すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【森保ジャパン】よくいえば個性重視、悪くいえば「選手まかせ」はいつまで続くのか?

2018-10-19 07:01:01 | サッカー戦術論
監督が「自分」を出すのは3-4-2-1導入時だ

 森保監督は、ハリルジャパンから西野ジャパンへと続いた道程に強く影響を受けている。ハリルジャパンからは縦への速さやデュエル、カウンター志向を受け継ぎ、かたや西野ジャパンからは選手の個性重視や攻撃志向、セントラルMFを両CB間に落とすビルドアップ等を継承している。頭がよく、柔軟な指揮官だ。

 フォーメーションに関しても、おそらく森保氏は当初、監督就任と同時に3-4-2-1への着手を前提にしていたはずだ。だが西野ジャパン的スタイルの継承を望む世論の動向を見て、柔軟に対応しているのだろう。国民が支持するスタイルこそが、ナショナルチームの力になると考えているのではないか? その意味ではきわめて民主的だ。

 その点、選手を集める前から自身のフィロソフィ(サッカー哲学)をチームコンセプトに色濃く反映させていたハリルとは対照的だ。民主的な森保氏と対比させれば、ハリルはさしづめ「独裁者」と映るだろうか。むろんどちらがいい悪いの問題でなく、方法論のちがいである。

 そしてこの点が今後、森保ジャパンの浮沈を握っているように見える。

選手まかせゆえの無原則

 森保ジャパンが現状うまく行っている理由は、西野ジャパン同様、選手の個性を生かして監督がでしゃばりすぎてない点だ。森保監督は自分の考える戦術で選手を縛ってない。むしろ西野ジャパンのように選手がアイディアを出し合い、個を生かし合っているのだろう。

 だから中島や堂安ら若い2列目が伸び伸びとプレイできている。

 ただしこの点はよし悪しだ。あくまでチーム作りの初期段階である「いま」ならOK、というお話である。なぜなら森保ジャパンのゲームを仔細に見れば、基本的なプレー原則が一貫しておらず明らかに監督の手が入ってない部分が垣間見えるからだ。

 例えば厳しい目で見れば、ビルドアップやボールを失った場合のネガティブ・トランジション時に取るべき挙動など、チームとしての約束事が判然としないケースが散見される。

 状況に応じて対応を変えているのではなく、そのとき対応する選手が誰か? という属人的な要素によって「そのケースにどう対応するか?」が左右されてしまっている印象がある。

 おそらく監督がプレー原則を選手に明示してないからだ。

 そして森保ジャパンでは4バックが続く限り、この状態が継続する可能性が高い。よくいえば民主的、悪くいえば「選手まかせ」ゆえプレーに一貫性がなく、無原則だ。

 親善試合ならともかく、このままではハイレベルな場、例えばW杯の決勝トーナメントではとても戦えない。

 だが個人的には、悲観はしていない。おそらく森保監督は将来フォーメーションを3-4-2-1に移行させた段階で自身のフィロソフィを明確に打ち出し、選手まかせをやめて、わかりやすくいえば「ハリル的なチーム運営」に入るだろうからだ。

 いまはその移行期であり、選手に自由にやらせて観察している初期段階なのだろう。なお個人的には3-4-2-1の採用には反対だが、今回のお題はそこではない。あしからず。

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