伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

自由過ぎるとは怖い事

2008-11-14 18:10:46 | Weblog

自分が生かさせて貰っている。
・・・もし本当にそうならば、もっと良い待遇にして欲しい。 
物心がついた時には、今の境遇だった。
自分で好き好んで、こんな人生を望む訳はない。
こんな惨めで苦しい生活をする為に、誰かに頼み込んで生ま
れるはずがない。
生まれて来ない方が良かった。 早く死にたいものだ・・・。

これから、ますます経済が変化して行くと、素直に
「生かされている」とは、思えない人が増えて行くでしょう。
でも、本当に私達は、神様に頼み込んで生まれて来ました。
「今度こそ、チャンスを下さい!」
「それでも、構いません」 と。
神様は、本当かい? では、見させて貰うよ。 
裸で行き裸で帰っておいでねと、その魂を現実界に降ろして
くれます。
そして、記憶を消された状態で世の中に生まれさせられます。
神様が具体的に干渉するのは、ここまでです。
素の状態で生まれた魂が、短い一生の中で何を実行し、何を
心に刻み込むのか、最後まで手助けをせずに黙って見てい
ます。 本当の神は、途中で手助けはしません。
人の生死よりも、この魂の旅行での途中過程である「今」が
神様には大事なのです。 過去や未来よりも、今、人間が心
に思う事が全てです。 人間が今、考え思う事が全てリアルに
神様に届いています。 そして、それが神に反映して、全ての
現実界へも再転写されています。

神様は、現実界で沢山の道具を使用する「自由」も魂に与え
ています。 良い道具も、悪い道具も自由に使えるのです。
これは、余りにも自由過ぎて、逆に怖い事なんです。
自分だけの願望を叶える為に、エサを与えれば走り回る
霊的動物達や、目に見えない呪詛などの道具も与えてくれて
います。 中には、神様でさえ自分の我欲の為に使おうとする
人間もいます。
もちろん、他の魂を助ける為に、霊的動物達を使う自由も
与えてくれています。
色々な道具を結局「何の為に」利用しようとしたかが重要で
あり、神様に観られています。
この人間界でも、他人を騙してでも人を利用しようとしたのか、
逆に人を育てようと自分なりに頑張ったのか。 
観られています。

私の苦労は、他人には分からない。
と、思う人は多いでしょう。
そうです、他人には分かりません。 
ただ現実には、自分が凄い不幸だと思っているAさんの不幸
は、Bさんに取っては大した不幸では無い事が多いのです。
Bさんは、もっと凄い不幸と苦労を経験したのに、楽しそうに
見える人なだけなのです。
現実界には、不幸な事が有るのは事実です。
でも、自分こそは世界一不幸で、最強の可哀想子チャンだと
思うならば、これは大きなチャンスです。
もし、この状態から生きている間に、自分は、これでも生かさ
れて来たんだと現状に、全てに感謝できる心に成れたならば、
これ以上の素晴らしい魂の成長はありません。

人生は、落差のギャップが美味しいのです。
良い事、悪い事、両方経験してこそ本当の幸せを理解できる
のです。
今、苦しい人は、大きな幸せを得られるチャンスです。
今、幸せな人は、無くさない様に日々感謝する事です。
ただ、大事な事は、消え去る品物に幸せを見ては駄目です。
それは偽物の幸せです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (270)
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