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私の城下町

2015年05月24日 | 安井かずみのいた時代

ジュリーの作詞と並ぶ、安井かずみさんの代表作は、やはりこの人の曲だろう。
ZUZUが亡くなった時の新聞記事には「危険なふたり」よりも、この人の曲の方が代表作だと、多く取り上げられていたと記憶している。こっちとしては、かなり面白くはなかったのだが。

「安井かずみのいた時代」の中で平尾昌晃さんがZUZUと「わたしの城下町」の制作秘話などを述べていた。その代表曲が生で聴ける機会が、たまたま訪れた。こんなことなら、平尾昌晃の章を もっと読んでおけば良かった。

姫路で会員限定の小柳ルミ子コンサートのご招待券をいただいて、主人と行ってきました。



姫路文化センターには、ジュリーは70年代後半辺りくらいまで来てくれていたかな?80年代以降は、多分来ていない。76年の謹慎休み明けのジュリーの姫路でのコンサートは忘れがたく、すでにブログには書いた。
  

6時からのコンサートは、車の渋滞で間に合わないかもと、かなり焦った。
ギリギリの時間に文化センターについて、急いでいるのに、会館にはエレベーターもエスカレーターもない! 古いホールで、初めて来た主人が「無いの?!」と驚いていた。観客は殆どが中高年で、杖をついている人だって多いのに。昔はバリアフリーという言葉も、その意識も無かったのだ。

席は4階の中央で、ほぼ最後列に近いが、双眼鏡で充分顔は見える。写メした画像に映る、観客の頭の色は白髪まじりの灰色が多い。ルミ子さんのコンサート、やっぱり見るのはこの年代だろうな。



真っ赤な華やかなロングドレスで登場したルミ子さん、自慢の豊満なバストとこれも自慢の くびれた細いウエストを強調したドレスは、とてもセクシー。
画像はルミ子さんのHPから


広い会場に、ほんのパラパラ わずかな数の人だけが、ペンライトを振っている。登場したルミ子さんへの ルミコ~~!の弱々しい声援に、観客の笑いがおきた。ルミ子さん曰く、遠方から駆けつけてくれる 大ファンの人達だそうです。有難いな~ファンは・・・しかし、このコンサートは会員限定のはず、どうやってチケットを手に入れたの?と疑問が? ファンクラブの特権ですか?

『18歳でデビューして45年、還暦をとうに超えて、今年63歳です!』
『人間、鍛えれば伸びます、元気になっていただけるように頑張ります!』

その言葉には、歳はとったけど見た目は若いでしょう?まだまだ綺麗でしょう?私は頑張っています!という、ルミ子さんの自信に満ちたものと受け取れた。
実際、双眼鏡で覗いたぶんには、夜目遠目とはいえ ルミ子さんは昔と変わらず、ずーっと若く美しく、鍛えた素晴らしいプロポーションで とても今年で63歳には見えなかった。


『昔は絣柄のミニスカートで、直立不動で歌っていました』
と、安井かずみ作詞の「私の城下町」と、「恋の雪別れ」
     


『あの頃は、ほんとは私が踊ることが好きなんて 誰も知らなかったでしょう?』
そう、誰も知らなかった。ナベプロから日本のしとやかな良い娘の代表みたいな売り出し方をされて、それが大当たりして、その清純な和楓のイメージが焼き付いた。本人は「実は私はそうじゃない」と不本意だったんだね、きっと・・・

※ 「安井かずみのいた時代」の中では、安井かずみは「私の城下町」のような和風の物の作詞もできる、なんでも注文どうりに書ける作詞家とだと、その才能の幅広さをほめて書いてあった。

そして着替えに引っ込む、次は黒の衣装かな?と予想したらドンピシャリだった(笑) 黒いドレスのスカートはパックリ大きなスリットがいっぱい入っていて、黒いスカートから白い足がむき出し!超セクシ~脚線をこれでもか!と強調している。  

踊り終えたルミ子さん、汗をかき息を切らしながら(踊るルミ子の姿に)『驚いたでしょう?』2曲ほど歌っては喋る、といったパターンで、荒い息を整えながら話す。

パワフルなルミ子から、エレガントへと、今度はしっとりした曲へ。
「京のにわか雨」「来夢来人」をボサノバ調にアレンジして歌う。おしゃべりは汗をふきつつ、息を切らせながら、ダンスでかなりお疲れの様子だった。

『昔からいつか歌いたいと思っていました。世界的に有名な歌。人生の酸いも甘いも噛み締めた、今だから歌える曲です』
歌う曲はきっと「愛の賛歌」やな?と予想したらやっぱりそうだったわ~。ルミ子さんが、語りかけている時に携帯電話のベルが・・(=_=) 誰や?切っとけ! ルミ子さん、きっと気を悪くしたと思うが「私が出ましょうか?」と笑わせていた。

美輪明宏の「愛の賛歌」とも越路吹雪とも、ジュリーとも違う、ルミ子の「愛の賛歌」は語りかけるように、泣くように、譜面はかなり無視の、女の情念がこもった情熱的な「愛の賛歌」だった。さすがの力のこもった歌唱力と迫力は、そこらの若いだけの小娘にはとても歌えないだろう。30代の女でも無理、年齢と人生経験が重なってこその「愛の賛歌」は非常にドラマティックだった。
ふと思ったのは、この曲は譜面のままに普通に、全く技工を凝らさずに歌えば、もしかして 違う曲みたいに聞こえるかもしれない? 
ここまで歌う人の思い入れが深く、歌唱をデフォルメされる曲は他にないな、と思ったりして・・・「マイウェイ」もそうですね~(笑)

 ルミ子さんこの辺で、また引っ込む。次は白の衣装?と予想したら、またまた当たったよ~。今日は予想がどれも ドンピシャリ!今度は髪は高く結い上げられている。短い時間に着替えと、髪型まで変えるのは大変だなぁ・・

       

真っ白のドレスはベアトップ。豊かな二つのバスト、その谷間を強調したドレスはさらにセクシー!・・・ですが、私の感想をショージキに率直に言わせてもらうと、白いドレスは潔く肩がむき出しになっていて、その意外に広い 角ばった肩から、豊満な胸に比してアンバランスと思える、長い細い2本の腕が出ている。そのむき出しの腕の、あまりの細さ・・・腕も首筋も、筋ばって見える。 

むき出しの長い細い腕に、ルミ子さんの 隠しようのない年齢を感じてしまった。年齢とともに 似合わなくなるデザインの服はあり、細い腕と首筋に、悲しいかな 今の年齢が曝け出されてしまうのだ。
それはともかく、ルミ子さんが誇らしげに曲名を告げる、大ヒット曲
「星の砂」そして、NHKの「歌い続けたい歌」で7位に選ばれたという自慢話の大ヒット曲「瀬戸の花嫁」これで、コンサートは大団円を迎えた。 


90分間のステージは、長い休憩も入らず、一人で喋りながら踊り歌う パワフルなものでした。TVで見たところ、あんまり声が出ていないように聴こえたけど、生のステージのルミ子さんは、さすがの現役歌手の貫禄でした。
安井かずみの残した代表曲
「わたしの城下町」は、ルミ子さんがこうして ステージで頑張っている限り、これからも歌い続けられるのです。
提供した作詞家も、歌い続ける歌手にとっても とても幸せなことだと
思いました。特にファンではなかったけど知っている曲ばかりで、楽しめた大人のコンサートでした。

終わったあと主人に「ルミ子さん、大ヒット曲がいっぱい!知らない曲は2~3曲しか無かった。さすがだね!」と話したところ、主人は「いや、知っている曲は3曲だけだった」との返事。「知っている曲は、わたしの城下町と、瀬戸の花嫁と、星の砂?」と聞いたら、やっぱりそうだとの返事で、あんまり歌番組は見ない人だったらしい。でもこの3曲だけでも凄い!

ルミ子さんのブログ
3月、姫路城の前で歌った。とても寒かったそうです。
http://ameblo.jp/rumiko-koyanagi/day-20150328.html



姫路城の大修理を終えた新開城と、コンサートと、計二回も来られて幸せと言っていました。

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④吉田拓郎篇「安井かずみのいた時代」

2015年05月22日 | 安井かずみのいた時代

NHK 25周年の時の安井かずみ、加瀬邦彦、そしてジュリー
「あの頃、日本全国の全女性はジュリーのファンでした」
https://youtu.be/PdvJIIVmwPs

加瀬さんが語る
https://youtu.be/oWZQ3vqAt14


1年越しのオファーで、やっと取材をOKしたという吉田拓郎さん。
ZUZUとは、家族ぐるみの非常に親しい関係だった。
拓郎さんとの友人関係は私は初耳でした、どちらのイメージにも
お互いに友人には合わない雰囲気。(あくまでイメージですが)
その拓郎さんのZUZUを仕事を通じて見る目は、かなり厳しい。

 

『あの六本木の家には暮らしなんて存在していなかった。(中略)
そんなものをやるわけがないはずの加藤がZUZUと一緒に
テニスやゴルフをやっていたのも、僕には、関係を維持するために
必死になって共通の話題を作っているようにしか見えませんでした。』
『私にとって、音楽はジュリー』と言ってはばからず
彼に抱かれたいと思っていたんでしょう。

沢田研二は結婚し、阿久悠作詞の「時の過ぎ行くままに」で92万枚を売り上げた。
安井が離婚したばかりの加藤と結婚したのは、この年の暮れだった。

『俺を沢田研二と間違えているんじゃないかと思ったし
彼女の持っていた音楽センスや詞のセンス、僕に求めてくる
リクエストは、一時代前のものでした。』

拓郎さんにしてみれば、ZUZUにとって 一番はジュリーで
自分はその代用品でしかないという、不満があったのかも?
拓郎さんは、本の中で 本当はアイドルが好きで、そうなりたかったのに
何故かフォークソング、ニューミュージックの旗手に祭り上げられ
TV大好きなのに、出演拒否になってしまったが、本意ではなかったと
告白しています。デビュー前にナベプロの門を叩いたが、
門前払いされたそうです。


吉田拓郎が怒る!加藤和彦と安井かずみ夫妻のNYでの出来事
https://youtu.be/pvhunv7nKKk

AM爆笑問題・27人の証言「安井かずみ」特集
https://youtu.be/pvhunv7nKKk

 

「安井かずみのいた時代」
ZUZUの葬儀の日、加藤和彦はスピーチで『寂しいけれど 悲しくはない』と、そう述べた。ZUZUの亡き後、四十九日もすまないうちに、加藤和彦さんには新しい恋人の噂がでてきていた。もう、隠せないからと写真週刊誌(フライデーとか)に頼んで、自らその噂をリークしたのです。(写真週刊誌と芸能人は、いわば持ちつ持たれつの関係です)
そして1年も経たないうちに結婚。これには、皆驚きました。もちろん私もです。ZUZUが亡くなる前から、恋人がいたんじゃないの?と勘ぐりたくなった。(そこは不明)加藤さんは寂しいから、次の恋人を求めたのだろうか。

そして、再婚した加藤和彦は ZUZUの家具、身の回りの遺品の全てを処分した。写真の1枚さえ残さなかったとか。ZUZUの家の前のゴミ置き場に、ZUZUの衣服等が入ったゴミ袋が多数捨てられたそうだ。再婚した妻の立場からしたら、徹底的に前の妻の痕跡は消し去りたい、見たくない。新しい妻の気持ちは女としてわかります。
ただ、あれほどZUZUに寄り添い最期まで看取った夫が、綺麗さっぱりと1年も経たずに思い出の全てを消し去るとは、ZUZUの友人たちが怒ったのは当然です。渡辺美佐さんだけが、あれだけZUZUを最期まで看護したんだからいいじゃないの、と擁護したそうな。

ZUZUは、加藤和彦の中では死んだ女ではなく、忘れられた女になったんだね。

(加藤さんが自死後のTV番組)
なかにし礼 加藤和彦 安井かずみ
http://www.dailymotion.com/video/xnzuwl_%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%97%E7%A4%BC-%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%92%8C%E5%BD%A6-%E5%AE%89%E4%BA%95%E3%81%8B%E3%81%9A%E3%81%BF_people" "http://www.dailymotion.com/usamixi"

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③加瀬邦彦篇「安井かずみのいた時代」

2015年05月21日 | 安井かずみのいた時代

加瀬邦彦「危険なふたり」
マッチョな男らしさをよしとしてきたこの国で、沢田研二は
ジャニーズにはるか先行して男の魅力を書き換えた画期的なアイドルであった。



「ジュリーの貴公子イメージを作ったのは安井さん」玉置宏
「あの頃、日本全国の女性はジュリーのファンでした」安井かずみ



「(危険な二人の詞は、)ZUZUが自分をテーマに書いたような気がするんだよね」
「それでも愛している♪なんて、自分がそうされたい願望だよね」
「ZUZUはずっとジュリーに片思いをしていたからね」加瀬邦彦



加瀬さんが語る、タイガースのジュリーにはじめて会った印象

ジュリーが還暦の時にやった東京ドームの『ジュリー祭り』を見て
やっぱりすげえヤツだと思ったんだよね。



ザ・タイガース IN 軽井沢(1968)

 二人仲良く お揃いのTシャツは、やっぱり「ブティック・ジュンコ」
よっぽどお気に入りでしょうか


 

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②コシノヒロコ篇「安井かずみのいた時代」

2015年05月20日 | 安井かずみのいた時代

安井かずみのいた時代」もっと、写真を充実して欲しかった。
図書館で借りられますが、買うなら文庫本が安いです。
ジュリーに関しての記述はともかく、一人の才能ある華麗な女性の生涯を証言で多面的に描き出してあります。読む前は、遠い世界に住む女性の話かと思っていましたが、結婚、離婚、仕事、病気と、女性なら誰もが共感できるお話でした。

ZUZUについて語るのは、林真理子、平尾昌晃、伊東ゆかり、コシノジュンコ、村井邦彦、イナバヨシエ、かまやつひろし、加瀬邦彦、金子国義、大宅映子、加藤タキ、玉村豊男、吉田拓郎、渡邊美佐。多くの著名人が語るZUZUは、カッコよくて、聡明で、繊細で、女性の憧れ、そしてミーハーで、可愛い女性でありました。
印象深いジュリーに関する記述です。

林真理子が今も覚えている記事
『ジュリーが安井の紹介で会員制の倶楽部に通っている。
大スター(ジュリー)でも入れない場所があり、そこに
先に会員になっている女性(安井)がいる』

平尾昌晃「あなただけでいい」
※この曲は、ひとつの物語になっているアルバム曲の1曲だけど、この曲だけ
物語の世界と違う感じ、浮いている感じがすると思ってました。
コンセプトアルバムに、これだけ はめ込んだ感じがする。
実はあんまり好きじゃない・・  ゴメンネ~

コシノ ジュンコ
『タイガースのジュリーは、睫毛が長くてほんとにきれいで、
そういう服が似合ったんです』


うちは、コシノジュンコさんのお母さんがモデルの朝ドラ
「カーネーション」から始まったブログなので、ジュンコさんの
証言は興味深いものでした。その時代の先端を走っていた
トップランナーと言える二人は、本当に強い結びつきがあった。
(ZUZUが加藤和彦と結婚するまでは。)
二人共、超忙しいのに遊びまくり、朝帰りはいつものことで、ZUZUの
最初の離婚の原因にもなっている。
亡くなったあと、ジュンコさんは パリにZUZUの遺灰をまきにいったのでした。

ジュンコさんはGSのユニフォームは、タイガースだけではなく
テンプターズ、オックス、カーナビーツと、人気のあったところは
殆どデザインをしているのです。
※画像はJ友様から、有難うございます
ジュリーの普段着は、ブティック コシノ



ジュンコデザイン、タイガースの新ユニフォーム





1着13万円!「僕のマリー」のジャケ写の自前で作ったツンツルテンの衣装から何と、豪華になったのでしょうか
二人共 背が高く首も長いから、スッキリカッコイイ


     右端に、ジュンコさんがいます↓

デビューわずか、二年目にして 5人とも垢抜けました~
素材がいいからね

 
な~んとなく、パンツのラインが今の時代から見たら、ちと違う気が・・


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安井かずみのいた時代

2015年05月19日 | 安井かずみのいた時代

たまたま、本屋さんの芸能人本コーナーでみつけた「安井かずみのいた時代」

そういえば加瀬さんが語るところだけをよんだけれど、加瀬さんが亡くなった後でもあり、もう一度読んでみようと、図書館で借りました。

前々から興味があったのが一度目の結婚相手で、すぐ離婚した新田ジョージ氏。いったいどんな人物なのか?読むまでは、新田氏は実業家の大金持ちのボンボン?と思っていたけど、かなりのグローバルな人物。お互いの知性や教養や趣味嗜好などが、合致した恋愛のようですが、長くは続かなかった。

安井さんは今でいう「セレブ」なんぞという安っぽい成金臭がプンプンするような、胡散臭い「セレブ」ではない。本当の意味でのハイソサエティ、知性と教養とセンスを持ち合わせた選民。仕事は紛れもない日本のトップランナー。欲しいものは全部自分で買う。

「シャネルを1着買っただけで、シャネルが好きなんて言わないでちょうだい。洋服ラックの全部がシャネルでシャネルのファンというのよ。」
なんて、カッコいいんでしょ!迷うことのない強い美意識と自意識は、深い知性と教養に裏打ちされ、生き方のスタイルは真似したくても、できないもの。

あまりにカッコ良すぎて、憧れる対象というよりも、はるか遠くから仰ぎ見ることしかできない。しかし、ジュリーの作詞家であったという事実が、安井さんをジュリーファンからすれば、とても近しく思わせる。ジュリーに関しては、安井さんは間違いなく好きだったようだ。

 



やっと全部を読み終えた。

初めは加瀬さんの語るところだけ読めばいいか、そう思っていたがZUZUの生き様、仕事、結婚、再婚など、どこにもない人生は、あの時代の女性の普通の生き方とは、およそかけ離れている。持ち前の才能で休むことなく60~70年代の女性のトップを走り続ける姿が、華麗で爽快で、息もつかせない。加瀬さんの語る一部分だけでなく、全てを読まなければならない、ZUZUの全体像を知りたい。そう思わせた。

そうして、読み終えたあとの気持ちは、世の華やかなZUZUのイメージよりも、ずぅっと重たい。

   
読んで分かったのは、ZUZUの生き方は、決して特別な
女性のことではない。仕事へのスタンス、結婚生活、老いることへの
焦燥感も、更年期も、人並みの女性と同じにあったに違いない。
それは全て、私たち女性皆が通り、悩む道でもあった。
ZUZUの生活の全てが、あまりに豪華な華麗なベールに纏われていたので、
遥か彼方の出来事、生活と思っていた。実はそうではない
華やかな生活の一方で、私達と同じ悩みを持つ、普遍的な女性の
出来事、生き方でもあった。

 

その分野での超一流の人たちが語るZUZUの姿は、紛れもない
人の憧憬を浴びる女王様の姿だ。
若くしてその才能を認められ、歌謡曲の世界を颯爽と疾走し
ヒット曲を増産する姿はとにかくカッコ良く、爽快感を覚えた。
しかし、シンガーソングライター達が登場する、1976年あたりから
作詞家として詞を量産し続けることに、疲れを感じるようになっていったのか。
ジュリーは、阿久悠さんと組むようになった。
そんな時に、シンガーソングライターの走り、代名詞とでも
いうべき離婚直後の加藤和彦に急接近、再婚。
ここから、ZUZUの生き方の第二章が始まる。

ZUZUを語る人たちの目も、この辺りから微妙に違ってきている。

ある人は、加藤に対してZUZUが我が儘いっぱいだった。
ある人は、ZUZUが気の毒なほど 加藤に対して気を使っている。
語る人によって、その見える姿が違う。 

当時の有楽町阪急に飾られた、二人の大きな肖像写真は
日本人の羨望の夫婦のモデルだ。

この二人だからこそ様になる、高価なブランド品に囲まれた
人も羨む豪奢なセレブ生活、深い教養に裏打ちされた自信は、
底の浅い成金セレブとは、確かに基盤が違うのだ。


実は加藤和彦さんとの結婚生活は、お互いにお互いを縛り、縛られ
束縛しあったものであったのかもしれない。
誰もが羨む華やかなセレブ生活は、意識して演出されたもので
本人には加齢による悩み、加藤の浮気などの懊悩もあったようだ。
ZUZUが肺がんになって 亡くなるまでの記述は、正直にいって 
読むのが辛くなるほどだった

吉田拓郎の「ZUZUはジュリーに抱かれたかった」その
あまりに直接的な言葉に、ドギマギしてしまった。
拓郎さんには、1年越しのアプローチでやっとインタビューが実現したという。
ZUZUに対する拓郎さんの視線は、飾ることなくシニカルで正直です。
実際は、作者の島崎今日子さんは、ジュリーにもインタビューを
したかったのでは ないのだろうか?
ジュリーが語れば、それこそ阿久悠と並ぶ作詞者としての
安井かずみの
見せた真の姿を語ることになったでしょうに



ジュリーの名は、加瀬さんが語ったところだけでなく、
ZUZUを語る人達によって その名前が星のように、本全体を彩るように、
本の中に幾つも散りばめられていた。
ジュリーはその時代時代を象徴するアイコンとして、繰り返しその名前が
登場して、これほど本の中にジュリーの名前が出てくるとは
思っていなかった。
溢れる才能、奔放な私生活、恋多き女、時代の女神であった
ZUZUが恋しても、思い願っても、唯一手に入れられなかった
それは、ジュリーの心だったのかもしれないな・・・と思います。

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