今朝の日本経済新聞で「秋丸機関」のことを知りました。
その記事は、会員登録した人しか読めないというのはいかにも皮肉ですね。(新聞では、鹿児島版でp.1)
そこで、検索したところ、詳しいサイトが多数ありました。
秋丸機関の全貌
「大東亜戦争に突入する2年前、陸軍内部に戦争準備のため密かに経済謀略機関が作られた。いわゆる「秋丸機関」でその中心人物が秋丸次朗主計中佐(えびの市出身)であった。この機関は戦争遂行の為作られたものだが、英米の経済力の調査結果、到底勝ち目がないとの結論が出た。しかし当時の情勢から、調査結果は闇に葬られ、太平洋戦争へと突入していく。
秋丸次朗は戦後もこの件については沈黙を守り、やっと昭和54年、後世に伝えるためと書き記したが、戦後50年を経るまで、公開されなかった。この間の事情はあとがきに述べているが、「秋丸機関の顛末」は経済謀略戦にたずさわった当事者が残した唯一の証言である。」
*写真は、「安曇野カンポンLIFE」 2011.01.02 付け記事よりお借りしました。
その記事は、会員登録した人しか読めないというのはいかにも皮肉ですね。(新聞では、鹿児島版でp.1)
そこで、検索したところ、詳しいサイトが多数ありました。
秋丸機関の全貌
「大東亜戦争に突入する2年前、陸軍内部に戦争準備のため密かに経済謀略機関が作られた。いわゆる「秋丸機関」でその中心人物が秋丸次朗主計中佐(えびの市出身)であった。この機関は戦争遂行の為作られたものだが、英米の経済力の調査結果、到底勝ち目がないとの結論が出た。しかし当時の情勢から、調査結果は闇に葬られ、太平洋戦争へと突入していく。
秋丸次朗は戦後もこの件については沈黙を守り、やっと昭和54年、後世に伝えるためと書き記したが、戦後50年を経るまで、公開されなかった。この間の事情はあとがきに述べているが、「秋丸機関の顛末」は経済謀略戦にたずさわった当事者が残した唯一の証言である。」
*写真は、「安曇野カンポンLIFE」 2011.01.02 付け記事よりお借りしました。