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電話の歌

2014年06月29日 | JULIE メモリーズ

新宿ACBに行かれたというmaruchroさんが28日のブログに
コメントを下さいましたので、改めてアップします。
コメント、有難うございました
72年の誕生日の直前にACBに行かれました。


私も、田舎からACB行きました。中学生でした。
72.4.5と6.10の2回。
生のジュリーは本当に透明。
透きとーてて、それは、それは、美しかったです。
リクエストのコーナーで姉がジュリーから指名され
「電話の歌」をリクエストしました。隣で私は気絶しそうでした。
私もリクエストしようと思って行きましたが、
どうしても手を挙げることが、できませんでした。
6月25日のACB羨ましいです。アップありがとうございます。
懐かしい思い出がよみがえりました。


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※上のコメントの続き

saoさん、ありがとうございます。
「電話の歌」探してくださったのですね。なくて、残念。。。
でも「悲しくなると」で、胸キュンでした。
「電話の歌」は初ジュリーで聴きました。
ファンのモノマネつきで、おもしろおかしく
歌うジュリーが可愛いくて、大好きになりました。
私もこの歌をリクエストしようと、決めてましたが、
素敵なジュリーを見たら、体が固まってしまいました(´;ω;`)
姉もずっーと大ファンです。


※追記
今のジュリーが「電話の歌」を歌ってもきっと可愛い!(確信)
しかし今なら、携帯電話の歌、スマホ、いや、ツイッターの歌かな~
どこで何をしていても、写メされ、即時につぶやかれ
ジュリーには迷惑な世の中になってしまいましたね
ちなみに、「電話の歌」は72年の「JULIEⅢ リサイタル」の
ライブ盤に収録されています。


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コメント、どうも有難うございます。
他にも素敵な想い出、大募集中で~す
しかしなんで「電話の歌」なんですか?
私ならラブソングがいいな~
ついでに、実は1972年の記事の写真はもう一枚あったの。
変顔だから、あえて載せませんでした(笑)。この際、大放出します





「電話の歌」残念ですがYOUTUBEで見つけられませんでした。




 

みんなからのコメント コメントする

maruchroさん、こちらこそ素敵な想い出を
有難うございました。良かった~、今もお姉さまもファンなんですね(^o^)丿
「電話の歌」は歌うジュリーが可愛かったからなんですね。
私はナマでこの歌を歌うジュリーを見たことがありません。
今のジュリーで、是非聴きたくなってしまいました☆彡
saoさん、ありがとうございます。
「電話の歌」探してくださったのですね。なくて、残念。。。でも「悲しくなると」で、胸キュンでした。「電話の歌」は初ジュリーで聴きました。ファンのモノマネつきで、おもしろおかしく、歌うジュリーが可愛いくて、大好きになりました。
私もこの歌をリクエストしようと、決めてましたが、素敵なジュリーを見たら、体が固まってしまいました(´;ω;`)
姉もずっーと大ファンです。

変顔ジュリーも可愛いですね(((o(*゜▽゜*)o)))
コメント

その場所に居ました!! 24歳のバースデイ in ACB

2014年06月28日 | JULIE メモリーズ

25日の「ACBで24歳のバースデイ」の画像に
「その場所に居ました!!」 と、S様がメールをくださいました。
1972年の、新宿ACB 6月25日

           

(Sさんより)ちょっと自慢してごめんなさい!
ジュリーの24歳のお誕生日に、その場所に居ました!! 
新宿ACBも生ジュリーもお初でした(笑)
今となれば、笑い話ですが、高校生の田舎者が新宿に行くことが、
どれだけ大変な事だったか… 。

TVで観てたジュリーを生で観たときのジュリーは、
それはそれは、透きとーてて美しく、王子さまでした

確か、雑誌の記事は女性のカメラマン?でしたよ 
ジュリーと仕事出来て、羨ましいと思ったのを覚えています。

小娘だったから、お姉さま達に圧倒されっぱなしでした。
お小遣いでの学生は、2階の立ち見でした。
料金は千円もしないと思います(500~700円)?
1Fと2F料金違ってたかな!ドリンク付きで、飲み放題です[FREE]
当日、下火?ジャズ喫茶に、ジュリーのお誕生日にスケジュールが入ってれば
前売りの時は(ACB)並んで買いました。
始発で先に並んだ友達の所へ割り込みます(徹夜組みは、お姉さま達)
一緒に並んだお友達は、裕子さんと結婚したら離れてしまいました。
(今、そのお友達に「復活」を 進めても、無いようです。)

ジュリーが、何を唄ったとか記憶に無いです。
ビックリしたのは、リクエストコーナーがあって、ジュリーが
リクエストって言うと、「ハイ!ハイ!」とお姉さまが手を上げて、
指名された人が歌って欲しい曲言う、その中から井上バンドと
相談して、リクエスト曲を歌うんですよ。
指名された人は、良いなぁ~と思いました。
距離感なく、素のジュリーはまぶしかったです 


うわぁ~~!!!!!Sさん
素敵な思い出をどうも有難うございます
それこそ、私のような地方の田舎の学生には、新宿ACBで
生ジュリーなんて夢物語のようです
以外にも料金も安いですね、こんな値段でナマジュリー!!
この頃はジャズ喫茶が下火だったそうですが、ジュリーはいつごろまで
出ていたのでしょうね?この先はさらに人気が上昇中の頃ですから、
そんな時に出演したら、お店の周りが大変な騒ぎになるでしょうし
出演も、無くなっていったのかも?と思います。
 
去年、新宿ACBについて詳しく、ティーンルックの記事をアップしています。
1968年のGS全盛期は、飲み物代300円でワンステージが見られたそう。
特別料金の時もあるようですが、ヤッス~!!

http://town.zaq.ne.jp/u/0224sao/nz1py1gfzs7cgt



2014年6月28日

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maruchroさん、コメントどうも有難うございます♪
ACBに行かれたのですね、しかもお姉さまがリクエストを!
なんと素敵な想い出でしょうか!
ほんとに羨ましいですね~♥ 
改めて、ブログに追記させていただきますね!
で、お姉様は今もファンでいらっしゃる?
ananさん、J友様から あの時のACBに行きました、
とのメールをいただいた時は、嬉しかったですよ~!
24歳のジュリー、この目で私も見たかった・・・
なんと、赤い「ACB」の本をお持ちなんですか!
機会があれば見せていただきたいものです(^^)
ryoさん、今晩は~♪
ACBに行かれた方が羨ましいです
今、ジュリーがコンサートでリクエストなんてやったら
歌って欲しい曲が山盛りで、殺到して困りそうです。
でも歌って欲しい曲はいっぱ。いあるから、リクエストを
募っていただきたいですね~
あの細いウエストで西瓜を丸ごと食べたら、お腹がポンポコリンに・・
今は丸ごと食べなくても、ポンポコ・・・(=_=;) 
saoさん、こんばんは
私も、田舎からACB行きました。中学生でした。72.4.5と6.10の2回。
生のジュリーは本当に透明。透きとーてて、それは、それは、美しかったです。
リクエストのコーナーで姉がジュリーから指名され「電話の歌」をリクエストしました。隣で私は気絶しそうでした。私もリクエストしようとおもって行きましたが、どうしても手を挙げることが、できませんでした。
6月25日のACB羨ましいです。アップありがとうございます。懐かしい思い出がよみがえりました。
saoさん
おはようございます(^^♪

まぁ~なんて羨ましいお話なんでしょう~♡
憧れの新宿ACBで、こんなお綺麗なジュリーをご覧になっただなんて・・。

貴重なお話をご紹介していただき、ありがとうございます。
あの赤い表紙のACBの雑誌だけは、買ったような・・。
このジュリー、大好きです(#^.^#) anan
saoさん、おはようございます!
24才のジュリーのライブに行った方羨ましいです(*'▽'*)
リクエストに答えてくれるなんて、今では考えられませんね(笑)ティーンルックの記事も読みました。タイガース本当にすごかったんですね。
ジュリーがスイカを全部一人で食べちゃうのかな…とか色々想像しちゃいました(笑)
コメント

HAPPY BIRTHDAY TO JULIE

2014年06月25日 | Julie Birthday6月25日

maronさん、どうも有難うございました

※ 現在、田中佐和さんのyoutubeは削除されています
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/cDgQJu7_RBM?wmode=transparent" frameborder="0" width="480" height="385"></iframe>

Youtubeでは名前がよくわかりませんが、占い師は 田中佐和さんです。
「お答えします」で当時、大変有名でした。今はマスコミには出ておられないそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E4%BD%90%E5%92%8C

このTV番組を観たのは、もう40年くらいも前のこと
有名な占い師の女性の「時に忘れられそうになりながら・・」
という言葉に、まさかジュリーにそんな時がくるのだろうか?
と思ったり、むっとしたり・・・ 

触れられたくなかったであろう、結婚の時期の事を言われたりして
いささか気分はよさそうには見えない、この時のジュリーは、
どういう思いで、占いを聴いていたのだろうか。
この当時は自身の歌手人生の(いくつかあった)絶頂期であり、
気負いも自負も、ひとかたならぬほどあったであろうと思う。 
まだ若いジュリーが「忘れられそうになりながら」という言葉を
どういう風に受け止めたのだろうか?

 この占いのとうりに、どんなことがあっても自分を曲げず、

この占いのとうりに、どんなことがあっても自分を曲げず、
楽な道を歩まず、ただひたすらに、自分の信じる道を突き進み 
まさにラッセル車のように、困難な吹雪の道を突き進んできたジュリー

      心から尊敬しています。
         愛と賞賛をこめて・・・・・・

 
        生れてきてくれて有難う
  HAPPY BIRTHDAY TO JULIE 

 

 

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YUMIちゃん、こちらこそ 昨日はご親切にしていただき
どうも有難うございましたm(__)m
チケットも届き、長いジュリーロスからやっと
抜け出せそうですね!7月が楽しみです
ヾ(〃^∇^)ノ♪・:*:・゜★,。・:*:・゜☆
ananさん、昨日は有難うございました。
さすがに、田中佐和さんはご存じないですか。
当時はとてもよく当たると、たいへん有名な占い師の方でした。
この衣装はほんとに懐かしいですね!
懐かしい占いの!!こんな番組ありましたね~!
maronさん、saoさん、貴重な動画のアップありがとうございます!
saoさん、昨日はお世話になりありがとうございました。
楽しかったですね!綺麗なケーキもありがとうございました!
記念のジュリーのカードも素敵で!コーラの名前も!嬉しいです。

5日のトークショーの電話、早く繋がります様に!
ソロコンのチケットも届き、早くジュリーに逢いたいですね~!
おはようございます(^^♪
saoさん、maronさん、貴重な映像をありがとうございます。
こんな占いがあったんですね。
衣裳は覚えてたんですが・・。
ほんまに、生まれてきてくれてありがとう~ですね(^.^)
maruraさん、今晩は~♪コメントどうも有難うございます♪
24歳のジュリー、まるで可憐な少女のように美しいでしょう~
私の大事なお気に入りのジュリーです☆彡
占いの時の年齢は、確かに28歳じゃないですね。
J友様からもご指摘を頂き、年齢の部分はカットしました(^^ゞ
ryoさん、今晩は~♪コメントどうも有難うございます(^^)
ジュリーは若い時から、「一日でも長く歌っていたい」と
言っていましたが、昔からその想いに変わりはありません。
ジュリーが歌い続ける限り、私もその歌声を聴き続けたいです!
maronさん、お忙しくご自分のブログもままならないというのに
ご面倒をおかけいたしました。
本当にどうも有難うございます。
。.。.:*・゜:*・゜。:.*.。.:*・゜:*・゜。:.*。.。.。.。.:*・゜:*・゜。:.*.。.:*
コンサートツアーが始まれば、またご一緒させてください(^o^)丿

sao様、貴重な映像を見せてくださってありがとうございます!
可憐なジュリーが麗しい~~!
しかし占い師の方の結婚予想が当たっていて怖ろしい。
蛇足ですが、結婚したのが27歳の時なので、
映像の時はまだ27歳だった気がしませんか??
saoさん、こんにちは!
とても良いものを見せて頂きました。maronさんのブログも見せて頂いてたので感激です。
ジュリーは24才の時に死ぬまで歌うと宣言したのですね。
今のまま元気で歌ってくれるように、祈ります(^^)/
こちらこそ、どうもありがとうございました。
作業はとっても楽しかったです。美しいジュリーとの逢瀬の時間は夢のよう♥
今年も、ジュリーでいっぱい遊びましょうね
どうぞ宜しくお願い致しますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
コメント

ジュリケン

2014年06月19日 | TV・ラジオ・CM・映画

ラジオの「ジュリけん」
これはジュリーがTV復帰の年に、文化放送で志村けんさんと
一緒にやっていた番組です。毎週面白かったけど、かなり下ネタもあり
ジュリーがこんなことを!という回もありました。
昨日、検索したらYOUTUBEに上がっていたので、お暇ならどうぞ~
「ジュリけん」で検索したらすぐにみつかります

※沢田研二・志村けんのジュリけん
沢田研二・志村けんのジュリけん(さわだけんじ・しむらけんのジュリけん)は、文化放送で2001年10月6日 - 2003年3月30日まで土曜日の午前の時間帯で放送されたトーク番組である。
放送時間は、2002年3月までは毎週土曜日午前9:00-10:00、2002年4月以降は毎週土曜日午前10:00-11:00。
なお、正式なタイトルは『What's a Wonderful Radio ジュリけん!』であった。



このラジオは地下鉄の構内に大きい宣伝ポスターが貼りだされて
当時のジュリーのネット界で大きく、話題になっていました。
私はこの少し前の2000年くらいからパソコンを始めましたが
当時の私はネットを見ることしかできず、画像の保存など難しい事は
全くできませんでした。だから、J友さんがネット上に公開してくれた
その「ジュリけん」画像を自分のパソコンに取り込むという事ができなかった。
昨日、久し振りに「ジュリけん」を思い出し、そういえばあの画像を
J友様はお持ちではないだろうか?もう一度見たい!

そうしたら、何と素晴らしい~私のJ友様が画像をお持ちでした。
ヤッター
これが、宣伝ポスターの一部です・・・・


が、実は私がネットで見たものではなかった。
これは今回始めて見ました~
もしかしたら、番組が始まった当初の宣伝物かも知れないです。
最初だから、衣裳もキチンと背広にネクタイいいなあ、東京は!
首都圏では地下鉄やJRなどに、TV番組の大きなポスターが
ベタベタ張り巡らせてあるのはよく見かけます。
大阪の梅田周辺の地下鉄やJRはともかく、地方では、TVやラジオの
ポスターなんか、まず貼ってありません。

私の知っている、ジュリーが白いTシャツ姿のものはご存じないですか?
と、別のJ友様に伺ったら、これですか?と送って下さいました。
私が見たポスターそのものではないのですが、ジュリーが白いTシャツで
どでかく写っていたポスターに近いものです。懐かしいわ~
上に比べて、随分くだけた格好なのは、多分 番組が始まって
日が経っていた頃だったからだと思います。
実際の宣伝ポスターの画像は、白いTシャツが 
ほぼ下着にしか見えませんでした 
えらいカッコで地下鉄にドーン!と貼りだされちゃったなー
なんで、ここまでカジュアルなお姿の画像にしたんだろう?と、当時思いました。



2001年のジュリーは、若いですね
当時、東京のJ友さんから、ジュリーがただの白いTシャツ着て、でっかい
ポスターが貼ってありますよ、と教えて貰っていたのを、思い出したせいで、13数年ぶりに見られました、嬉しい

東京って、いいな~とつくづく思うのは、やっぱり文化の中心地。
ジュリーに限って言えば、大きなこんなポスターが普通に貼ってあったりする。
私が23区に住んでいた頃、都営線に乗っていてふと、上を見上げれば
ジュリーのLPの宣伝ポスターが!ジュリーの横顔のモノクロポスター。
LPの題名が浮かばないが、やっぱり東京は違うな~!と
H市の田舎から上京したての私は、感心した次第です。

が、しかし、21世紀の今はなんていい時代になったんでしょ!
世界中のどこにいたって、ネットでジュリー情報が手に入る。
最近御茶ノ水界隈を歩いていたらしい、なんて聴こえてくるんだから。
でも、逐一つぶやかれて、ジュリー側からしたら とっても迷惑に違いないけど


 

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bubukoさん、お久しぶりです。でもブログにはよく
訪問させていただいています(^^ゞ
「ジュリけん」は志村さんが相手のせいか、ジュリーにしては
随分と口が軽かったような気がします(゜∀。)
面白かったので、もっと長く続けて欲しかったです。
2001年の復帰の時は、かなりダイエットしたらしいという噂でした。
今見たら、若いし素敵ですよね~
おひさしぶりです。
ジュリけんはタイガース出戻りしてから検索して見つけました。
この二人の話は楽しいし、一時期は一日中いろいろと聞いていました。
ポスターのジュリーの表情は本物の芸人さんそのものですね。
全員集合のコントは「あのジュリーが?」って思いながらも笑ってました。
Youtubeで「鏡のコント」を見つけたときは懐かしかったし、今でも笑えます。

2001年頃だったんですね、ジュリーがテレビで復活してたのは。あのときはずいぶん太ったなぁと思ったけど、今から見ると細い……
「ジュリけん」あとは「ジュリー三昧」をアップしてくださった方には本当に感謝です。
ryoさん、今晩は♪コメントどうも有難うございます(^^)
ちょっと前のような気もしますが、もう10数年も前になった
「ジュリけん」の、また見たいと思っていた画像が見られて、
喜んでいます(^O^)J友様のお蔭です。
ジュリー、とっても笑顔がいいですよね♥
saoさん、こんばんは!
じゅりけんのポスター初めて見ました(*'▽'*)白Tのが特に好きです♡
UPありがとうございます( ^^)/
コメント

カタクリ家の幸福、舞台挨拶

2014年06月18日 | TV・ラジオ・CM・映画

昨日の、読売新聞の記事の「カタクリ家の幸福」の写真を見たJ友様が 
2001年の映画公開時に舞台挨拶をご覧になったと
画像を送って下さいました。有難うございま~す
私は神戸で見ましたが、地方でジュリー達は舞台挨拶なんてしてくれません。
とっても羨ましいです~(ところがドッコイ新事実!下を参照
それにしても舞台挨拶では、写真は撮り放題でOKなんですね!

2001年東京映画祭、オーチャードホール(コクーンと同じ渋谷の文化村)
コクーンは740くらいだけど、こちらは2150席も有る大ホール

国際映画祭だから、スターが多数登場で、劇場の外まで
長い行列になったそうです。
ジュリー、映画よりもずーっと素敵



そして大ショック 今ごろ初めて知った新事実
こちらの舞台挨拶の場所は、2012年2月16日、シネリーブル梅田。
それ大阪! (外国人観光客に人気の新梅田シティにある)

全く知らなかった・・・・大阪で舞台挨拶があったなんて、
知っていれば行ったのに
お蔭で12年もたって、その事実を知り ガックリ肩を落とした私です。
この頃はネットはしていたけど、そんな情報を得ることはできなかった、
と落胆しきり。まさか、来ていたとは・・・
クッソォォ~~~悔しい!!悔しすぎる!!(下品ですいません)
どなたか梅田に行かれた方いらっしゃいませんか~?

左からジュリー、松坂さん、三池監督



そういえば、映画の宣伝で大阪の在阪局のTVに、ジュリーは出ました。
間違いなく来てたんだ。


そして、こちらは東京舞台挨拶の新聞記事だそうです。


「まごころよりどころ」は、松坂さんと、二人でTVの歌番組に出るという
話しがあり、ジュリーはマジで売る気になったのか?と喜んでいたのですが
結局映画の中だけで終わってしまい、とても残念でした。
せっかく、TV復帰の年だったのだから、宣伝して売る気になってほしかった
いったい、何がいけなかったの????

新事実に驚いて、全く映画の事を書くのを忘れていました
こちらで詳しく↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AA%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%B9%B8%E7%A6%8F

冒頭のクレイ(粘土細工)画像がとっても不気味で、気味が悪く
いったいどんな映画が始まるんだ?そんな導入部です。
ジュリーはコロコロした体の、テンションが高いオヤジ、
美女の代表だった松坂さんは、浮世離れしたおばさん、元美男美女が
(リストラされて)脱サラで経営するペンションでその家族と繰り広げる、
ドタバタミュージカル劇です。
あの、キヨシローも死ぬ役で登場。
昔の姿は今何処?というジュリーですが、松坂さんと二人で歌うデュエットシーンは
唯一、カッコ良かった(ボーナスカットか?) もっとも、挿入される兵隊姿で
ア~ア~~と「勝手にしやがれ」のフリマネは、いったいなんなのだ?
鬼才、異才の三池監督の、かようによくわからないところもある、
ミュージカル映画でした。一度はどうぞ~
(三池監督のサブは良かったですね!)

※ジュリケンのYoutubeを貼りましたが、削除されました 

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YUMIちゃん、今晩は~♪
DVDはご覧になりましたか?私はジュリー友達数人で
一緒に観に行きました。神戸の、朝日シネマです。
近くの三宮で見たらいいや、と大阪まで行かなかったのは不覚でした(T_T)
この映画で共演した娘役の西〇尚美さんが、ジュリーと松坂さんを
「往年の俳優さん」と言ったので、失礼な奴、何様!といまだに
根に持っています(笑)丹波さんも含めてでしょうね。
こんばんは~!
映画も舞台挨拶も後追いの私は全く知らず~・・・・(泣)
でもDVDは持ってますよ~。一回見ただけではホラーコメディーが良くわからなかったです。
三池監督って変なの~!って思ってましたが、暖かい家族の絆を感じました。
ジュリーのダンスや、松坂さんも美しくて、丹波さんも、清志郎さんも出ておられましたね。
でもやっぱりちょっと変な映画でしたね。キョンシーみたいなん。
ジュリーと共演した女優さんは皆さん有名になって今や売れっ子ですね!!
おはようございます♪ 今頃くやしがっている私です(T_T)
「Tきめきに死す」に行かれたのですか!冬でしたっけ・・・
神戸で見ましたが、そんな事すら、私は忘れました。
全く覚えていないのは、残念です。思い出されたら是非、
書き込みをお願い致します(^^)
saoさん、こんばんは
情報が以前は少なかったですものね。悔しい~(;_;)お気持ち、お察しいたします。
写真撮り放題、羨ましい。。。
私は、「ときめきに死す」の舞台挨拶に行きましたが、残念ながら写真はありません1984、2、18渋谷東急の指定席入場券に雪が降るなか行く。とメモがあるだけです。。。内容は。。。全く覚えていません(´;ω;`)
コメント (3)

早く年 とりたかった(読売新聞)

2014年06月17日 | JULIE

今日はどこにしまったのか わからなくなったジュリーの資料を
漁っていたのですが、40数年分をてんでバラバラにバサっと突っ込んだまま
結局みつけられず・・・ ああ~何処へ
その代わりにこんな新聞記事が出てきました。ジュリーの歴史の中では、
まだ新しい方の記事(笑) 90年代、TV出演をほぼ封印していたジュリーが
2001年になり、TV出演を解禁したころのものです。
読んでみたら、昨日の「老いに抗う」という週刊現代の記事への
ジュリーからの答えになるヒントも少しは有るかもしれない、
と思いました。

この時は53歳頃か、今より10歳以上も若いけれどジュリーという人は、
昔から考え方というものは ほぼ変わらない人だと思うので
アップします。「カタクリ家のジュリー」太っています

日付けがはっきりしないけど、2001年6月、
読売新聞の3回の連載のうちの、その②

そろそろ若さや元気から解放してほしいんですが
相変らず「若々しく派手に」と言われる。

いつまでも若々しくありたいと思うか、
早く年をとりたいと思うか、どちらか。

できるだけ長く歌っていたいと思った。ところが
その為には中年というのは中途半端なんです。
もっと早く年を取りたかった。





そして、昨日の神戸新聞に 磯前先生のインタビュー記事が載っていました。




GSの全盛時代は、せいぜいタイガースのデビュー前の1965~6年辺りから
70年くらいまで、わずか5年ほどの期間しかない。
一瞬の
打ち上げ花火か、時代に狂い咲いた あだ花かというように、熱狂の
凄まじさのせいか、玉石混交のグループの多さのせいか
GSには正当な評価が全然されていないと思う。
後のミュージックシーンを支える、多くの人材を輩出したにも関わらずです。
GSが当時の日本社会にどれくらいの影響を与えたか、磯前先生のような方が
発信することによって、見直され、正当な評価がされれば、
とても嬉しい事です。




インパチェンスのハンギングが見ごろになりました、



 

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YUMIちゃん、コメントどうも有難うございます♪
2001年だから、もはや懐かしい記事になってしまいましたが
TV解禁のあの当時は、毎日ジュリーで嬉しかったんですよ~
ジュリーはずーっと若い頃から、いう事が変わりません。
確固たる自分というものを持っているからでしょうね。
>やわらかーい部分 そうそう☆彡そこが可愛いんですよね!


ryoさん、コメントどうも有難うございます♪
「カタクリ家の幸福」はコメディアンジュリーが見られます(^^ゞ
でも松坂さんとのデュエットは、とっても二枚目でしたよ(^O^)
saoさん、懐かしい記事のアップ、そして神戸新聞の夕刊磯前さんの記事アップ、どうもありがとうございます。
ジュリーは本当にしっかりと自分の考えを持っていたのですね、若い頃から…精神的に大人なんですね。いつも感心させられます。
こういうジュリーが好きです。でもそれだけじゃない、やわらか~い部分もあるからたまりません!
saoさん、こんにちは!
「カタクリ家…」まだ見たこと無いですが、面白そうですね。
ジュリーは冷静に自分を見ていて、ナルシストじゃ無い所が好きです。
新聞記事UPして下さって、ありがとうございました(^^)/
コメント

「週刊現代」 受け入れるのではなく身を任す

2014年06月16日 | JULIE

GSの記事が載っているとJ友様から教えていただきました。
実は、新聞広告にとっても小さく GSと載っていたけど、私はそれには
気がつかずこっちの記事に注目
見に行かなくっちゃ!と思っていたのだ。これこれ



実際の人物は、それほど無粋な人でもなかったらしいよ・・・
これからの展開が楽しみです

それはともかく、うちは一応 GSブログでもあるのです。
現代は、もちろん立読みなんかしませんよー 写真が大きいから買いました!
それほど目新しくはありませんが、こうしてGSを取り上げてくれるという事が
嬉しいの。多分読者層が、けっこう年齢が高いのかも・・・




でも、ここに使われている写真はすでに既出の物で、「近代映画社」の
昨年出した本と同じものとすぐわかりました。これは前にブログで紹介しています。写真読物共に充実、GSファン必見の書だと思います!

そして、GSだけじゃなくて、ジュリーはこっちにも登場していた!
「ジュリーに面影はなし」とはいえど、その生き方を否定はしていない。
とりあげ方は、いつも好意的ではあります。
現代はジュリーの事が好きでしょ、語りたい人が編集部にいるんじゃないかな。

受け入れるのではなく身を任す
7位ってのが気に入らんけどさ・・・ ちなみに一位は水谷豊。


ここに名前のあがった、他の人達と ジュリーの違い。
それは他の誰より、比べようもなくジュリーが美しい人であった、あるという事です。
例え他の人がいかに有名人であろうと、いかにスターであろうと、
ジュリー、沢田研二の人生とは違う。
あれほどの美貌を持った人の、老いへの気持ちなど他の誰に
わかるというのか。ジュリーの分類は「美女」。
生れ落ちた始めの時点から、もう他の人とは違うもの。
類まれな人には、他の人とは比べられない、その人だけの生き方しかない。
その人生を、普通人と同じ土俵で語らないで欲しいの。

 ジュリーの人生はジュリーだけの孤高のものである。

 

  

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maruchroさん、今晩は~♪お返事遅くなりましたm(__)m
確かに私はジュリーよりも比べものにならない気楽な人生を送っています。かつて、ジュリーの大ファンと公言していた、故中島梓女子が
「私は沢田研二になりたい」沢田研二で有るという事はどういう事なのか知りたいと言っていたことを思いだしました☆彡
この私も少しはそう思います。
ananさん、今晩は~♪
お返事遅くなってしまいました。
現代は意外や、読みどころが多かったですよ。買って損は
なかったです。
ヌード写真の目のやり場には困るんですが・・(^^ゞ
saoさん、こんにちは(・∀・) ~同感です。
ある意味、美し過ぎるというのは、大変なのですね。
その点、私は、よかったですww(^_^;)
いつも、楽しい情報と綺麗なお花、ありがとうございます。
saoさん
おはようございます(^^♪
沢山UPしてくださり、ありがとうございます。
朝から綺麗なお花・・癒されます(^^)
  • anan
  • 2014年6月17日
コメント

歌のトップテン「女神」86年

2014年06月15日 | TV・ラジオ・CM・映画

古沢さんの「無宿」から始まり、85年前後のジュリーで勝手に
盛り上がっているところに、先日、有線で放送された86年の
「歌のトップ10」この日のジュリーの曲は「女神」。
なんて偶然なの~

かつてベスト10番組が全盛の時代は「ザ・トップテン」だった、その後番組。
この時代は「THE ベスト10」も視聴率は低落時代に入っている。
ジュリーが出ない歌番組には全く興味がない私だけど、この年代なら、
出演者の名前くらいはわかりました。
遠慮ない100%正直な感想です。きったない画像ですいません。


86年11月10日、司会は徳光さんと、石野真子ちゃん。
観客は地方からの修学旅行生が多し。
【出演・曲】
レベッカ「LONELY BUTTERFLY」
安全地帯「Friend」
河合その子「悲しい夜を止めて」
とんねるず「人情岬」
渡辺美奈代「雪の帰り道」
沢田研二「女神」
中森明菜「Fin」
1986OMEGA TRIBE「Cosmic Love」
チェッカーズ「NANA」




第10位「すべてはこの夜に」吉川晃司
ジュリーファンには、それジュリーの曲でしょ!と怒りを買う曲名です。
仕方がないのよ、ジュリーと吉川は同じナベプロでプロデューサーも
同じだった。ちなみに吉川君は 何かの用事でお休みです?
徳光さんが、吉川の休みをとりなすように
「彼は感性の男ですからね、(休んで)何かを掴むでしょう」

何だよ感性って? それって、もしかして都合のいい言葉だな。
昔のジュリーなら休まなかっただろうな・・




9位「レベッカ」 「LONELY BUTTERFLY」
「始めまして〜」とノッコ
という事は、売れてきた頃か。ノッコくらいは私も知ってる、何でこんなに
人気があるの?と思っていた。 爆発頭にダボンとした上着に、ズボっとした
パンツが物凄くヤボイが、この当時はお洒落だったんだね、ダッサいわ~
他のメンバーの、いかにも人気のTVに出られて嬉しい~!とはしゃぐ
軽いノリが、まだまだシロートの域を出ない・・・

と、物凄くレベッカに厳しいワタシ

8位「安〇地帯」 Friend
徳光さんが「歌手であり、作曲家であり」と強調し、持ち上げる。
歌手で作曲家だとそんなにエライのか?
今はお騒がせ人間の玉置さん

肝心の歌はネットリとさすがに上手いです、雰囲気があります。
いかにもア〇そうなレベッカに比べ、喋りなどの感じは良い、
ずっと落ち着いた大人。
が、指名手配犯か?と思うくらい人相が悪い、髭面、色黒さ
歌いながら時折 目線を変えるのですが、見てのとうりの チっさい目。
黒目が無くて、白目しかなく どこを見てんのかわからないのが、
物凄く不気味で、気味わる・・・ 
現在の玉置さんは歳をとって枯れたのか、今の方がビジュアルはマシなんじゃ?
人間性は知りません。ノッコといい、この方のヘアスタイルがまたオカシイ

実は襟足の後ろ髪だけが、ゾローっと長い。
こういう襟足だけがスダレみたいに長い、今だに80年代を引きずっている人を
いまでもタマ~に見かけるよね あれって、スッゴク変!
この当時はお洒落だったんだが、時代やねー




次のアイドル歌手はすっ飛ばします(冷たい)
誰か有名人の嫁になっていたっけ。秋元?じゃなくて?
※ 追記します、あの後藤次俊の嫁・・・ オニャンコを卒業した

河合その子「悲しい夜を止めて」

とんねるずの「人情岬」 
2人のバックに、ジュリーの青いCO-CoLOのアルバムが見える。
とんねるずがこの曲を、我が物顔に説明するのですが、説明無くても
五木さんや細川さんなど、演歌歌手のフリと歌マネがはいっている曲なのは
私でもわかった。
83年の「沢田研二ショー」のゲストだった時のとんねるずは、まだぺーペーの 
たいして面白くもない 煩いだけのコンビで、ジュリーに媚び媚びでしたが
3年たてば時代は変わった、今や売れっ子に成り上がり。
番組では二人共、デカイ声でデカイ顔をしていました。



次はまたアイドル、渡辺美奈代「雪の帰り道」
今は美女で通っていますが、この頃は正直 垢抜けない。
最近はグループ全盛で、1人だけのピンのアイドルは少なくなりましたね。


「今週のインフォメーション」でジュリー登場




徳光「ひさしぶりでしょ、渋谷公会堂は」
J 「もう何年ぶりでしょう、ハハハ・・・」
徳 「沢田さん、顔つきが違いますね」
J 「そうですか」 
徳 「勝負をかけている顔ですね」
J「 ピース!」
徳 「色んな曲が候補にあって、その中から女神を選ばれたと思いますが」
J 「そうですね、今回は割とBGM的じゃなくて 山あり谷ありのドラマティックな
  曲をと思って詩は阿久悠さん、曲は佐藤隆さんにお願いしたんですけど。
  さざ波じゃなくて大波小波がある、その辺りインパクトになっているんですかね。」

徳 「今までの一連の動きを見ていると、衣裳も目いっぱい派手にしましたね」
J 「えー、久し振りに派手に」
徳 「胸がふくらんでないじゃないですか」
J 「えー、この中に」
と、自分の胸を指す
徳 「歌っている時に楽しみにしています」


色白のはずのジュリーが何故か顔色が悪い、というか日焼けしたような顔色。
ドーランの色のせい?玉置もどす黒かった、TVの色合いが悪いのかも。
でもやはり、少しやつれたような感じはします。ジュリーは38歳か・・・

歌いだせばジュリーの世界にどっぷりと はまってしまう。
声の色艶、動き 今までの番組の空気を変てしまった 妖艶さ・・・
若い観客層の感想はどうなのか?と気になります。

アウ・・オウ・・・と、もだえるような喘ぎ声がオソロシク色っぽい。



間奏の間に上着を脱ぐ・・・



後姿を見られるのは、なかなか無い。お尻の辺りをはっきりと写したかったわ~



胸がはっきりわかります
赤いライトがなんとも扇情的でさえある気がします、色ッぽ過ぎ・・・・





この表情、いけないものを見ているような気がしてくる・・・



ジュテーム!



司会「プロフェッショナルですね、素敵ですね!」

幼いアイドル歌手の後だから、余計に全く違うものを見せつけられたような気分・・
田舎の修学旅行生の感想が聴きたい。

次は中森明菜
「Fin」
帽子が似合って、とても可愛らしい。
私は特に この人を好きでも、皆がいうほど上手いとも思わないが、
確かに歌は他のアイドル歌手とは明らかに一線を画している。
愛らしくまだ若いのに、独特のけだるさと 落ち着きがあり、この雰囲気は
他のアイドル達は持っていないもの。
そういえば「少女A」は、もとはジュリーの為に書かれた曲という。
「少年Aと呼ばれたやつさ」という、コピーがあったよね?
彼女も「沢田研二ショー」のゲストだったが、83年はまだ丸顔の幼い
少女の趣きだった。いまや洗練されて、トップアイドルに。
3年の月日は少女を女らしく変えるには、十分な時間だ。



1986OMEGA TRIBE「Cosmic Love」
歌いだしたときから、あれれ??というほど、音がハズレて聴こえる。
裏声の歌い方のせいかな? まさか?もしかして上手くないとか?💦
聴きたくもないのに横で仕方がなく一緒に聴いていた旦那が、
「ヘタ」と容赦なく 短く一言でバッサリ・・・・
まるで気が抜けた風船みたいな歌い方、ほんとは上手いの?下手なの?
どうなんでしょ?う~ん、ナゾ

1位 チェッカーズ「NANA」
この時代はやっぱりチェッカーズか。安全地帯などと並び、80年代は
この面々かなー、あと代表手なアーティストは石井竜也。そうだチャゲアス

チェッカーズの歌は安心して聴けます。フミヤのフリが、なかなかキレがよく、
よく動くなー 面白いな、と感心して見ていたが・・・
この動きは何かに似ている・・・、そうだ マイケルにソックリ!
この時代はマイケルのダンスが一世を風靡していたもんね。
実はわたくし、こういう体の小さい 幼く見えるタイプの男は、
昔から趣味じゃありません。
単なる個人の趣味の問題ですm(__)m



私は昔っから、ジュリーしか見えません。



ジュリー、徳光さんに 「有難うございました」



出演者も、徳光さんと挨拶。

また来週~♪

これにて終了。普段はジュリー以外の出演者は無視するのに、
この回の出演者は見ていて、なかなか面白かったです。

興味はないと思いながらも、思わず見てしまったのは
それぞれに個性のある曲に、歌い手揃いだったからです。
ジュリー全盛時代の70年代からの時代の流れも、ファッションも、
この1本の歌番組だけで、80年代半ばの歌謡界の姿や流れが
見えたように思いましたが、聖子がいないのは残念でしたね。
81年のトップ10の生放送では、ナマでトシちゃん、マッチ、聖子を観覧しました。
あれから5年、ベスト10圏内に演歌系が一人も無かったのに、時代の流れを感じました。

ベスト10番組、歌番組全体の勢いが無くなっていた時代でした。

 

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YUMIちゃん、今晩は~♪コメントどうも有難うございます(^^)
ほんとに「女神」のジュリーは妖艶。あの当時の私は
どういう思いで見ていたのか、思い出せません。
多分、かなりのインパクトで有ったと思いますが
私生活の噂と供に、その記憶を封印しちゃったんだと思います。
もちろん今なら受け入れられます♡
こんばんは!

女神のジュリー妖艶!
あの胸の衣装はインパクトあり過ぎでした!もう今は慣れましたが・・・
「アルフライラ・・・」も良いですね~!
リズムに合わせて体を揺らすところたまりませ~~~ん!
  • YUMI
  • 2014年6月16日
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彼を信じてあげて下さい

2014年06月14日 | 新聞・雑誌 記事

本編に入る前に、ちょこっとだけジュリ~♪
NHKの夜8時からの「突撃!アットホーム」で、サマーズの三村さんが
ジュリー!ジュリー!ピンクレディー!という掛け声で
ボクシングをしていました。物まねしながらやっていたのかな??
よくわかりません、そこで番組終了・・・・
 
                   

昨日の82年の雑誌「パーソナル」の記事のタイトルは
「ジュリーファンのミセスにヤボったい人はいない」でしたが
J友様から、今朝あのタイトルは実は不本意だったとメールがきました。

『そう、ヤボったい人はいない…って、あの雑誌が出た時、
神奈川の友は書き方が悪いと、うまく真意が通じなかったと怒ってた。

東京の人も抗議の電話をしたとか、この人インテリなのに、
ジュリーの事になると、かっとして!
Y子さんと噂が出たとき、あなたが投書した83年頃、
ジュリー宅に電話して本当の事ですか?と聴いたら、

電話に出たのが、奥様か妹さんかわからなかったが、
彼を信じてあげて下さい、と言われたとか。
その前、噂になったS田J子の時も電話してる。
(※もちろんS田さんとは、ガセネタですから、ご心配なく!)

私たちのちっぽけなインタビューでも変な書き方をされるんですね。
自分の話した内容は適当にカットされ、適当に書き換えられていた。
有名人であるジュリーは、書かれることによって
どんなに誤解されて悔しい思いをしたのでしょうか』


ジュリーのお宅の電話番語を知っているのも、電話するのも
私には驚きです。ご家族が真面目に電話にお返事を下さったのも驚きです。
何か有る度に、い~っぱいジュリーのお宅には電話がかかったんでしょうね。
週刊紙には追いかけられ、或ることない事を書かれ、さぞ
神経も磨り減ったことでしょう。(身から出た錆かもしれないけど)

                    

先日、ジュリーが独立してCO-CoLOになってからのファンクラブ誌の
「不協和音」をパラパラ見ていたら、ファンから山ほど抗議のハガキや手紙が
届いていたようです。ファンは信じることはできなかったのか。
以下は、86年3号の編集後記 ↓
『編集部はストレス解消の場ではない!』
励ましのお手紙を沢山いただきましたが、読む人の神経を逆なでするような
お手紙もワンサときました。批判しまくった手紙に限って氏名が無い。
本人はスタッフかジュリーを思い浮かべながら書きなぐって
投函してストレス解消になるかもしれないが、一方的に悪口雑言をたたいて、
少しは受け取る身になってみては?批判、抗議、毒づき大いに結構。
でも書く前に、気持ちを落ち着け、よーく考えて。書いたら
読む方の立場で読み返して。堂々と名乗って。
これだけはジュリーファンの礼儀としていただきたい。
日本一の歌手・沢田研二を支えるファンとして大人になりましょう。


以上、これってジュリー以外でも どういう時にでも 自分を見失うことが
無いように、人間として忘れたくない言葉の数々だと思いました。
編集者さんのきちんとした人柄が見えるような提言です。
翻って、自分は大丈夫だろうか?


この後「不協和音」は終わりました。その後は無料の澤會に。
やっぱりこういう事も、堪えたのかしらん・・・・。
確かに、ファンにはとても辛い時期であった頃ですが、あれから、もう30年!
ジュリーもファンも 歳を重ねましたが、私自身は大人になったと
自信をもっていえるのかなー(笑)
今でも澤會には「〇せろ!」とか抗議の手紙がい~っぱい届いていそうです。

※画像は、舞台から落ちて重傷を負ったいわくつきの、87年の京都の
コンサートのチラシ。 私は行っていませんけど。



 

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maruchroさん、コメントどうも有難うございます♪
ファン同士で、ジュリーの批判や悪口はいいのですがファン以外の人に言われたら
一番腹が立ちますね(ーー゛) 何にせよ、愛する人の悪口は聴きたくないです。
私も、ジュリーの私生活と歌は別だと思い、ファンは止めませんでした。
ここまで来たら、ずーっとジュリーが辞める時まで見届ける覚悟です(^O^)
不協和音は実は、一度しか見ていませんでした。今見直したら、とても内容が濃いです。是非ご覧ください!
saoさん、こんばんは
私は、何かあると、雑言、批判を言う友人に。。。私はジュリーの歌声とステージが好きだから、私生活はどうでもいいの(゜Д゜)ノと強がってました。
でも、その気持ちは今も変わりません。どんなことがあっても、ファンはやめれません。
不協和音、私も出して読んでみようかな。
Kinpiraさん、こんにちは♪ Kinpiraさん繋がりでお知り合いになれたJ友様ですが、思わぬところで共通点がありました(^O^)ブログをやっていなければ、知らない同士のままだったでしょう。
元々、85年前後のことは、思い出したくないのでブログに書く筈もなかったのですが、脚本家の古沢さんの「無宿」から始まってしまいました。このお蔭で85年前後のジュリーを見直すことができ、良かったと思います。
>澤會に「〇せろ!」の手紙・・出している人いますかね
澤會にはきっと今も、抗議も要望もい〜っぱい 山のようにファンから押し寄せているに違いない!そう思いますよ(^^ゞ
さくるりママさん、こんにちは~♪
30年前はファンの気持ちを悲しませることが色々ありました(T_T)
今でも、芸能人が離婚するたび、慰謝料の金額で芸能ニュースネタに
なるのが嫌です(笑)
saoさん、こんにちはー。
ジュリーファンのご縁はすごい!私も知ってるお二方がこうして接点があったなんて。長く熱心にジュリーを愛し、応援し続けているファンだからこそ・・ですね。ひたすら感心してしまいます。

>不協和音に抗議の手紙の山!にはびっくりしました。かわいさあまって・・なんでしょうか。手紙ってネットと違ってもっと呼吸を置けるものかと思いましたが、それをも凌駕する激情だったんでしょうか。編集者さんのストレスもたまりませんね。
でもたしかに「人のフリ見て我がフリ直せ」
自分の文章もちょっと見直さなくては・・と思いましたわ。
>澤会に「○せろ!」の手紙・・出してる人いますかねぇ。
saoさん。こんにちは。
お久しぶりです。
30年前に、こんなことがあったなんて…知らなかった!
saoさん達のようなファンに見守られ、ジュリーも幸せですね。♥。・゜♡゜・。♥。・゜
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82年「パーソナル」の記事

2014年06月13日 | 新聞・雑誌 記事

昨日の私がアップした、83年の「パーソナル」の記事を見たJ友様が
メールをくださいました。 (女神の記事をいただいたJ友様です)
パーソナル(ジュリーコーナー)

http://town.zaq.ne.jp/u/0224sao/nz1py1gfzfg5bh

(J友様から)⇒ブログ見てびっくり!パーソナル!!
私のジュリーファン四人組が82年3月号で紹介されました!
広がる女のグループ特集で、
あなたは83年に、あの当時のあなたは20代、私は30代
私達、同じ雑誌でつながっていたなんて、本当に感激です。
私が載ったあと、ジュリーコーナーができて五回ありますが
買っていたのですか? 埼玉のA子と言うのは私です

※私もJ友様がインタビューされたという、その時のパーソナルを
買っていました、当時読んで嬉しい記事だったので
この後に昨日の「ジュリーコーナー」ができたんですね

「ジュリーの魅力は所帯染みてなく、ガラス細工のようでありながら
しかも図太いところ」と、メンバーはいう。 
※名言です拍手!

そう、ジュリーファンにヤボッタイ人は昔からいないんです
ジュリーのファンは美人揃いと、昔昔からそう言われていたんです、
え?聴いたことない~?それは私です!という方
 遠慮なく申し出て下さい!今は知りません(笑)
          

よくよく読めば「ヤボったい人」とは、「TVみて家でゴロゴロしている人」
の事のようですね、失礼しました〜 
今はいっぱい、いそうですけど(笑)

今ならネットでファン同士が繋がっていますが、昔は手紙でした。
雑誌に住所も名前も載りますから、連絡がとれたんです。

この時のお友達全員が 今もジュリーのファンですか?
という事で、お尋ねしました。


東京の人はジュリー再婚してから急がしくなり、ライブに来なくなりましたが
でも08年から復活して、時々来ているおしゃれな人です。
千葉の人は70代で体調が悪くて、でもタイガースドームDVDは
買って毎日見ていると、今でも手紙と電話しています。
神奈川の人は私より年上で亡くなりました。寅さんの撮影所の写真を撮った人。
そして埼玉の、今も熱心なのは私です

東京の人が日経の人と知り合いで、初め、都内でインタビューと写真を
撮りたいと言ってきたが、みんなノー。それで電話が かかってきて、
ジュリーをPRしました! 
この東京の人は私より年上で、女性で日本で初めてエレベストに登った一員です。
義理の弟さんが、70年代のジュリーのレコードのプロデューサー
新曲出る前に聴いて わかって、がっかりしたり喜んだり…

千葉の友は、タイガースからのファンで、実家が向島の老舗の床屋さん。
二階に木の実ナナさん一家が間借りして住んでいて、
本名のまりちゃんと呼んでいた~
この友は若い頃ダンスしていて、浅草国際劇場にジュリーが出たとき
バックで踊ったとか 関西の生まれの私には信じられない話です。


※貴重なお話を、どうも有難うございました。
木の実ナナさんのお話は、昔NHKでドラマ化されたので、見ていました!
ほんとにそのとうりだったのですね、懐かしいです〜


 

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プリンさん。今晩は~♪ この記事は82年に買って
スクラップしていましたが、まさか知り合いになったJ友様
ご自身の記事とは思いも寄りませんでした。
お蔭さまで、他にも色々初めて知るお話を伺いましたので
14日のブログもご覧ださいね(^O^)
それから、建築巡りは色々していますが、なかなかブログに
アップができません。いつかやりたいと思っています。
saoさま、大変 感動的な記事をありがとうございます。
私もsaoさんと巡り会えて、お友達にもお会いできて嬉しく思います。これも、ジュリーのおかげですね。これからもブログ楽しみにしています。
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