グラの気ままに徒然日記

日々の菜園アクティビティ、旅先での思い出コレクッションetc.

天台真盛宗って?

2020年02月17日 21時27分32秒 | 菜園
西村冏紹(けいしょう)さん老衰のため死去 
~ 天台真盛宗前管長・総本山西教寺貫主 ~

私の友人Nさん(全職場の同僚)が、
この度天台総本山西教寺の教学部長に就任したことは既に述べたとおりです。

だのにNさんは何も偉ぶらず、今まで通り付き合ってくれる。
今回も、私の高校時代の尊敬する恩師が天台の僧侶ということで
Nさんも懇意だったこともあり案内してくれることとなった。

実に52年ぶりのY先生は、
太宰治のようなニヒルな容貌からすっかり好々爺となられていた。

松阪高校卒業式も終え校門を去る時、
学び舎との最後の別れを惜しむ私に
2年次だったか1年限りで国語を受け持ってくれたY先生から
「オグ君、どちらへ行くことになったの?」とお声がかかったのだ!
まさかY先生が私がごとき一生徒名を憶えていてくれていたとは・・・

そのシーンでの感激、感動が畏敬の念となって今に至る。

師は既に90歳を超えたというが当時の教師生徒名が何人も登場した。
ご本人も、松高と津高の教師生活は楽しかったとおしゃられていた。
授業の合間に喫茶店へ行っていても何も問題はなかったしね。
とお茶目であった😄 

天台真盛宗 八圭山 蓮蔵寺
津市久居の住宅地内で広大な境内を有している。
老師は足が少し不自由であるが今もなお現役である






境内の大山蓮華が咲くころには
参詣者が増えテレビ局の取材もあると待ちどおしそうであった。
私も、紀伊山地の弥山と八経ヶ岳との間に群生地があるというと
老師もよくご存じであった。



恩師である老師の元を辞したあと、
Nさんは同じ町内の別の天台の寺を案内してくれた。

瑞光山 大蔵寺
お若い僧侶が本堂内も案内してくれた。
本堂内の欅の太い丸柱には圧倒されそうになった。



陽が沈むころ、Nさんをご自分のお寺にお送りし家路についた。
心洗われる夕焼けに感謝!




実家は曹洞宗であったから、多分私もそうだ。
私の宗教観もその程度だ。

信長は天台総本山延暦寺を焼き討ちにした。

8世紀後半,最澄が大乗仏教を広めるため延暦寺を創建した。
その後、法然,栄西、道元、親鸞、日蓮などが若き日に修業をするという聖地となる。

そして戦国時代、
全国統一にあと一歩と迫った信長の「残虐性」のがあらわとなる。
勢力争いに明け暮れる寺社勢力への戒め、
浅井朝倉連合軍に加担したことへの復讐、
堕落した中世的権威への鉄槌が
地理的戦略的な意味もあって降ろされたのである。

本来信長は宗教に関しては寛大であったと思われる。
キリスト教も受け入れたし、
焼き討ちしておきながら天台宗禁教令なども発布していない。

食うか食われるか、今日の味方も明日は敵軍といった時代
3~4000名の僧侶や、20000名の一向宗徒の焼き討ちは
十分にあり得たことなのにかもしれない。

大河ドラマ「麒麟が行く」の視聴率芳しくないらしいけど・・・

もう一度、司馬遼太郎の作品を読み返さないといけないかなあ。
しかし、なんせ膨大だから読まないだろう。

タイトルの前管長の葬儀では念仏を唱えられたNさんから
その荘重さと盛大さのご様子を窺った。