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⑩1976年 傷心の巴里にひとり

2017年10月30日 | 1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)

東京フォーラムにお二人のフランスからのジュリーファンが来られていたと知ってから始まった、今回の『1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)』 ジュリーの1975年のヨーロッパ進出を中心にスポットを当てていますが、今回は1976年です。

お正月コンサートの、大阪フェスの後の日劇でのライブ画像を新たに頂きました。

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年末の東京駅の事件についてのコメントがありますね。

このコンサートは「憧れのハワイ航路」がオープニングという

意表をついた選曲のせいか41年前でも記憶に残っています。

3月に再び渡欧、そこで今TVで話題のデヴィ夫人と会談。財産を横領されたんだとか?

世界中を股にかけて走るジュリーでしたが、再び5月に事件が・・・

このテーマの一番最初に上げたこの画像の時は6月半ば、既に二度目の事件が起きた後です。

巴里の小さな少年を見つめる笑顔のジュリーの心中は、

本当はいかがなものだったのか。


ちょっと字が小さいのでコントロールキーで拡大して読んで下さい。

YOUNG7月号の記事

1カ月の謹慎に関しては、ジュリーが繰り返しMCで話していますが

決してナベプロ側の決めた事ではなく、ジュリー自身が決めた事だったとか。

 

あと味のよくない事件ではありましたが、深く反省して自分を見つめなおし

マイナスをプラスに変える事ができるのがジュリーです。

この後の大活躍はファンなら誰でもが知っています。

YOUNG記事。この項終わります。


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⑨1975年、いくつかの場面

2017年10月30日 | 1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)

大賞こそな~んにも取れなかった1975年、ヨーロッパ進出、結婚、TVドラマの悪魔のようなあいつ出演、時の過ぎゆくままにの大ヒットと まさに充実の1975年でした。

アルバム「いくつかの場面」12月21日発売。

声を震わせながら歌うジュリーの「いくつかの場面」の歌唱には、ファンなら誰もがそれまでのジュリーの「いくつかの場面」を思い浮かべて 胸をいっぱいにして涙したはずです。

タイガース時代からほんとに 色んなことがあった。下手とバカにされ、あれほど売れたのにタイガースは解散、PYGを経てソロ歌手へ・・ ファンなら ほんとによく頑張った!ジュリーあなたはエライ!とそれまでの「いくつかの場面」を振り向き思ったたはず。そしてこの先も新たな「いくつかの場面」はまだまだ もーっと続いてゆくのです

何はともあれ充実の75年は終わった

私は76年の年明けは大阪フェスで。

日記を読んだらJ友さんから「3日はチケットがとれず、4日に回されたと連絡があった」と書いていました。これを読んでくれてると思う幼馴染のJ友さん、覚えてないでしょ?私も全く覚えていないわ・・・ 今なら、第二希望ならそれなりの席が来るとおもうじゃない?ところが、Wだよ!それまでがZばっかりだったから、前よりもちょっと前になったと 日記には健気にも書いていましたが、毎回が ヒドイ席ばっかりだったのよ~(田舎だから売り場に並んで席は取れないし、そこまでやれない)

※J友さんによると、今回の50周年は第二希望でもイマイチだそうです

76年1月4日の日記

『大阪フェスにジュリー見に行った、もちろんとっても楽しかったよー。LPの曲が中心でやっぱりナマはいいなぁ・・ (中略)おしゃべりもとても楽しかったよ。駅での事件の話しが多かったけれども、でもジュリーは二度とあんな事はしないでしょう。ジュリーもしきりに言っていました。悔しかったろうなぁ と思うと可哀そう。今さら仕方のないことだけど。

(コンサートには)サリーやデイブ平尾が出て来て、もうあの事件はパロディであります。

※比叡山に行った日の事、私達が京都駅に着いたら改札で国鉄駅員から「また来たのか」と言われた。と日記に書いていました。そういえば、おぼろな記憶が・・・昔の国鉄は、親方日の丸で駅員教育がなってなかったんじゃないでしょうか  

今年で10年目、新たな気持で頑張って欲しい。ジュリーってまるでハーフみたいでスラっとしてカワユイの今回はあんまりロックっぽいものは少なかった。私はとてもおとなしくて、ジュリ~♪なんてひと言も叫ばなかった。前に押しかけることもせず上品に聞きました。

Julie、始めは船長みたいな白い服に帽子を被って「あこがれのハワイ航路」なんて歌うの。変わっていて面白かった。それから紅白の時のぶどうのついたラメの衣装、とてもキレイ。2時間なんて短い・・ 4月7日に神戸国際会館に来るの、ジュリーシートが4500円。一度は前で見たいから4500円出そうと3人で決めた(あとの1人は誰か忘却)でも4500円て高い、ファンクラブの会費も払わなきゃいけないし お金がいっていって トホホ・・・お金~~~!! 

 


※日記はほぼ原文のままです。文章力も頭の中身もともに、40年たっても全く進歩が無いことが よ~っくわかりました 当時は至極真面目に書いていますが、今読むと・・・笑えます 若い時はお金がなくてツアーに行けず、働いてお金が自由に使えるようになったら、今は家庭や介護で自由に行けない。そんなもんですね。

この後、1月21日に新曲「立ちどまるな ふりむくな」発売。TBSの久世さんプロデュース、セブンスターショーに出演。2月11日に「巴里の哀愁」が公開になりました。3月からは2週間のヨーロッパへ、スイスでTV出演・フランス・イギリスでレコーディング。

帰ってきたらスプリング・ロックンツアー春の全国縦断コンサート。ジュリーにならい、若手の歌手も全国縦断ツアーをするようになったそうで、なんでも先駆者のジュリーです。

長くなったので予定の某夫人は明日やります、ごめんなさい。明日で激動の「1975年・巴里の哀愁」のカテゴリーは終わります。

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島根県民会館

2017年10月29日 | ライブ・公演・舞台

またまた台風の接近に 恐れおののいていましたが、先週の怖いほどの猛威ほどでは無く夕方には 風雨は去りホっとしました。先週の台風があまりに超大型すぎました。これから、台風が近づく地域の方々は どうぞ気をつけて下さいね。

何はともあれ、ジュリーさまの コンサートが無事に開催されて良かったです


miwaさんが、昨日の松江市ののレポをくださいました。有難うございます 立ち見も出る盛況だったそうです

miwaさんより 島根県民会館行ってきました~
ほんとに楽しくて最高でした!
立ち見もでて大盛況でした。
「最後まで上機嫌でお送りします!」
「松江やって来ました~久しぶりで~す!呼んでくれて有り難う!」
と気持ちよく歌っていただいたように思います。
3列めのセンターととても良い席で、うっとりです。
声も素晴らしく良かったです。ワンコーラスだけ?
なんて思ったりしましたが、
いえいえ、もう大満足でした。
ジュリーってホント凄い!って実感させられます。
最後のミラーボールほんと素敵ですね。
そして何度も何度も「有難う、有難う」と深々と頭を下げられる姿 。
こちらこそジュリー有難うです!

約1700席だそうです。立派な会館ですね!


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⑧1975年 年末賞レース

2017年10月28日 | 1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)

てるさんから、昨日のコメント欄に「比叡山フリーコンサート」の事を書いていただいたので、去年の「比叡山フリーコンサート」のカテゴリーに追加させていただきました。ファンにも色々な想いがあったのですね それぞれの比叡山フリーコンサート。 まだまだ 比叡山の思い出は募集中です 


いよいよ1975年も年末・・・YOUNG11月号

10月、映画「巴里の哀愁」の撮影の為にまた渡仏。

文字拡大 ジュリーの隣りは加勢さんですね。

そして各賞レースが始まりました。賞の為にフランスから日本へ、とんぼ返りの強行軍です。でも受賞できず・・11月24日、歌謡大賞は布施さんの「シクラメンのかほり」ジュリーは放送音楽賞でした。

日記には『一番に放送音楽賞の名前を呼ばれたからほっとした。大賞はやっぱり布施さん。26対18(布施対ジュリーの票数)ジュリー来年はもっともっとやるわよね』

そしてレコード大賞の部門賞11月19日

12月19日の日記に、国鉄職員とジュリーとの間に起こったトラブルを書いています。 

大晦日12月31日の日記(要約しました)『ジュリーは何にもとれませんでした。あの事件が影響したのかね?下馬評では布施さんの対抗馬はジュリーだと言われていた。でも大賞候補の指名順位は 10人中8番目の低さ。なんであんなに下なの?南沙織や小栁ルミ子のどこがジュリーより活躍していたというのでしょう?私は悔しいわ。いつもジュリーはおかしな評価しかされていない。ジュリー可哀そう! あの事件は確かに彼が悪い。27にもなってジュリーのような慎重な人のやる事じゃない。あきれた、子供ね。でもジュリーも反省している 忘れてしまおう。ジュリーもラジオで「自分の首を絞めた」と言っている。あれがなければ 申し分なくいい年でした。来年はもっと頑張って下さい。』この時は思いもよらなかった、次の年に自分でさらに自分の首を絞めるとは

私は今朝の「せやねん」を見るまで全く出来事を知らなかった、明日は今ワイドショーで話題の某夫人が登場します

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⑦1975年 ROCK'N TOUR75

2017年10月27日 | 1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)

桃子姫さん、ぷーさんから、75年9月の仙台の「インド政府茶業局」のご招待コンサートに参加しました、とコメ欄にいただきました。

ぷーさんの席順の裏話は笑劇です(笑)マジですかっ!なんでそんな事をさせるの、私ならノロイから絶対に負けてる ドラフト会議みたいにくじ引きにしてよ!そう主催者にはお願いしたいです こちら→ROCK'N TOUR75(インド政府茶業局) 

こういう全く知らなかった昔のエピソードをJ友さんからいただけるのが、とても楽しく嬉しいです。


 予定ではとうに「巴里にひとり ヨーロッパ進出」のカテゴリーは、あの膀胱炎二回の記事をもって終わっているつもりでした。でもJ友さんから75年のROCKN TOUR75の画像をいただいて、やっぱり順番としてこれを先に紹介したいと思います。75年のジュリーは瑞々しく若い。そしてファンも共に若い

J友さんがピンナップされていたという、年代物のかなりヨレた記事。ツアーに参加した方もしなかった方にも、その時の臨場感を味わっていただけるんではないかと思います。

文字拡大

今も昔も、ジュリーはファンに囲まれるのは嫌ってるよね。


拡大

フォー エバー 永遠に・・ 

「永遠に!」といいながら、その後ジュリーから離れた人もいるでしょう。それもいい、それは仕方がないと思う。気持がうつろうのが人間だし、それも一つの選択肢。私にはジュリー以上の選択肢が見つからなかっただけ。

来る人があれば 離れる人もある、それが人生なんだと思うわ。ジュリーが一番それを感じながら、それでも歌い続けてきたんだと思います。

有難う 有難う 有難う と何度も何度も頭を下げるジュリーを、三田(さんだ)で初めて見ました。眼の前の観客だけではない、今までの全ての見えない物にも感謝をしているように 思えました。

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アサイチで

2017年10月27日 | TV・ラジオ・CM・映画

今朝の「あさイチ」のゲストは二宮君 ニノ。

嵐のデビュー当時の19歳の映像がお子様ぽくって、とても19には見えませんでした。「硫黄島からの手紙」のイーストウッドに会えると臨んだ、オーディションのエピソードがおもしろかったです。

その後のエンタメコーナーのゲストに、オリジナルラブの田島さんが登場しました。この方、超個性的にジュリーのカバーをBSのカバーズでしていました。田島さんと言えば→座頭市

田島さん『BSのカバーズでのコンセプトは真ん中の曲をやる。メジャーすぎて人がやらない曲をやる。ジュリーとか・・ カラオケではジュリーをやる。』

それに対してイノッチが「沢田研二・・・さん」、呼び捨て?と思ったら 後から付け足しのようにジュリーの名前に「さん」をつけました。呼び捨てはいけないと、途中で忖度したんでしょうな。

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沢田研二の「でもやるんだよ」感覚。

2017年10月26日 | TV・ラジオ・CM・映画

スージー鈴木さんが、日ハムのドラフト指名にかけて ジュリーの事を語っています。→ 大谷翔平を指名したファイターズと沢田研二の「でもやるんだよ」感覚。【球・人・録 vol.8】(水曜隔週更新)「スージー鈴木の『球・人・録』」の第8回は、2012年のドラフトで、他球団が見送った大谷翔平を、敢然と単独1位指名したファイターズのフロントと、69歳になりながら、ロックンロールを、未だに元気に歌い続ける沢田研二に共通する、ある感覚を考えます。

日ハムのドラフトへの姿勢は前からやるな!と思っていました。今日はプロ野球のドラフト会議の日!私は毎年、野球シーズン後の この日がとっても楽しみで~ くじ引きで1人の選手の運命が決まる。毎年、ドキドキワクワクしながらドラフト会議を見守っています。時おり、ビックリするようなマヌケな展開になるのも(外した方が当てたと勘違いする)笑えるエピソードです。我が阪神はなかなか、当りくじをひけないんだけどさ 清宮君が当たらないかな~( ̄人 ̄) 

ただ今、見ておりますが阪神は外しました ガッカリ・・・7分の1じゃダメか。当てたのが日本ハムですよ。これで清宮君は北の大地にいっちゃうわけね。 ※夜中にNHKの東京オリンピックの再現ドラマを見ていたら、エンドロールのスタッフの名前に「加門 良」本名なんですか?


お知らせしたミナキーさんの、昨夜のネットラジオを聴きました。

前回のかける曲を度々間違えるトッチラカリぶりには、呆れながらも微笑ましく聴きましたが、今回は完璧ですよね? 今回はゲスト有り。ミナキーさんとのナマウタもありの構成です。度々 差し込まれる外国語のCMに曲を中断され、イラッ~としましたが、かかる曲は良かったです。曲はね~(ため息)こちら

★「枯葉のように囁いて」1983年、40枚目の曲「決めてやる今夜」のB面 若い頃とは違う、今の声とも違うジュリーの声、久しぶりに聴きました。

★昨日のエデン 「ア セイント・イン・ザ・ナイト」より。このコンサートは大好きでした。ゆったりとした曲調と詞。ジュリーの歌声がまとわりつくようにエレガントでゴージャス、大人の色気がたっぷりです。

★「愛の逃亡者」まさにヨーロッパ進出の曲、今回のツアーでも歌っています。

★「不死鳥の調べ」これも久しぶりに聴きました。詩も曲もいいわ~

で問題の「静かなまぼろし」

元々ネットラジオの画像が不鮮明なのと、老眼のせいで この画像を見た時にすぐには?と思わなかったの。でもこのジュリーヘン。思わず老眼鏡かけて見直した。それでも、まさか?と思って虫眼鏡で見た、次はコントロールキーで画面を拡大した。拡大しても元が不鮮明だから、このボケたまま拡大されるだけなんだけど・・ 

誰ですか?これ?

ジュリーじゃないよね。多分、ジュリーのモノマネをしている方。

まさか・・だって、ジュリー大好き!と熱く語るミナキーさんの番組ですよ。ジュリーと他人を間違えて出すなんて、有り得ないです。 スタッフが画像を作製しているのかもしれないけれど、まずご自身で画像をチェックされないのでしょうか?画像自体も比率がヘンで随分素人っぽいですが、どんなスタッフが作製しているのか?他にもPYGをピーワイジーと言われていたりして、それはないと思いました。大ファンであるのを自認されていて熱く語られるお気持ちや、選曲自体は楽しいのですが、その前にまずはよくチェックをして 放送をしていただきたいと思うのです。

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⑥1975年 ROCK'N TOUR75(インド政府茶業局)※追記あり

2017年10月25日 | 1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)

※下に赤字で追記があります。

東北のJ友さんから、1975年の宮城県の沢田研二ショーの画像を送って下さいました。有難うございます

『1975年のROCK'N TOUR は、山形と渋谷のファイナルに行きました。
仙台はツアーには入っていなくて、9月でした。
会場は、県のスポーツセンターで、ステージが広くてパワフルだったと記憶していますが、何故かお客さま招待のステージでした。
出演者には、ジュリーと堯之バンドとありますが、ミッキー吉野グループも一緒でした。』 


※追記 ぷーさんより笑劇のエピソードをいただきました。マジですか・・

Saoさん ずっと 謎でした。仙台での体育館みたいなとこでのコンサート
座席指定などなく 私は前日の夜から徹夜で席取り
当日 会場時間が近ずくと 整理券を持った別グループの方々が
主催者が前の日に整理券を配って解散させていたんですね〜
で (席順を)どうしたと思います?
50m走をさせて 勝った方のグループを一番にさせたんですよ〜
もちろん 勝ったと記憶しておりますぅ
それが この75年のコンサートだったんですね

スパンコールの衣装が豪華で華やか~ この時のYOUNGのスケジュールを確認したら、仙台のご招待会と書いてありました。主催がインド政府茶業局で、ご招待になっていますが、ジュリーとインドは いったいどんな関係が??う~んレア!J友さん、珍しいものを有難うございます(^-^) 

全体像。この画像自体が招待券なんですね。

私は8月22日の大阪フェスのROCK'N TOUR75に行きました。内容をその日の日記に書いていました。恥かしげもなく一部書き写します。

『席はSの一番後ろだけど、良かったなぁ。一番良かったのが「イザベル」と「悪い予感」とってもいい歌、もう一度聞いてみたい。ジュリーの声が綺麗・・(※イザベルは8月の大宮のMCで、海外で売り出した頃のお話で、「イザベル」だけを感じを変えて「イザベル~イザベル~イザベル」と素敵に歌ってくれました。とJ友さんからレポをいただいていました。日記に書いていたとは、全く忘却です。ジュリーはこの曲に想い出があるのでしょうね)

フィナーレは白煙がモクモク、大きな風船がゴロゴロ転がり回るのです。彼、力いっぱい歌ってくれた。気持がいいね、もう手が痛くなるほど手拍子を打って イエ~イ!と叫んでジュリ~♪とわめいて必至だった。目に涙なんか浮かんでしまうのです。 I believe in music I believe in love♪と皆で一緒に歌った。

彼が「結婚したのにも関わらず、ようこそ来ていただけました。」と面白おかしく言っていたけど、もうスッキリしています。ずっと前から、結婚しても彼のファンでいられるとわかっている。(中略)

ジュリーがラジオでPYGのレコードをかけて「花・太陽・雨」レコードは全然つまんないから、ステージを見に来て下さいって。ほんとにステージの「花・太陽・雨」が抜群に良かったよ。

TV(悪魔のようなあいつ)の方も見ておりますが・・ まぁ~ やりきれなくなってきた感じだぞ。可哀そうなジュリー・・いや良でした。死んじゃうんだろうな・・(後略)』

日記を42年ぶり読んで、大きな思い違いをしていたことに気がつきました。ジュリ~♪とは恥ずかしくて 長いこと叫べなかった・・そう信じていたのに、しっかり「叫んだ」と書いてあるではありませんか。ほんとに記憶っていい加減。どこかで記憶がすり変わってしまう事が多々あるんだな・・とわかりました。 

しかもジュリーを「彼」と書いてますが、今の私はジュリーを「彼」なんて呼びかたしないよ~(笑) カッコつけてんな

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⑤巴里にひとり

2017年10月24日 | 1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)

前にも紹介した、ネットラジオのミナキーさんが、明日の水曜日午後9時から またまたジュリー特集をされるそうです。こちら→ミナキーの洒落と歌の日々 

ジュリーへの熱い思いにみち溢れたミナキーさん、前回初めて聴きました こちら→「ジュリーバースデイ特集」 いささか前回は慌てまくっておられたようですが、明日は落ち着いてやっていただきたいです。 


勝手に「巴里にひとり祭り」を開催中。まだ続いています。J友さんから、1975年のロックンツアーのジュリー画像を送って下さいました。オープニングが比叡山のフリーコンサート、その次は8月1日の北海道へ、それから東北です。北海道から青森へ向かう青函連絡船の中で撮影されたようです。

 

ロックンツアー75の日程表。

大阪・渋谷だけでなく あの頃は名古屋も2日間あったのですね。

意外にツアーの日程が短いけれど、おそらくTVドラマ「悪魔のようなあいつ」の撮影があるからだと思います。9月以降もポツポツとコンサートの日程は入っていました。

8月21日には 新曲「時の過ぎゆくままに」が発売、画像がボケていますが これは元からです。

9月にフランス向けLPのレコーディング、10月からは「パリの哀愁」の撮影の為フランスへ。ジュリー、ほんとに世界を股にかけてお忙しい!

ドラマの視聴率は良くないけれど「時の過ぎゆくままに」は大ヒットで、結婚が人気に影響を与える事もなく、ジュリーはノリに乗っています。ジュリーがMC「売れて 売れて 売れて・・ 調子にのってました」状態になるのも無理はありません。記事はYOUNGの10月号より。

 

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台風の後

2017年10月24日 | 日記

なんと、何時も見ている東京MXの(品のない)「5時に夢中」に髭を生やした稲垣吾郎ちゃんが! ビックリ~!この番組も認知されてるわね~(笑) 彼らもジャニーズ事務所をやめたら、随分くだけたのかしらん。久しぶりにTVで吾郎ちゃんを見た。他の二人もですが、今までと違う彼らが見られそうです。


日曜日の台風のお蔭で散々です。夕方はまだ風雨はマシで選挙にも行きましたが、夜から夜中にかけて風の音が怖いくらい 時おり外でガチャ~ンという物が割れる音が聴こえたりして、余計に不安 早く過ぎ去ってくれないかなぁ・・ 台風は夜中もずーっと吹き荒れていました。

朝になったら、軒下に避難させたプランターの日日草の花がキレイサッパリ吹き飛ばされていました。朝から葉っぱの掃除で大わらわ・・街中も台風のせいで、大枝やらゴミだらけ・・ところが もう次の台風がきてるんですって?いい加減にして欲しいわ~ 

まだ咲いていたけど季節外れの朝顔を整理して、秋のプランターを並べました。

 

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