【動機】
本ブログ第4069号(2010.11.21) でどりーむさん、さがらさんから寄せられたコメントのことをずっと考えていました。
最近伝えられている年金国庫負担の問題、後期高齢者医療廃止後の医療、介護保険の見直しなどの政策動向をみていると、政治の場において根本のところが足りないことを感じますね。
どうして、このようなことになったのか?
今後の専門職としての方向性はどうなのか?
【経験】
以下に略記するのは、この30年近く、社会福祉学を専門分野とする大学において、教育の場にあった私の体験に基づいています。
個人的な事情によるとはいえ、5つもの社会福祉系の大学で教育・研究に携わった人は少ないと思います。
ここでいう「社会福祉学」には、ソーシャルワークといわれる援助技法を教育するものだけではなく、「社会保障」「社会政策」といわれる問題群に対応する学問領域を広く指しています。
【雇用と教育】
大学生の就職率の低下が問題となっています。極端に低い就職率に対応すべく、4年生大学では3年生、2年生の段階からいわゆる「就活」に時間を割いている。
福祉系・介護系の大学では、それほどひどくはないが、「就職動向を考えない大学創設」という根本問題は解決されていない。
「どのような産業分野が社会にとって重要か?」
という基本課題を検討することなく、漠然と「福祉」「国際」「環境」といった分野での大学、学部創設が続いている。雇用の現場と大学が送り出す人材とのギャップは今後も拡大していく気配です。
*偏差値教育の弊害という初等教育からの問題も大きな課題ですが、この点は、別稿に譲ります。
【社会性のない社会福祉学】
私は、40代から50代にかけてアメリカやスウェーデンなどのSocial Work, Social Policyなどというタイトルの学部を相当数訪問した。
日本との違いは、こういう分野が、有力な総合大学の一部として設置されているということです。
例えば、ミシガン大学(アナーバー)には、5年間、毎年2週間、日本の研修チームを率いて訪問しました。ここでは、医学部、看護学部、社会福祉学部が同じキャンパス内にあって、これらの専門分野が共同して運営する高齢者のディセンターが地域の高齢者に開放されている。
日本では、旧国立大学には、社会福祉学部はおかれていない。
東京大学
京都大学
以下、右に倣えで、日本の伝統ある総合大学では社会福祉学は学問の一分野として扱われてこなかった。
私立大学では、東洋大学、日本女子大学、同志社大学などが古くから社会福祉学にとりくんできた。最近では、早稲田大学、立教大学などでも社会福祉学部をおいている。
【地域格差】
旧国立大学で社会福祉学部をおかないできたところに日本社会が社会性・公共性をもてないでいる遠因がある。かって、明治の初年から「帝国大学」として国家の要請によって、医学、農学、法学などの学問分野がおかれたことを考えれば、もっと早い段階で、社会福祉学部の創設・育成にとりくむべきだった。
学問が社会の課題を先進的に攻究するという思考はなく、既得権を守るという一点で運営されてきた。
最近では、
神奈川、岩手、青森、山口、福井、岡山、広島など、いくつかの県で、看護学部とともに社会福祉学部を置く県があり、これらの地域の福祉実践に重要な役割を果たすようになっている。
しかし、多くの県ではまだ私立大学にゆだねたままである。
【社会福祉学の中身】
現在の段階で、旧国立大学に社会福祉学部をおくことは実現の可能性はないので、私立大学を中心に展開されてきた日本の社会福祉学の問題点を俯瞰しておきます。
・スクールソーシャルワーク、成年後見、早期療育、各種のテラピー(音楽、園芸・・)など、社会福祉の現場で模索されている新しい動向への対応が遅れている。
・政策的な分野(年金、医療、介護。住宅、雇用、教育)に関する研究とリンクされていない。
・国立の研究所などでも社会福祉学の統合的な研究は行われていない(厚生労働省の研究所は、人口問題と経済学との混成部隊で、ソーシャルワークの専門家はいない)
・社会福祉学を専攻した学生は国や自治体の公務員試験において独自の枠をもっていない。
【社会福祉学の専門家が発言しない国】
・日本では、政治家で、ソーシャルワークや社会保障政策(医療、介護、年金など)を専門的に学んだ人はまれだ。法学、経済学のような分野を学んだ人も、教養の一環として、Social PolicyやSocial Workに関する知識を持っている人は少ない。
・アメリカやイギリスでも社会福祉の専門家の社会的発言を増す動きがあるが、日本では、メディアで社会福祉学の専門家が意見を聞かれる機会は少ない。政治学や経済学を専攻した人たちがいわば素人論を話している。
・社会福祉学を学んだ専門家という意味では「社会福祉士」という国家資格があるが、創設されて20年たった現在も社会的な位置は低い。
自治体の福祉課などで社会福祉士は採用されていない。
介護保険の運用で重要な役割を果たしている介護支援専門員(ケアマネジャー)を受験をする社会福祉士は少ない。
最近介護保険法の見直しで脚光を浴びている社会保障審議会介護保険部会には、介護支援専門員や介護福祉士を代表する職能組織からの代表者は委員となっているが、社会福祉士を代表する委員はいない。
社会福祉施設の管理者の資格にすら社会福祉士の設置義務が法定されていない。
【改革の突破口】
このように考えてくると、改革への突破口は重いのですが、
最近、ブログやtwitterにおける介護福祉の現場からの発言に接していると、
社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員で、実際に現場に立っている人々の学び・発言は注目すべきものになっています。
その一例が「笑わせてなんぼの介護福祉士」 というブログの管理者JUNKOさんが展開している「笑福会」の活動です。
*同会の活動は、全国的な展開をしています。残念ながら、私が住む鹿児島ではゼロで、私が友軍?のような形で参加しているだけです・・。
*写真は、鹿児島港。「見見楽楽~九州ぶらり放浪記~」 2010.12.02付記事からお借りしています。
本ブログ第4069号(2010.11.21) でどりーむさん、さがらさんから寄せられたコメントのことをずっと考えていました。
最近伝えられている年金国庫負担の問題、後期高齢者医療廃止後の医療、介護保険の見直しなどの政策動向をみていると、政治の場において根本のところが足りないことを感じますね。
どうして、このようなことになったのか?
今後の専門職としての方向性はどうなのか?
【経験】
以下に略記するのは、この30年近く、社会福祉学を専門分野とする大学において、教育の場にあった私の体験に基づいています。
個人的な事情によるとはいえ、5つもの社会福祉系の大学で教育・研究に携わった人は少ないと思います。
ここでいう「社会福祉学」には、ソーシャルワークといわれる援助技法を教育するものだけではなく、「社会保障」「社会政策」といわれる問題群に対応する学問領域を広く指しています。
【雇用と教育】
大学生の就職率の低下が問題となっています。極端に低い就職率に対応すべく、4年生大学では3年生、2年生の段階からいわゆる「就活」に時間を割いている。
福祉系・介護系の大学では、それほどひどくはないが、「就職動向を考えない大学創設」という根本問題は解決されていない。
「どのような産業分野が社会にとって重要か?」
という基本課題を検討することなく、漠然と「福祉」「国際」「環境」といった分野での大学、学部創設が続いている。雇用の現場と大学が送り出す人材とのギャップは今後も拡大していく気配です。
*偏差値教育の弊害という初等教育からの問題も大きな課題ですが、この点は、別稿に譲ります。
【社会性のない社会福祉学】
私は、40代から50代にかけてアメリカやスウェーデンなどのSocial Work, Social Policyなどというタイトルの学部を相当数訪問した。
日本との違いは、こういう分野が、有力な総合大学の一部として設置されているということです。
例えば、ミシガン大学(アナーバー)には、5年間、毎年2週間、日本の研修チームを率いて訪問しました。ここでは、医学部、看護学部、社会福祉学部が同じキャンパス内にあって、これらの専門分野が共同して運営する高齢者のディセンターが地域の高齢者に開放されている。
日本では、旧国立大学には、社会福祉学部はおかれていない。
東京大学
京都大学
以下、右に倣えで、日本の伝統ある総合大学では社会福祉学は学問の一分野として扱われてこなかった。
私立大学では、東洋大学、日本女子大学、同志社大学などが古くから社会福祉学にとりくんできた。最近では、早稲田大学、立教大学などでも社会福祉学部をおいている。
【地域格差】
旧国立大学で社会福祉学部をおかないできたところに日本社会が社会性・公共性をもてないでいる遠因がある。かって、明治の初年から「帝国大学」として国家の要請によって、医学、農学、法学などの学問分野がおかれたことを考えれば、もっと早い段階で、社会福祉学部の創設・育成にとりくむべきだった。
学問が社会の課題を先進的に攻究するという思考はなく、既得権を守るという一点で運営されてきた。
最近では、
神奈川、岩手、青森、山口、福井、岡山、広島など、いくつかの県で、看護学部とともに社会福祉学部を置く県があり、これらの地域の福祉実践に重要な役割を果たすようになっている。
しかし、多くの県ではまだ私立大学にゆだねたままである。
【社会福祉学の中身】
現在の段階で、旧国立大学に社会福祉学部をおくことは実現の可能性はないので、私立大学を中心に展開されてきた日本の社会福祉学の問題点を俯瞰しておきます。
・スクールソーシャルワーク、成年後見、早期療育、各種のテラピー(音楽、園芸・・)など、社会福祉の現場で模索されている新しい動向への対応が遅れている。
・政策的な分野(年金、医療、介護。住宅、雇用、教育)に関する研究とリンクされていない。
・国立の研究所などでも社会福祉学の統合的な研究は行われていない(厚生労働省の研究所は、人口問題と経済学との混成部隊で、ソーシャルワークの専門家はいない)
・社会福祉学を専攻した学生は国や自治体の公務員試験において独自の枠をもっていない。
【社会福祉学の専門家が発言しない国】
・日本では、政治家で、ソーシャルワークや社会保障政策(医療、介護、年金など)を専門的に学んだ人はまれだ。法学、経済学のような分野を学んだ人も、教養の一環として、Social PolicyやSocial Workに関する知識を持っている人は少ない。
・アメリカやイギリスでも社会福祉の専門家の社会的発言を増す動きがあるが、日本では、メディアで社会福祉学の専門家が意見を聞かれる機会は少ない。政治学や経済学を専攻した人たちがいわば素人論を話している。
・社会福祉学を学んだ専門家という意味では「社会福祉士」という国家資格があるが、創設されて20年たった現在も社会的な位置は低い。
自治体の福祉課などで社会福祉士は採用されていない。
介護保険の運用で重要な役割を果たしている介護支援専門員(ケアマネジャー)を受験をする社会福祉士は少ない。
最近介護保険法の見直しで脚光を浴びている社会保障審議会介護保険部会には、介護支援専門員や介護福祉士を代表する職能組織からの代表者は委員となっているが、社会福祉士を代表する委員はいない。
社会福祉施設の管理者の資格にすら社会福祉士の設置義務が法定されていない。
【改革の突破口】
このように考えてくると、改革への突破口は重いのですが、
最近、ブログやtwitterにおける介護福祉の現場からの発言に接していると、
社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員で、実際に現場に立っている人々の学び・発言は注目すべきものになっています。
その一例が「笑わせてなんぼの介護福祉士」 というブログの管理者JUNKOさんが展開している「笑福会」の活動です。
*同会の活動は、全国的な展開をしています。残念ながら、私が住む鹿児島ではゼロで、私が友軍?のような形で参加しているだけです・・。
*写真は、鹿児島港。「見見楽楽~九州ぶらり放浪記~」 2010.12.02付記事からお借りしています。