のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

己を受容する(7)

2016-04-29 | 5次元宇宙に生きる(神)

(釣鐘・・・・一つ一つの中に自分を抱え込んでいるように見える)

 

 

宇宙は螺旋のように動いて行く。

月も地球も銀河もみな回転運動をしていますが、それはただ同じ場所で回転しているのではない。宇宙は螺旋を描いて空間を旅しているのだと、ナッシム・ハラメイン の新宇宙論では述べられています。

(この連載の冒頭で取り上げました心の旅からの帰還を参照してください)

 

銀河は大きな螺旋を描きながら宇宙を巡礼しているという、新宇宙論を知って、ビックリしたのは1月のことでした。

地球は太陽の周りを回っていますが、一周して同じところに帰っているのではないということですね、弦巻の上を動くようにように、回転しながら前進しているわけです。見た目にはわからないけれど、宇宙は空間の中を回転しながら巡礼しているということですね。

心もまた同じではないのかと思うのです。

内なる自然を受容して安らかな心を得たと思ったら、知性が働いて虚構の世界が現れます。すると再び心は苦悩の色に染まる。同じ苦悩が何度も何度もやってくるというわけです。

面白いのは、やってくる苦悩を受け止め、逃げないで見つめていると、必ずその苦悩の起こっている原因が見えてくるということです。

苦悩に悲鳴を上げるようなことがあっても、それが永遠に続くわけではありません。嫌がらないで、逃げないで、心の中でその苦悩を抱きしめるのです。そして自分自身に、「でも私は生きている」 そうささやきかけて御覧なさい。そのことばは私たちを真実に気付かせてくれます。

苦悩は虚構がつくりだします。その原因(虚構)に真実を突き付けると、苦悩は嘘のように消えてしまいます。まるで苦悩という種から、真実の双葉が芽を出すようです。苦悩から解放された喜びはたとえようもありませんね。

そして苦悩はその喜びを、私たちに何度も経験させてくれることになるでしょう。というのも、苦悩はそのあとも繰り返しやってくるからです。そのたびに「でも私は生きている」という言葉とともに、真実に気付くことを繰り返して行くしかありません。

もちろん言うまでもないことですが、「でも私は生きている」ということばは、呪文ではありませんし、呪文のように使っても効果はないと言っておきます。大事なことは自分が生きているという命の実感に気付くことなのですね。そのためにきっかけとなる何かが必要なだけです。ことばを使わなくても、体の振動で気付くこともあるわけです。

それにしてもこの、真実の気付きはけっして長続きしません。今日良くても、明日には虚構の中で自分を失ってしまいます。これは人間だけが背負った宿命と言っていいでしょうね。

こうして同じところを堂々巡りしているように見えますが、しかし実は目に見えない螺旋を描いて心は少しづつ成長しているのです。

苦悩から逃げ出して、悲鳴を上げるだけでは、おなじ円をグルグル回るだけで成長しません。

しかしやってくる苦悩を受け入れて理解する(受容)することを始めれば、この堂々巡りが必ず螺旋運動に変わります。

真実に気付くということはプラス思考を選ぶということですね。思考エネルギーの中から良いもの(プラス思考)だけをとりあげようという意識を持てば、良い思考がいつも心に浮かび上がるようになります。そうすると、自然に良い思考が集まって来るようになるのです。すると苦悩の螺旋は、弦巻ばねを引き延ばすように前に伸びて、進歩の速度を速めていくのです。

そうすると、くつろぎの時間も徐々に長くなっていくでしょう。それは真実に近づいている証しですね。苦悩から解放されるたびに、さわやかな心の高揚があなたにやってきます。

時には夕焼けを見て、自然の美しさに心奪われるかもしれません。自然の方から発せられるメッセージを受け取ることが出来るほど、心が成長しているのですね。

しかしそれでも相変わらず苦悩はやってきます。私空間 (知性で見る世界)に生きる限りそれは避けられないのです。

それでもいつか、螺旋を描きながら成長している心を実感する時が来ます。

やってくる苦悩に対して、真実を見ようとする思いを強く持ち続けていると、ある日奇跡が起こります。あれだけ嫌がっていた苦悩を、自然に受け入れている心の変化が現れるのです、

そして、苦悩がやってきたら「ありがとう」という気持ちが起こってくる自分に驚きます。苦悩のおかげで、意識して真実に触れる体験が出来る。そのことが、心の底から分かってくるのですね。

そうなると、知性は苦悩と至福をセットで認識するようになります。

つまり、「苦悩がやってくるとその次には、至福が味わえる真実に出会える」と頭脳が理解するようになるわけですね。

そうなってくると知性も、ありのままの姿に価値を見出すようになるでしょう。何もない、何も持たないありのままの姿こそ、金銀にも代えがたい価値なのだという真実に知性が目覚めたら、あなたは胸が苦しくなるほどの至福を体験します。

しかし最後の最後まで、知性は自分の仕事を忠実にこなそうとするでしょう。真実を理解しようとして虚構をつくりだしてしまうのです。どう頑張っても知性が真実をつくることはできませんね。

私たちの心の旅はここで終わるのでしょうか。真実の門にたどり着いても、門はしまったままなのです。頼りの知性は融通が利きません。あと一歩が踏み出せないのです。

ここでアルキメデスを思い出しませんか。前回の話です。

知性は真実をつくり出しません。しかし、真実をつかもうとする意識が、自分をへとへとにするまで知性を追いこんでいくと、その緊張の極限に知性は疲れ果て、思わず握りしめていた手を緩めてしまいます。すると緩んだ手に、真実の方からそれは自然に流れ込んでくるのです。

知性が真実と出会う瞬間です。アルキメデスはその瞬間を風呂の中で体験したと言います。喜びのあまり服を着るのも忘れて、風呂から飛び出し、街中を家まで走り帰ったと言います。

私たちも同じ体験をしなくてはなりません。知性が思い描く理想の中にある虚構性を見抜き、自然そのものである己の価値を強く意識します。すると眠りの中でもその意識が働くようになります。やがて、この意識は神と同等の価値だということに気付くのです。眠りながら私たちは己の神性を体験します。

「私は神だ」ということばを高慢と、とらえないでください。それは自然という意味です。あるいは真実そのものを人格化しただけの話ですから。

知性は最後まで、その神と戦おうとしますが、アルキメデスのような熱意がやがて知性の握りしめた手を緩めさせる時が来ます。

そのときはじめて、知性は神性を受け入れ、理解します。神の門が開けられ、真実の方から私たちを迎えにやって来るわけですね。

真実が私たちの心の中にやってきます。すると、己を受容することは、神を受容することと同じになります。己の神性を理解する瞬間です。

私たちは、だれ一人例外なく、己の存在が神そのものであることに気付くのです。

すると初めて理解できるでしょう。至福はやってくるのではないということを。至福こそ、今まで私たちを悩ませてきた良い思考と悪い思考のエネルギーが融合した波動だったのです。

私たちの心の旅は、こうして終わることになります。

しばらく、補足の話は続けますが、終着点に到着です。長いあいだお付き合いありがとうございました。

 

真実を得る喜びが、あなたの心にも必ず訪れるますように、願っております。

 

2016年4月29日

のしてんてん

 

 

  (初めて読まれる方へ: この物語は、愚書のしてんてん系宇宙論を 解説したものです。この解説は2016年1月6日付け記事から始めていますので、カテゴリー(五次元宇宙に生きる(空間))の同日付け記事から読んでいただくことをお勧めします。その後(五次元宇宙に生きる(心))を経て五次元宇宙に生きる(神)に至ります。なお、本は有償でもお譲りしますが、「のしてんてん系宇宙論」 のページにあります本の画像をクリックしていただくと、自力でプリントできますので、無料でご利用いただけます。)

 

 

 

 

 

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