伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

練習は大事です

2008-11-26 18:45:31 | 先祖供養について

感謝の先祖供養における3本目の呼称に拘る人が多いです。
実際は供養時に、心中で思い出すだけで、その方々へは
供養が届きます。呼びかけ方は重要ではありません。
私などは、名前すら忘れてしまった故人をたまに思い出しま
す。でも、思い出すだけで後日に必ず昇華されて行きます。
その後は、年に1度の命日前後に笑顔のその故人を思い出
すことはあります。

他次元の存在に対しては、既にこの世的な名前などは意味
が薄いのです。 形式に執着すると、それは形だけの供養に
成ってしまいます
。霊的実践力を無くしている従来の伝統的
な宗教と同じ罠に落ちてしまいます。
3本目の、その他もろもろの自分に有縁な諸霊を供養する時
、全ての気に成る方々の名前を唱えたところで、数が知れて
います。だいたい、自分に影響している諸霊を全て分ります
か?
私達は自分で気が付けないだけで、思わぬ意外な人物から
怨まれて、生霊が来ていたりします。 故人で全く記憶に無い
人にも頼られていたりするものです。
下手に特定して呼びかけると、一部の霊だけに作用して、
その他の霊が供養されません。
これでは、なかなか現実界で自分に影響する他の霊的磁気
からは解放されません。 積み残しが出るので
供養しても、
なかなか安定した心境には成れません。
これでは従来の宗教供養と同様に、実践力を欠いた供養に
成ってしまいます。

感謝の先祖供養とは、生きている人、死んでいる人を問わず
に困る方々を気の毒に思い遣る、慈悲の心で実践する事が
大事です。
自分自身の精一杯の慈悲心を用いて、他を思い遣る心が
大事です。 慈悲心の大きさには個人差が有りますが、自分
なりの範囲で他を思い遣る練習を、先祖供養を通して養う
です。
これを繰り返して行くと自分の慈悲心が大きくなり、神の無償
の大きな慈悲・愛情が本当の意味で分かります。 
神の一端が分るとは、神に一歩近づいたと言う事です。
これが進むと、自己に内在する神が表面に出て来て、その
人は神の様な生き方を始めます。 生きながら・・・。

3本目の線香供養が不要な霊を呼ぶと怖がる人は、止めれ
ば良いのです。 それが、その人の心の段階だと言う事です。
無理は生けません。
ただ、私はこの2年近く、毎日膨大な数の人々から色々な思
いを受け取っています。 有り難い感謝の思いが大半ですが、
中には攻撃心の思いも有ります。
しかし私は全く平気なのです。 なぜなら、3本目のその他
諸々への供養をしているからです。
私が一々相手を特定せずとも、全体へ慈悲心からの癒しの
思いを捧げる事により、私に来た思いが相手に帰るのです。
短冊が私の身代わりに受けてくれるとも言えます。
特に攻撃心は、癒しの思いには弱いのです。
相手の攻撃念が強く、具体的な形象を帯びている場合でも、
私の慈悲に触れると、謝罪してから発せられた元の相手の所
へ帰って行きます。 他人を恨む念を返された場合、発した元
の本人への衝撃は、本人の認知能力を超えます。
皆さんも感謝の先祖供養3本を、全体へ対して淡々と実践され
ていると、自分の知らない内に嫌な人がズッコケているかも
知れませんよ。笑。
怒りの念は、慈悲と感謝の思いには絶対に勝てません。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (239)
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