私のおごりと迷いに鉄槌を下したのは、御住職のさりげない一枚のタオルだった。
まっさらな今日のいのちありがとう
御住職の前で、私はこの言葉からかけ離れ、なんと高く舞い上がっていたことだろう。今日のこのいのちを忘れて、その上空に妄想を作り上げる。それが一切の苦悩の原因なのだ。
「浄土」を描くという。だがその浄土が妄想の上に描かれたものなら、簡単にひっくり返る。ひっくり返ったら地獄だ。人を惑わせても、救いにはならない。御住職は一瞬にそんな私を見抜いたのだろう。
それが「純粋な方ですな」という御住職の第一声に込められた意味なのだと、ようやく私は理解できたような気がした。
人の目も、評価も何もいらない。
今、このいのちを生きる。上手下手もないこのいにちとともに描く絵、それが「浄土」というものだ。
苦悩は、いのちを覆い隠す妄想の壁なのだ。
己を穿つというのは、まさにこの妄想の壁に穴を開けるということに他ならない。
今、この瞬間にしか存在しえない、まっさらないのちを
ありがとうと受け取る勇気が必要だ。
タオルがそう語っている。