伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

大車輪

2007-11-25 09:16:08 | Weblog
私は、中学生の時まで視力が2.0でした。
実際は、もっと視力があったと思います。でも、目が良い事
への感謝の気持ちは、有りませんでした。目が良い事は、
自分にはアタリマエで、その事を意識する事も無かった
です。ある日、眼鏡が ”カッコ良いなあ”と、自分もして見
たいなと思いました。でも、目が良いから残念と、思いま
した。 それから、半年後、私は眼鏡をしていました。笑。
視力が1.0まで、理由無く落ちたのです。それ以来、眼鏡
をしています。 後で、後悔しましたが、視力が戻る事は
二度と有りません。
”生きている” という事は、凄いことです。
自分が気が付か無いだけで、有り難い、恵まれている事は
きっと、沢山有るに違いないのです。 その事への、感謝を
忘れると、無くす方向に向くようです。

今、生きている。 自分の心臓が勝手に動いてくれて、他の
生き物、植物、動物・・・を食べ、家族、社会の中で生かされ
ている。 それぞれの車輪が、離れずに接しているから、
生きているのです。 その中の、1つでも車輪が止まれば、
遅かれ早かれ、生きて居ないでしょう。全体の車輪が止まり
ます。
車輪の1つを見て、大きい小さいと嘆いているのが、人間
です。 たしかに、止まり掛ける小さい車輪が、出て来る事
は有ります。 1つの車輪が、減速すると全体の車輪に影響
して、歩く速度が落ちます。
調子の悪い車輪には、油を注したり、磨けば良いのです。
これが努力です。 調子の悪い小さい車輪なりに、一生懸命
に回ろうと、けな気に動いています。
外在神は、その小さい車輪を、外す、取る、無くする事を
勧めます。 垢で固めた大きな車輪を見せながら・・・・。
その垢の車輪に入れ替えると、直に車輪の歯が欠け出し
ます。1つ、2つ・・・と。 最後の突起が欠けて、ただの輪に
成るまでには時間が掛かるので、車輪を取り替えた事を
忘れています。 1つの歯車が、ただの輪に成った時、全体
が停止します。
さて、垢の車輪がハマッテしまった人は、1つだけ方法が
有ります。自分自身のクローン車輪を作成して、入れ替えれ
ば良いのです。 御金と引き換えに、入れ替えると自称する
人が来ますが、それは不可能です。自分自身でしか、出来
無いことです。他人のは、アクマでも他人の車輪です。
クローン車輪を作成するには、命が来た元に帰るしかありま
せん。 
それは、正しい感謝の先祖供養と親孝行を行う事です。

生かして頂いて ありがとう御座います

   
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コメント (98)
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