伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

感謝は生きる知恵

2008-03-10 18:54:00 | Weblog

真客より :
孔子の 「鬼神を敬して これを遠ざく」
というのは、そういうこの世の存在でないものに対して、道をつけると相手の方が
上手だから危ないよ。というような意味だったでしょうか?
3本線香も宗教儀式ですから危ないようです。
ただ、1年間タダ働きで教えてくれた霊能者の方が願い事ではなしに、
「生かして頂いて 有難う御座います」なら良いと言って居られます。

孔子が弟子から「知」とは何かと尋ねられ、「民の義を務め、鬼神をしてこれをざく、知というべし」と答えたとあります。つまり「人間としての正しい道をはげみ、神霊は大切にしながらも遠ざかっていること」、それこそが知であるというのです(金谷治注『論語』岩波文庫)。 ・・・これが後世、野球の「敬遠」の語源になる。「敬遠」とは
①表面では敬う態度で、実際にはかかわりを持たないようにすること。「口うるさいので周囲から敬遠される」
②かかわりを持つことを嫌ってその物事を避けること。「めんどうな仕事を敬遠する」
③野球で、投手が打者との勝負を避け、故意に四球を与えること。「強打者を敬遠する」    (大辞泉より引用)

「自分が出来る努力を惜しまず頑張り、神霊は大切にしなが
ら遠ざかる」  この孔子の影響を受けたのが、
宮本武蔵の書「独行道」(どっこうどう)にあります、「佛神ハ貴し佛神をたのます」
「神仏を尊び大事にするが、頼ることはしない。」
(11月4日記事参照) だと感じます。
敬遠は、いつの間にか面倒な物事には努力せずに避ける、
という意味へと現代では使われています。

神にも、霊にも、人にも、感謝をする限りは、何も問題はあり
ません。 現実社会でも人の外見では、良い人か悪い人か
は分かりません。 外見が優しそうな人物に頼みごとをして
も、その人の内心は、何を思っているかは分かりません。
案外、それへの見返りを倍にして取り返そうとする人物かも
知れません、笑。 
いつも感謝の気持ちで接して、他人への協力を与えていると
心根が良い人は、必ず自身が困った時は、同じ協力を黙っ
ていても、してくれます。
心根が悪い人は、協力を受けていても、助けてくれないかも
知れません。 それで、良いのです。 縁が切れて離れて行
きますので。 そんな人物と仲良くしても、ろくな事は有りま
せん。 感謝を与えるだけで、自動選別がされて行きます。
これは、神仏にも、まったく同じ事が言えます。
手を合わせる対象の神仏が、悪神かどうか、心配する必要
は全く有りません。 感謝を捧げる限りは・・・。

先祖供養も、実践者の心に、頼みごとや依存の気持ちが
有れば、同じ様に依存する心境の先祖霊ばかりが寄ります。
これが、供養者の体には違和感を与えるかも知れません。
先祖供養も、実生活も、感謝を与える気持ちのみに徹すると
、同じ似た気持ちの与えたい存在との縁が増えます。

生かして頂いて ありがとう御座います

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コメント (79)
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