-19 | 皇室問題

あのヤフー記事で、正田美智子さんの入内が美智子さんの入内が熱心な婚活の結果であることを認めちゃった。美智子さまカレンダーを売りたいためのヨイショ記事のつもりが、「竹山パーティ」の名までさらしての熱心な婚活バラシになってしまい、美智子さん擁護の人たちは流石に敏感で結果的に上皇后disりになってしまってるのに気づいてます、たとえばこんなの。(色文字)

婚活戦略って。まるで美智子様が当時の皇太子さまとの結婚に積極的だったどころか計算されてたような書かれ方ですね。 美智子様がされていたのは当時の上流階級のお嬢様の「花嫁修業」的なことでしょう?日本の上皇后様になんとも不遜な記事ですね

積極的で計画されていたことは、過去記事で詳細に述べてきました。上流のお嬢様は、初対面の男とチークダンスなんかしません。チークダンスはあの当時、親密な男女かキャバレーの女しかしません。

 

上流のお嬢様にチークダンスはあり得ず、お茶お花お裁縫です、あの時代は。

 

 

活けるというより投げ込んだアバンギャルドなお花、流石に伝統にとらわれないリベラルなお方です。

 

美智子さまがさも婚活に成功して玉の輿に乗ったかのような見出しはいかがなものかと。 良家の子女としての社交はしていたでしょうが、婚活はしていなかったと思いますが

竹山パーティが、そもそも若いエリート男たちのための婚活の場です。今でいうと「フィーリングカップル5vs5」みたいな?(古いか)横粂さんの「あいのり」?(これも古っ)・・・・てか「テラスハウス」ね、面白くて見たことがある、割に最近。

元号が変わる前後は皇室が注目 されるので、色々下々の者から 心ない事を書かれて、不快でしょうね

下々より、ある意味もっとたちの悪かったのが正田美智子さん。GHQと癒着の家からしらっと、しかもカトリックを棄てず入内されてしまいました。

 

今の上皇様から一目惚れされて 当時は複雑だったでしょう 今はお幸せそうです

将来の天皇に一目惚れはご法度なんですけど? 上皇、現天皇もそうですが、上皇のしどけない色恋での入内は、美智子さん入内のニュースが出て即国会で問題視され、厳しい追求を受けています。当時の国会議事録あり。過去記事で取り上げました、画像も入れて。

 

【転載記事】元正田美智子さん、成婚国会承知せず、アメリカで発表された ...https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html

 

過去記事を探してみますが、竹山パーティの主催者自体が確かGHQの公職追放を免れた、そういう意味ではいかがわしげなお方かも? 小和田恒氏がそのようにして外務省に居座って権力の座についたのと似通う経緯かも?

 

以下は記事とBBの色文字ツッコミです。

 

美智子さまが実践された【婚活戦略】お付き合いを続けるために大切なのは?

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190518-00010008-withonline-life

平成から令和の世にお代替わりし、皇后の位も美智子さまから雅子さまにバトンタッチされました。平成時代の皇后・美智子さまは、とても優しいお姿が印象的。  

 

若い頃には、世界のベストドレッサー賞に3回も選ばれるほどの美しさだったこと、ご存知ですか? それはもう輝くような気品にあふれていました。 

 

 

 

 

BB 「凄い!!」と目を見張るファッションではあります。

 

 美智子さまは、当時の皇太子・明仁さまに見初められ、今から60年前に、初めて平民から皇室にお嫁入り。その時代は皇太子妃は旧皇族か身分の高い旧華族(貴族階級)から選ばれるのが一般的でしたから、まさに「現代のシンデレラ」だったのです。

 

BB GHQ癒着の家からいらしたのが美智子さま。創価自虐史観他の家からやはり工作で送り込まれたのが、雅子さま。

 

そんな美智子さま、実は独身時代にはいろいろな婚活をされていたんです。その内容をテレビなどでも話題の31日日めくりカレンダー『永遠に伝えたい美智子さまのお心』に掲載されている写真とともに、ひも解いてみましょう。 .  

婚活サロンにデビューして、ダンスを習う   もしよい男性と巡り合ったら、お付き合いを続けるために大切なのは「ダンスができること」。美智子さまも大学生のころにダンスを習えるサロンに出入りしていました。  美智子さまにダンスの指導をされたのは、東京工業大学の竹山健三郎先生。竹山先生は、映画でよく知られている小説『ビルマの竪琴』の著者、竹山道雄さんのお兄さまで、イギリス風ダンスの名手として上流階級では有名でした。

 

「ビルマの竪琴」の内容自体に問題があるとは思わないけど、日教組の教師たちが副読本で使いそうなたぐいの本。著者の兄、竹山三郎についてはGHQにからめた竹山パーティ婚活に関する過去記事があるのですが、今見当たりません。見つかったらurlを添えておきます。

 竹山先生は、クラシック音楽や歴史にも詳しく、若い人たちにインテリジェンスを身につけてもらいと考え、中野の自宅を開放して、通称「竹山パーティ」を開いていたのです。20歳ほどの美智子さまも、その「竹山パーティ」に参加していました。     「竹山パーティ」は、若い人たちの出会いの場でもあったのです。  当時の美智子さまは、同年代の男性の誰もが一度は交際したいと思う、憧れの女性だったそうです。

 

BB 三島由紀夫はパーティとは別途、お見合い相手の1人。「商家の娘など」と家族の反対でが破談にしたと伝えられています。三島は後年、「あちら(美智子さま)は逃げるのが上手で、話しかけようとするとスルッと逃げてしまうんだ」と語っています。

祖母の反対とうっかり書きましたがこれは事実誤認でした。お詫びして訂正します。「家族」と書き換えました。

 

 

 当時の美智子さまのニックネームは「お月さま」。ふっくらとした健康そのものの丸顔で、いつも明るく微笑んでいる姿は、パーティの中でもひときわ目を引く存在でした。

 

BB ほんと、お月さま。優しげで、丸顔で。

 

正田美智子さんの入内を政府すら知らず、アメリカのメディアが先に掴んで報道したという言い逃れのきかない事実。GHQ関与の流れ。(画像は該当雑誌ではありません)

 

 

 美智子さまは、新しく入ってきた人がみんなの輪に入れないでいると、進んでお話し相手をされたり、お友だちを紹介するといった気配りのできる人だったそうです。その優しさは、お出ましのときに人々にお声がけされる今の姿に繋がっていますね。

 

BB 婚活パーティで、世話役するほどのカオ。

 皇太子さまと美智子さまが、二人で初めてダンスをなさったのは、中軽井沢のご学友の別荘で開かれたパーティでした。 23歳の美智子さまは、真っ白なワンピースの胸にカトレアのコサージュ。お二人は「蛍の光」に合わせて、パーティのラストダンスを踊られたのです。すでに皇太子さまの心には、美智子さまへの熱い想いが秘められていました。

 

BB ああ麗しのマンスやの、感動しました。「プリティ・ウーマン」を凌ぐ玉の輿。

 

BB 婚活「竹山パーティ」も今は遠い昔、上皇后となられました。めでたし。

さあ踊りましょ、婚活竹山パーティで仕込んだ踊りで、Shall we dance?

 

 

踊れば、ああ走馬灯のように蘇るあたくしのモデル立ちの日々・・・

 

 

 

コメ欄は承認制です。承認しない場合があります。 以上でよろしければ内容要約のタイトルを入れ、他とかぶる可能性のない固定HNでご投稿ください。 「文章の一部」を安易なHNとすることは禁じます。

祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え