伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

神仏を尊び神仏にたのまず

2007-11-04 10:14:48 | Weblog

宮本武蔵の書「独行道」(どっこうどう)にある、「佛神ハ貴し佛神をたのます」
の言葉は、有名ですね。
神仏を尊び大事にするが、頼ることはしない。
神仏とは、貴い大事な存在なので、頼み事をして働かす訳
には行かない。 神仏を働かすぐらいなら、自分でします。
とも、解釈できます。
この言葉には、この表現以上の霊的真理が含まれています。
それは、神霊と人間の間の、正しい在るべき関係を、この
短文でズバリ表現されています。
太古の人間は、大地自然の中に、神の姿を実際に見て、感
じていました。その神の姿が見える人間の時代には、神とは
ひたすら恐れ、尊び感謝し、祭り上げるとしか思えない、存在
でした。人間の霊性が、我好し心の発芽とともに低下して、
神の姿が見え無くなってから、恐れ、尊び、感謝を捧げる存在
から、人間に都合の良い、何故か頼み事を願う依頼パシリに
使おうとする存在に成ってしまいました。
太古から存在する自然神の中には、神社で祭られ(封印?)
ていますが、霊眼ではアメリカ映画のエイリアンに出てくる爬虫類
人のような存在が、祭られていることもあります。
このような存在に、神は大愛だと甘えて、依頼することは怖い
ことです。では、どの神社が良くて悪いかと、みなさん心配さ
れます。 伊勢神宮の伊雑宮のような、母性のエネルギー体が
鎮まる神社も奇跡的に存在はしますが、このような神社では
尚更お願いは、しない方が良いです。 神を使役しようとする
心は、我好しの心です。それは逆効果を呼ぶか、良くても、
何も変わらないのが実際です
。 たとえ、他人、世の為の願い
でも。他人、世の為の願いが有るのならば、非力な自身でも
出来る範囲の事を、実際に行動することです。この現実界の
空間に、奉仕の行動を刻み付ける事は、貴いことです。
今、しか出来ないことです。 実践は、想念を凌駕します。
自分に出来ないと思われるから、神に代表して祈ると思う事
は、思い上がりです。
正神は、人に頼まれなくても、世の影で頑張っておられます。
このアタリマエ環境を人間に提供する為に。 でも、誰も感謝
を捧げずに、逆に依頼ばかりして来たら、さすがの神霊も
痩せて行きます。全ての神社仏閣では、感謝を捧げれば、
良いことは有っても、悪いことは無いです。 例え、どんな怖い
存在が封印されていても、全能の神霊が観ています。
それは、内在神です。(これは謎掛けですが)
さて、宮本武蔵は、命を掛けた剣の道を通じて、この素晴らし
い言葉を残されました。この背景には、彼に道教の影響が
あったと感じます。彼の魂の出自を観て、当時の時代背景と
はいえ、殺人を避けて通れない道を選択したのは、凄く残念
です。

生かして頂いて ありがとう御座います

   
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コメント (118)
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