伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

志(こころざし)が大切

2010-08-19 11:11:22 | Weblog
折れそうな心細い心でも、必死に生きようともがく姿は美しいです。それが自分のための事でも、自分という生命を活かそうと責任を果たしているのです。
さらには他人も活かそうと、もがき努力する姿は、最高に美しいものです。
しかし、無理な人助けは、お金や時間も掛かる事が多く、自分自身をつぶしかねません。これでは、自分への責任も果たせないのでダメです。自分が出来る範囲で実行できれば、それで良いのです。
ただ、同じ勉強中の生きる人間を助けるのは難しいですが、この世を卒業した縁ある人々を思いやる事は、誰にでも出来ます。
もし、困っている卒業生(先祖)が居れば、助けてあげたいと思える気持ちは美しいです。これは、お金も物も必要ありませんので、自分の気持ち1つで出来ることです。

既に生きていない人々への思いやりですから、何の見返りも期待できません。それでも、困っていれば可哀想だ、という気持ちだけで行うのですから、尊く美しいのです。
利己主義の有料先生は、先祖供養をバカにして神ばかりを求めます。
本当の神様は、弱い者を見捨ててスリ寄る人間を相手にすると思いますか?絶対にしません。
困る者(先祖や縁ある霊)を助けようとしている人間には、神の方から寄ります。
なぜなら、神と同じ事をしようとするからです。その波長に引き寄るのです。

人の心は絶対に死ねない永遠不滅な存在です。でも、肉体は違います。期間限定で先祖と神様から借りている物です。自動車にガソリンを入れるように、肉体にも水や食事を供給し、定期検査も必要です。
医師にしても、人間を治す自信など本当はありません
でも、なんとか困る人を「治したい」という志(こころざし)が在るだけなんです。この志が、他人を治しています。
ただ、この現実界の次元では、志だけでは医師も自信が持てないので、無数に選択できる薬や手段を併用します。やることはした、手段は尽くしたと思えれば、その気持ちが医師にも患者にも強い癒しの効果を起こさせます。

先祖供養や神様への感謝参拝も、まったく医師の気持ちと同じです。
信仰したからと言って、良くなる自信も本当はないのです
ただ、困る存在が居れば癒してあげたい、見えない物事にも恩を感じて感謝をしたいという志が、その人に在るだけなのです。
この志が、大いなる存在には届いているのです。
この世のすべては、大いなる存在1つから産まれたのですから、私たちが持つ志は、自然と大いなる存在へと届きます。
この志を集合させた内容が、私たちの住む世界に反射して来ます。
「気合いだ~」ではなく、この世は「こころざしだ~~」なのです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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コメント (639)
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