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空の思想5 (思考の立体化)

2024-04-27 | 5次元宇宙に生きる(空間)

思考の立体化とは何か

 

それは自分の中に生まれてくる思考を立体的に捉えるということです

何故そんな考えが生まれたかというと、思考にはベクトルがあると気づいたことからでした。

悟りに向かおうとする意志の元に現れる思考にはベクトルがあるということです。

そして前回書いたように、様々な入り口から悟りに入りながらその直後から忘れ去っていく事実がありました。

その忘れ去ってしまう事実を真っすぐ見詰めているうちに一つの原因が見えてきました。

消えていく悟りは、実は単なる悟り気分だったのです。

それは、消えた悟りに向かった思考のベクトルを考えるとすぐに分かりました。それが下の図です。

 

 

悟りとは思考が実在の核に至ることだと考えると、悟りを願う心と実在の間には、実在の核に向かうベクトルが存在するのです。

思考が実在に至った時、私達はその核に至らなくても至福を感じます。そしてその至福はその先に実在の核を暗示するのです。

私はこれを「悟り気分」と名付けました。そう考えると至ったと思う悟りがすぐに消えてしまう理屈が簡単に分かります。

何故得た悟りが簡単に消えてしまうのか。それは再び同じ悟りを得ようと、経験したベクトルを繰り返そうとするからなのです。

それは悟りに向かっているようで、その実は体験したベクトルを模倣しているだけだったのです。至福が消えるのは当たり前ですね。

ベクトルの模倣は、模倣する己の分だけベクトルがずれて進むのです。本物と偽物のズレた分だけ平行に進むため実在の核をそらしてしまう訳です。

 

 

これが私の結論でした。

さてここからが思考の立体化についての話です。

そのためには異なる「悟りの気分」が必要なのですが、下の図を観て頂くと思考の立体化の意味はすぐに分かるでしょう。

 

 

図で分かるように、体験する悟りは様々な実在の入り口を通って実在の核に向かうのです。

その間にベクトルが実在に達すると、私達は至福を感じ、悟りの気分を味わう訳です。

ところがベクトルが一本だけではその先にある実在の核を見極めることが出来ません。

それが、得たはずの悟りを見失う原因でもあったわけですね。

しかし複数のベクトルがあると、必ず同じ場所で交わる点がるのです。それが実在の核にほかなりません。

複数のベクトルがあって初めて、私達は動かない実在の核を意識しその位置を理解するのです。

そこに真の悟りが現れます。

これはいまだ至福感が去らないでいる私の実感が証明しています。

思考の立体化を書いてから一週間、いろいろありましたが、実在の核は揺らぎませんでした。

それよりもかつて経験した様々な悟り気分を思い起こすたびに実在の核は色濃く一点に重なっていく感覚を実感しました。

もちろん死ぬまでそれが続くのかまでは実証出来ていませんが、明らかなことはこの思考の立体化によって

私達は実在の位置と場所を認識することが出来るということです。

実在に位置と場所など想定できないと反論する向きもありますのであえて言ってきますが

想定できない実在に寄り添い己が実在であることに気付くということですね。それを図形化した表現だとご理解ください。

その位置が分かれば、悟りを願う心から実在に向かって簡単にベクトルを引くことが出来るのです。

 

すると驚くべきことが分かったのです。

今まで中動態で生きることは、修行を積まなければ達成できないことだと考えていました。

中動態というのは人間の行動するスタイルの一つで、自分の考えや他人の思いを受けないで行動することです。

一般的には「受動態」と「能動態」があって、人は常に日常をその根拠に基づいて動いていると考えられているのですが、

「中動態」はそのどちらでもない、受動でも能動でもない自然の行動で、とても特殊なものと今まで考えて来たのです。

ところがこの中動態こそ、人間が生きていく上で行っている実際の行動の9割以上を占めていると知りました。

それは中動態のベクトルに気付きのベクトルを重ねたときに分かったことですが、

己の行動を気付きの目で見ていると、自分の意志や他人の言動を直接受けて動くことは実に少ないわけです。

人間もまた自然の中で生きている。自然を縁起にして生かされる中動態の至福は最も気付きにくい至福だということもわかりました。

しかし気付けば、湯船に浮かぶ至福以上に深く、宇宙との同一化が実感されるのだと体験するのです。

それは私の提唱する五次元から導き出した「空体」とつながるのです。

すなわち中動態とは空体の運動であるという訳です。

そしてそれは空間に満たされているエネルギーそのものであるという理解につながります。

何より直観は、中動態の原動力であることも新たな気付きになりました。

てんでばらばらにあったものたちが実在の核と交わりを持つ。それが当たり前のように思えてきました。

般若心経と量子力学が重なる地点もこの実在の核だと考えれば合点がいきました。

思考の立体化は、思考を平面から立体に次元を高めた結果なのかもしれません。

思考を心と考えるならば、

物質の世界である三次元に対して

心の世界は、時間(時空)の次元と、空間を理解するためのスケールの概念、この二つがつくる次元があることを暗示しているのです。

四次元の思考が時間の方向だけに拡がる平面思考だとすれば

五次元思考こそ、スケールの概念を軸にして思考を平面から立体に進化させる次元だと確信するのです。

 


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