伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

自分の顔を彫り込む

2008-03-12 20:09:36 | Weblog

今朝、何気に京都の名仏師、松久朋琳(まつひさ ほうりん、
1901年~1987年没)氏のことを思い出しました。
学生の頃、氏の仏像を観てから、どうしても1度だけ工房や
御顔を拝見したくなりました。 住所は公表されていません
でしたが、京都の何地区かは、大体は分かっていました。
ある休日の早朝、松久氏のことを思い出して、今日ならば
一目だけ御会い出来るような予感がしたので、いてもたって
も居れなくなり、バイクで地図を片手に出発しました。
いつもの様に眷属神の導きにより、ほとんど迷うこと無く、
氏の自宅へと辿り着くことが出来ました。
すると、工房の戸が外されて、大きく全開に成っていました。
あれ?と、思いながら正面に立つと、目の前の奥には・・・
祭壇があり、松久氏の遺影が飾られていました。
どうも、お通夜の準備をされている様でした。
氏の遺影は、静かに微笑んでおられました。
その遺影を見て、確かに一目だけ御会いできたと感じま
した。 ご自宅の周辺は、静かな明るい威厳に満ちていま
した。 なるほど、人生を生き切り、御仏と同化した人の葬儀
とは、とても清々しくて明るいものだと、その時、感じました。
御本人も、重い鎧のような肉体を脱いで、あ~楽に成ったと
喜んでおられるのが分かりました。

松久氏が生前、話された言葉に、
「全ての人の心の内には、仏様がおられる。その仏様を自ら
の手で彫り、形としてお迎えする。そして、お迎えすることに
よって、その人の心に仏の姿を宿す。」 が有ります。
内在する仏を感じ取り、それを具体的な木像に彫ることに
より、内在する仏を忘れない様にする。 
と、言う事でしょうか・・・。

人間は、生活の為に、世間にまみれて一生懸命に生きる
事は、大事なことです。 ただ、生きる大変さに負けてしまう
と、心に居る神仏を忘れがちに、どうしても成ります。
神仏を忘れない為にも、自身で形に残すことを氏は、勧めて
おられました。
昭和の暗闇の時代には、これは良い方法だったと思います。
しかし太陽霊光が降り注ぐ、これからは、自分の心の現われ
が、自身の顔に出て来ます
これからの時代は、仏像を彫る代わりに、感謝の先祖供養
と感謝想起により、自分自身の顔を彫り込んで行く時代だと
感じます。

生かして頂いて ありがとう御座います

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コメント (64)
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