BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

珍しく秋篠宮皇嗣殿下、紀子妃上げ記事が出た

2019-05-21 | 皇室問題

何の風向きの変化か、単なる批判がわしのガス抜きか、「女性セブン」が珍しく「それなりに」まっとうな記事を出して来ました。

以下、部分転載

 

◆紀子さまが椅子を出すのを眺めていた職員

 なぜ秋篠宮家では、自己流が多く取り入れられているのか。そこには「宮内庁への不信」が見え隠れする。

「宮内庁長官が聞く耳を持たなかった」

 秋篠宮さまは昨年11月、大嘗祭での公費支出削減を提案した際、宮内庁が充分に検討しなかったことを、そう直接的に批判された。

「秋篠宮ご夫妻が長年にわたり宮内庁にフラストレーションをためられるのも無理はない」と、別の皇室ジャーナリストが話す。

皇族方の人数の減少により、秋篠宮ご夫妻の公務の負担が膨れあがったこと、2006年に悠仁さまが誕生されて皇位継承者を育てる責任が生まれたことがあり、ご夫妻は宮家に対する宮内庁のサポート体制を強化してほしいと相談されたそうです。それでも、体制が充実されず、ご夫妻はかなり戸惑われたそうです

 

BB 生前退位されてもなお、相当数の職員数を所望の上皇上皇后陛下は、天皇皇后時代に、公務の多さに比して職員も警備も薄い秋篠宮家に、ご自分たちの職員や警備の一部を削っても回そうとなさらなかったのでしょうか。

秋篠宮家の三分の一しか公務をされない皇太子と雅子さまの分を削って回してもよかったのではないでしょうか。

 2015年の1年間の地方公務は、皇太子家の11回に対し、秋篠宮家は30回東日本大震災の発生から4年間での被災地訪問は、皇太子ご夫妻は11回、秋篠宮ご夫妻は18回だった。別の皇室記者はこんな象徴的な場面を挙げる。

「仮設住宅で暮らす被災者との懇談の際、被災者が座る椅子をパッと出されたのは紀子さまご自身でした。お付きの職員らがそれを眺めていただけなのを覚えています

 近年、職員の配属はまず両陛下(今の上皇皇后両陛下)を担当する侍従職へ、その次は東宮職へと流れ、その次に秋篠宮家の順だった。公務で多忙でも、信頼して任せられる職員となかなか出会えず、紀子さまが細腕でやりくりされてきた様子が目に浮かぶ。ご夫妻が独自で工夫され、苦境を乗り越えられてきた中で、秋篠宮家流の路線が形成されてきたのではないだろうか。

 佳子さまは3月、大学卒業にあたっての文書で眞子さまの結婚について「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と触れられ、その賛否が話題になった。『週刊新潮』5月2・9日号によると、宮内庁職員は事前に当該箇所の修正をお願いしたが、佳子さまは拒まれたという。

 一面から見れば、「佳子さまは皇族という公的な立場をどう考えるのか」との指摘もあるだろうが、秋篠宮家が、今まで頼りたくても頼れなかった宮内庁への不信という文脈で見れば、無理もないことなのかもしれない。

 令和皇室の中核を担われる皇嗣家は、多難の中で船出された。

※女性セブン2019年5月30日号

 ・・・・・・・ここまで

上皇さま 久々の“お忍び訪問”、研究仲間と魚類について懇談

TBS系(JNN)

 

だから、カメラマン引き連れて護衛隊を率いてお手振りで、何が「お忍び」
それにしても生前「退位」の割に、よく動かれる。 

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祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え