太平洋戦争の始まった年に生まれた私は4月で70歳。
子どものころから「あの戦争をなぜ始めたのか」と考えることが多かった。
そして今は、「大きな犠牲を払って得たものを今失いつつある」・・という思いにとらわれます。
なぜ負けるとわかっている戦争を始めたのか?
ABCDラインに包囲されてやむをえずはじめたという説もありますし、敗戦覚悟の短期決戦であとは外交交渉で、という方針もあったのかもしれない。
また、北朝鮮とはまだ国交回復しておらず、朝鮮半島は休戦状態、つまりいつ戦闘開始してもおかしくないという醒めた現状認識も必要だ。
なぜ負けるとわかっている戦争を始めたのか?
はっきりしている説は、軍部の独走ですね。
だれも止められなかった。
ところが、当の軍の幹部は、「もう軍では開戦気分を回避できない」という思いを述べている。つまり、大新聞による戦争しか打開の道はないという世論形成が基本にあったという。
さて、
話を現在に戻して、
私は極端な情報不足なので、政治を語ることは控えていますが、ブログや最近ではtwitterをフォローしていて思うことは、
日本の政治の手詰まり感
・政権交代後の民主党の政策形成力の不足(とくに社会保障政策)
・さりとてばらまき政治と二世政治家の原点である自民党時代にはいまさら戻れない
・官僚制によって維持されている政策形成への絶望と恐れ
最後の点は、
菊地雅洋氏のブログ「masaの介護福祉情報裏板」で痛感してきたことですが、今度、そのエッセンスが『人を語らずして介護を語るな。』として1冊の本になった。
改めて本書を通読してみて、介護問題という緊急の課題に対して、政治も行政も応えていないという事態をどのように打開できるのか?
という重いテーマですにつきあたります。
スウェーデンやドイツの中央政府では、日本の厚生労働省に相当する仕事は3つの省で分担している。厚生労働省の猛烈な忙しさは理解されていない。
日本の中央省庁には、もう退場すべきセクションが多数あるのにそれを整理できないでいます。
介護保険制度の最大の問題は、厚生労働省の現在の膠着した妙な理想論と財政論であることを菊地氏の本を読んで痛感した。中央政府の忙しさが国民のプラスに結びついていない。
現場の多くの高齢者
毎日真剣にとりくむ介護スタッフ
どうしてその声が政策形成の根幹である政党や実施部隊である厚生労働省に届かないのか?
介護問題に関しては、
一部を除いて全く不勉強なメディアの責任も大きいですね。
一般的なムードによる記事・報道か、役所の下請け的な記事ばかり。
戦争はさすがに起こさないでしょうが
いまの医療・介護・年金・生活保護などの状況は戦時下のような悲惨さではないのか?
その救いは
昭和初期とは違い、ブログやtwitterがあることですね。
2010年後半から本格化してきた「笑福会」的な活動も無視できない。
日常の感性を維持しながら、議論を整理して、問題に立ち向かってゆく。
「masaの介護福祉情報裏板」
「笑わせてなんぼの介護福祉士」
などを読む読者は、ネット上のつぶやきだけではなく、研修会や講演会やさまざまな方法で会って意見の交換をしています。
若いころ、厚生省を自己都合で辞めた私にこのようなことを発言する資格はないのですが
本書を読み、2月6日に開催される「笑福会」第2回関東勉強会に思いをはせながら一筋の光明を見たおもいでいます。
それが、きのうtwitterで友人に対して、この2つのブログを日本の介護の良心といった理由です。
*写真は、名古屋市内の徳川美術館まえの広場。1月15日。
子どものころから「あの戦争をなぜ始めたのか」と考えることが多かった。
そして今は、「大きな犠牲を払って得たものを今失いつつある」・・という思いにとらわれます。
なぜ負けるとわかっている戦争を始めたのか?
ABCDラインに包囲されてやむをえずはじめたという説もありますし、敗戦覚悟の短期決戦であとは外交交渉で、という方針もあったのかもしれない。
また、北朝鮮とはまだ国交回復しておらず、朝鮮半島は休戦状態、つまりいつ戦闘開始してもおかしくないという醒めた現状認識も必要だ。
なぜ負けるとわかっている戦争を始めたのか?
はっきりしている説は、軍部の独走ですね。
だれも止められなかった。
ところが、当の軍の幹部は、「もう軍では開戦気分を回避できない」という思いを述べている。つまり、大新聞による戦争しか打開の道はないという世論形成が基本にあったという。
さて、
話を現在に戻して、
私は極端な情報不足なので、政治を語ることは控えていますが、ブログや最近ではtwitterをフォローしていて思うことは、
日本の政治の手詰まり感
・政権交代後の民主党の政策形成力の不足(とくに社会保障政策)
・さりとてばらまき政治と二世政治家の原点である自民党時代にはいまさら戻れない
・官僚制によって維持されている政策形成への絶望と恐れ
最後の点は、
菊地雅洋氏のブログ「masaの介護福祉情報裏板」で痛感してきたことですが、今度、そのエッセンスが『人を語らずして介護を語るな。』として1冊の本になった。
改めて本書を通読してみて、介護問題という緊急の課題に対して、政治も行政も応えていないという事態をどのように打開できるのか?
という重いテーマですにつきあたります。
スウェーデンやドイツの中央政府では、日本の厚生労働省に相当する仕事は3つの省で分担している。厚生労働省の猛烈な忙しさは理解されていない。
日本の中央省庁には、もう退場すべきセクションが多数あるのにそれを整理できないでいます。
介護保険制度の最大の問題は、厚生労働省の現在の膠着した妙な理想論と財政論であることを菊地氏の本を読んで痛感した。中央政府の忙しさが国民のプラスに結びついていない。
現場の多くの高齢者
毎日真剣にとりくむ介護スタッフ
どうしてその声が政策形成の根幹である政党や実施部隊である厚生労働省に届かないのか?
介護問題に関しては、
一部を除いて全く不勉強なメディアの責任も大きいですね。
一般的なムードによる記事・報道か、役所の下請け的な記事ばかり。
戦争はさすがに起こさないでしょうが
いまの医療・介護・年金・生活保護などの状況は戦時下のような悲惨さではないのか?
その救いは
昭和初期とは違い、ブログやtwitterがあることですね。
2010年後半から本格化してきた「笑福会」的な活動も無視できない。
日常の感性を維持しながら、議論を整理して、問題に立ち向かってゆく。
「masaの介護福祉情報裏板」
「笑わせてなんぼの介護福祉士」
などを読む読者は、ネット上のつぶやきだけではなく、研修会や講演会やさまざまな方法で会って意見の交換をしています。
若いころ、厚生省を自己都合で辞めた私にこのようなことを発言する資格はないのですが
本書を読み、2月6日に開催される「笑福会」第2回関東勉強会に思いをはせながら一筋の光明を見たおもいでいます。
それが、きのうtwitterで友人に対して、この2つのブログを日本の介護の良心といった理由です。
*写真は、名古屋市内の徳川美術館まえの広場。1月15日。
去年まで「笑福会」の存在は、現実逃避的な、
そこに行けば自分の感性が間違っていないと
確認できる、そんな場所でした。
けれども、実際に会員の皆さんと出会い、想いや
知識、技術を共有していくことで、だんだんとそれを
周りに伝えて行くことの意義を感じ始めています。
masaさんのブログは、時々拝見していましたが、ぜひ
ご著書を購入し、読んでみたいと思います。
読み終わって、それを伝える意義を感じたら、本棚にしまわず
読んでほしい人たちに「現物」で紹介したいと思います。
私のある生徒さんは、好きな歌手の同じCDを10枚ほど
購入し、それを周辺の方に配っています。
コピーではなく、現物を渡す彼女のその歌手に対する
「本気」をいつも感じます。
だから、私は10冊購入できないですが(笑)本気は態度で
示したいと思います。
早々に
コメントありがとうございます。
私は5冊買って
残りの4冊は
院生に分けようとしています。
masa氏も
「笑福会」も
それぞれの持ち味で
この2つの要素を
欠かせない
と思いました。
私も早く読まなくちゃ!!