【たんすから冷蔵庫へ】
義母91歳。介護保険の要介護度3。
右手のひじを切って整形外科に入院していたが、現在は老人保健施設でリハビリ中。
老健では、洗濯はしてくれないし、本人は洗濯はできなくなっているので、妻が土曜日日帰りで大隅半島まででかけた。
一緒に行かないか?と誘われたのですが、木曜・金曜と夜間に大学院の報告会にでたせいか、気力・体力伴わず、留守番をして掃除機をかけたりしました。
その義母。
私への気遣いをしている・・というから、人間的な感情の大切な部分は失われていない。
食事をしてもすぐ忘れる「短期記憶の喪失」がはなはだしいので認知症は確実に進行しています。
先日は、
部屋の(他の人に迷惑がかかるというので個室に)たんすに入れてある下着をきれいにたたんで冷蔵庫にしまっているという。たたむという行為は記憶されているが、冷蔵庫に入れるというところでおかしいわけですね。人様に迷惑をかけるわけではない。
「たんすと冷蔵庫には共通点はある」と妻はいって紛らわしていましたが。
【次の手立ては】
想い・思い・おもい ver2 の261回(2009.11.27)では、介護支援専門員として次の手立てを思案されている記事がアップされていました。
アルコール依存
認知症
現在は小規模多機能居宅事業所
家族の思惑
グループホーム、特別養護老人ホーム、老人保健施設
問題は、特養の待機などは都会では500人待ちといった状況
家族をはじめ関係者とのネットワーク形成の難しさ
この記事には、
岩清水さんから、地域包括支援センターのこと
Maa-chanさんから、アルコール依存の治療のこと
又佐さんから、施設と在宅のつながり
についてのコメントが寄せられていました。
【施設間の格差】
又佐さんのブログでは、
Think Power の2009.11.27付けの記事で、同種の施設でも内容には差があるとの記事がアップされていました。
地域により
スタッフにより
料金やサービス内容に差がある。
利用する側には情報は乏しい。
【いつまで】
義母の老人保健施設での生活はそれほど長くはないと予想されますから
その後はどうなるのか
認知症はゆるやかではあるが確実に進んでいる
1人での在宅は無理である(食事を作れない)
心臓肝臓など内臓には問題はなく食欲がある
施設の供給状況、オプションは田舎なりの制約が。
長く教員をしていて本人の年金があることは心強い。
妻67歳には、鹿児島市内からの旅程はきつい。
これからどうなっていくのか。1年先は?5年先は?
私は、2011年3月に退職。
私たちには子どもがいない。
多くの家族が経験してきたであろう状態を経験中です。
*写真は、東京の喫茶店風景。おソ松な日々Ⅱ の11月29日付記事からお借りしています。
義母91歳。介護保険の要介護度3。
右手のひじを切って整形外科に入院していたが、現在は老人保健施設でリハビリ中。
老健では、洗濯はしてくれないし、本人は洗濯はできなくなっているので、妻が土曜日日帰りで大隅半島まででかけた。
一緒に行かないか?と誘われたのですが、木曜・金曜と夜間に大学院の報告会にでたせいか、気力・体力伴わず、留守番をして掃除機をかけたりしました。
その義母。
私への気遣いをしている・・というから、人間的な感情の大切な部分は失われていない。
食事をしてもすぐ忘れる「短期記憶の喪失」がはなはだしいので認知症は確実に進行しています。
先日は、
部屋の(他の人に迷惑がかかるというので個室に)たんすに入れてある下着をきれいにたたんで冷蔵庫にしまっているという。たたむという行為は記憶されているが、冷蔵庫に入れるというところでおかしいわけですね。人様に迷惑をかけるわけではない。
「たんすと冷蔵庫には共通点はある」と妻はいって紛らわしていましたが。
【次の手立ては】
想い・思い・おもい ver2 の261回(2009.11.27)では、介護支援専門員として次の手立てを思案されている記事がアップされていました。
アルコール依存
認知症
現在は小規模多機能居宅事業所
家族の思惑
グループホーム、特別養護老人ホーム、老人保健施設
問題は、特養の待機などは都会では500人待ちといった状況
家族をはじめ関係者とのネットワーク形成の難しさ
この記事には、
岩清水さんから、地域包括支援センターのこと
Maa-chanさんから、アルコール依存の治療のこと
又佐さんから、施設と在宅のつながり
についてのコメントが寄せられていました。
【施設間の格差】
又佐さんのブログでは、
Think Power の2009.11.27付けの記事で、同種の施設でも内容には差があるとの記事がアップされていました。
地域により
スタッフにより
料金やサービス内容に差がある。
利用する側には情報は乏しい。
【いつまで】
義母の老人保健施設での生活はそれほど長くはないと予想されますから
その後はどうなるのか
認知症はゆるやかではあるが確実に進んでいる
1人での在宅は無理である(食事を作れない)
心臓肝臓など内臓には問題はなく食欲がある
施設の供給状況、オプションは田舎なりの制約が。
長く教員をしていて本人の年金があることは心強い。
妻67歳には、鹿児島市内からの旅程はきつい。
これからどうなっていくのか。1年先は?5年先は?
私は、2011年3月に退職。
私たちには子どもがいない。
多くの家族が経験してきたであろう状態を経験中です。
*写真は、東京の喫茶店風景。おソ松な日々Ⅱ の11月29日付記事からお借りしています。
自分の親や、兄弟、配偶者がどのように歳をとっていくのか。
そして、どのような介護を受けたり、介護をしていけばよいのか。
だれも、その答えを持っていません。
もちろん、私たち支援者たちも・・・。
いつかは終わる介護だけれども、
それがいつだかわからない。
その不安が、利用者さんやご家族を
追い込むことになってしまう現実があります。
利用者さんやご家族の方々は、
これでいいのか、もっと他の方法はなにのかと
迷われます。
そして、私たちも、本当にこれで良いのかと迷います。
迷っていいのだと思います。
ただ、その迷いを、しっかりと受け止めてくれる人がいること必要なのだと思います。
それが、利用者さんやご家族にとっては支援者であり、
支援者にとっては、地域の仲間やスーパーバイザー、スーパービジョンをいったシステムなのだと思います。
日々のケアの迷い、ご家族の迷いを受け止めて、スタッフと試行錯誤していっていいのだ、と気持ちを前向きにすることができます。
そして、迷っても行動していくしかない、と思い始めています。
ブログ上で泣きごとをつぶやいたら、どうかスーパーバイズしてください。
GHの管理にかかわることになりそうです。
先生の店先で失礼しました。
コメントありがとうございました。
そして
どりーむさんのコメントに触発されたQさんも
コメントありがとうございました。
先日
院生の発表を聞いていて、「迷い」には、
・利用者のこと、そのご家庭のことでの迷い
・サービス提供システム(経営体)での迷い
・サービスそのものの迷い(待機)
と、
分かれるのだ
という発表でした。
私は
・自分の研究対象としては、制度そのものの課題を考え、
・家族(主として妻)としては、いまお世話になっている介護支援専門員など多くの方に悩みを聞いてもらっています。
・直接の面談で
・電話で
・ネットで
さまざまな形での
「迷いの共有」が重ねられていますね。