自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

プチ旅 名取熊野那智神社

2023年11月13日 05時49分00秒 | 霊場
名取市へプチ旅してきました。
目的は閖上港でのハゼ釣りでしたが、風が強く釣りになりません。





それでは神社へという事で熊野那智神社へ向かいました。

朝焼けが眩しく絶景です。






名取熊野三社の一つの熊野那智神社は、江戸時代の記録によれば、養老3年(719年)に、閖上の漁師が海中から引き揚げた御神体が光を放ち、光が指した場所にあった羽黒権現に、名取老女が紀州の熊野那智大社の神を合せて祀ったものとされています。


明治時代に拝殿の床下から見つかった、平安・鎌倉時代の懸仏・銅鏡は、国・県の指定文化財になっています。




また、境内には、小規模ですが那智の滝、奥州三十三観音の一番札所である観音堂のほか、ウラジロガシ・ヤマコウバシなどの植物や、ご神木の古代杉や、高野槙、老銀杏があります。






神社は高館山の頂上付近に位置していて名取市街や太平洋を一望できる絶景の場所です。




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栗山館へー伊勢居地全体がパワースポット

2023年10月09日 11時38分00秒 | 霊場
仁賀保に栗山館という館跡がある。
鳥海弥三郎の居住跡で、市の史跡指定になっている。






鳥海弥三郎は、由利仲八郎政春を自害に追いやり、天鷺城の日向入道雲海を追いやり由利一円を制覇した人物である。
ただ弥三郎の子の代で、臣下の裏切りで滅亡している。




栗山館というくらいなので栗の木がたくさんある。という事は熊といつ遭遇してもおかしくない。
ヘルメットと火薬銃は必須である。




栗山館の入り口の伊勢居地には地蔵院がある。このお堂は江戸時代のものだが、伊勢居地全体に武家のパワーがみなぎる。




このお堂は力士が屋根を支えている事でちょい有名である。





話は戻るが、栗山館は規模がとてもお大きく、館を取り巻く伊勢居地やひめ野、馬場、畑、更には水沢に至るとても由緒ある地域である。






帰農して豪農になったと思われる、家もお多く、地域のつながりは半端なく強い。
西国三十三所へお参りして奉納された、お地蔵さんがランダムに置かれていてとてもいい感じだ。


また、伊勢居地の番学など門外不出のものであるが、それ故に継承できるか心配でもある。
いずれ中世から続く集落の礎を強く感じるところである。




先般、大阪在住で、由利曲沢出身の元高野連の副会長だった高橋氏が、栗山城址まで上がったとおっしゃっていましたが、よほど地理感がないと行けない場所なので、ぜひぜひ標柱など更新してもらいたいものだ。
ちなみに相棒のクロスカブの本日の走行距離は43kmだった^_^



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遊佐の永泉寺は凄い

2023年09月06日 06時57分00秒 | 霊場
山形県の遊佐に永泉寺がある。

これは、六郷の永泉寺や本荘の永泉寺の比ではないほど、由緒ある寺だ。

山形県飽海郡遊佐町直世仲道の曹洞宗の寺院だ。
永泉寺の創建は7世紀に役行者が鳥海山を開山した際、禅道場として開かれたのが起源と伝わり、能登総持寺の直末で、中本山だった古刹という事だ。


弘仁14年(823)に慈覚大師円仁が鳥海山大物忌神社(吹浦口之宮)の別当寺院である神宮寺を開いた際、禅道場を天台宗寺院として確立させ、平安時代後期以降は鳥海山修験など山岳信仰の拠点として寺運も隆盛し栄えていたとある。




その後一時衰退したが、文和年間(1352~1356年)に源翁和尚(越後国出身、南北朝時代の曹洞宗の高僧、法力の持ち主で那須温泉にある殺生石の逸話は有名です。)が再興した。
応仁の乱後に落伏に境内を遷し、明応6年(1497)に興聖寺から永泉寺に寺号を改めた。


江戸時代初期になると東禅寺城(亀ヶ崎城)主だった志村光安の庇護となり寺領が57石と認められ、境内には慶長16年(1611)に家臣によって建立された光安の供養塔である石造九重層塔(総高2.62m、四方に四智四仏の尊像)がある。本荘にまだ永泉寺はできていない。
昭和28年(1953)に山形県指定有形文化財に指定されている。

永泉寺参道の階段は苔むした大石が並び、脇にある大杉(樹高約35m)は推定樹齢200~300年とされ向かいにある石灯籠とあわせて古刹の雰囲気がある。









山門(入母屋、銅板葺、正面軒唐破風、三間一戸、八脚単層門、仁王像安置、天井は格天井で花鳥風月の絵画が描かれています)を潜ると静寂な空間が広がり天明4年(1784)に江戸時代の紀行家菅江真澄が訪れた時と何ら変わらない空気が流れている。




仁王像も迫力が満点である。
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酒田市 皇大神社には風雷神がいる。

2023年08月10日 05時16分00秒 | 霊場
この数日、夕立があります。まるでスコールです。しかも雷もすごい。


連日35度の猛暑です。そんなスコールもこの暑さでは、スズメの涙で、雨が上がると超蒸し蒸しします。




そんな中酒田市の皇大神社へ雷神を見に行きました。




ここには風神と雷神が屋根を支えています。





雷神は雷を起こすと信じられた神です。
いわゆる「雷様(かみなりさま)」ですね。
雷様の見た目は「鬼」で描かれ、
頭に牛の角を持ち虎の皮の褌(ふんどし)をしてアーチ状の輪の形に連ねた太鼓と共に手にばちを持った姿で描かれています。
雷神が太鼓を打ち鳴らす時稲妻と雷鳴がとどろくとされ、「雷獣」という怪獣が落ちてくるとも言われています。
雷神は、「雷様」の他にも、
「雷電様(らいでんさま)」
「雷公(らいこう)」
「鳴神(なるかみ)」
とも呼ばれます。


雷神も風神同様、
『古事記』や『日本書紀』の中で
その誕生について書かれていますが、
平安時代の貴族であり政治家だった
菅原道真(すがわらのみちざね)は
亡くなったあとに、天変地異が多発したことから、
「死して天神(雷の神)になった」
と伝えられました。


菅原道真は「学問の神様」としても有名です。
雷神は民間のあいだでは雷様と呼ばれ
「雷様は地上に降りてきて人のへそを取ると伝えられてきました。
その際、

「くわばら」

と唱えれば、雷様から逃げられると言われていますが、この「くわばら」というのは菅原道真の領地であった「桑原」を指していると言われています。桑原には雷の被害がなかったのです。
やっぱり怨霊ってあるのかも。
全国の菅原神社も雷神を祀っているらしいです。
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太平寺に行ってみました

2023年08月04日 07時39分00秒 | 霊場
太平寺は、岩城小学校の山側の集落にあります。




太平寺は戦国時代この地を支配していた由利十二頭の1人赤尾津家の祈願所として応永2年(1395)に創建されたとても古いお寺です。




江戸時代、岩城家が亀田にに入った後もここに留まり、寛永3年(1626)に藩の政策の一環として曹洞宗に改宗開山し現地に移されたようです。
亀田藩の家来のお墓もたくさんあります。




今から約400年です。
城下町からは少し離れた格好ですが、二古へと続く道が通る事で防御的にも重要な位置にあります。
藩からは50石賜って太平寺出身の多くの住職が龍門寺に晋住しているなど重要視されていることが分かります。
本殿は慶応2年(1866)に建てられたもので、当時の寺院建築を知るうえで大変貴重な文化財です。




又、亀田領三十三観音霊場十七番札所となっています。
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ゆりほん、行くべき寺社

2023年07月26日 04時25分01秒 | 霊場

夏休みに入りました、毎日暑すぎます。

連日資料館には、県外の方が訪れています。歴史付きの観光客が多いので、資料調査員の立場から、この機会に由利本荘の寺社で行ってもらいたい寺社をまとめました。皆さん参考にしてください。

由利本荘市で行ってみたい寺社ベスト5を紹介します。寺社名、由緒、御利益、アクセスの順にblog記事を書いてみました。参考にしてください。

1. 長谷寺(赤田の大仏)





  • 寺社名:長谷寺(ちょうこくじ)
  • 由緒:秋田県由利本荘市赤田にある曹洞宗の寺院である。当寺に安置されている高さ約9m、木製金箔押しの長谷十一面観音立像は通称赤田大仏と呼ばれ、奈良県桜井市の長谷寺(はせでら)、神奈川県鎌倉市の長谷寺(はせでら)と並び日本三大仏の一つに数えられる。秋田三十三観音霊場の第一番札所でもある。
  • 御利益:大仏様は慈悲深く、人々の苦しみや願いを聞き届けてくださると言われている。特に病気平癒や子授けにご利益があるとされる。また、大仏様の胎内には多くの文化財が納められており、その中には江戸時代の絵馬やお守りなどがある。これらは一年に一度、4月8日の花まつりの日に公開される。
  • アクセス:JR羽越本線羽後本荘駅から車で約15分。駐車場あり。

2. 永泉寺





3. 本荘八幡神社





アクセス:JR羽越本線矢島駅から車で約10分。駐車場あり。

4. 妙慶寺





  • 寺社名:妙慶寺
  • 由緒:真田幸村の娘、お田の方が建立したお寺で、幕末まで出羽国亀田(現在の秋田県由利本荘市岩城亀田)を治めた岩城氏が、関ヶ原で佐竹氏らとともに家康に歯向かって一度取り潰され、その後、信州川中島に復興を許された後、亀田に移封となりました。お田の方はその際に妙慶寺を建立し、真田家の菩提を弔ったという。妙慶寺は岩城氏の菩提寺としても知られている。
  • 御利益:本尊は阿弥陀如来であり、極楽往生や延命長寿などのご利益があるとされる。また、境内には国指定重要文化財である本堂や庫裏などがあり、その建築様式や彫刻などは見事である。特に本堂は江戸時代初期の建築であり、貴重な文化遺産である。
  • アクセス:JR羽越本線羽後本荘駅から車で約15分。駐車場あり。

5. 龍源寺





  • 寺社名:龍源寺
  • 由緒:打越氏の開基により即殿棼広を開山に招いて1623年(元和9年)に創建された寺である。1640年(寛永17年)におきた生駒騒動により讃岐生駒家4代高俊が讃岐国高松から矢島の地に移されると生駒氏の菩提寺となり、一方でこの地域における曹洞宗の中心的な役割を果たした。秋田三十三観音霊場の第十一番札所でもある。
  • 御利益:本尊は千手観音菩薩であり、慈悲深く人々を救済すると信じられている。特に目や耳など五官の病気や障害にご利益があるとされる。また、境内には国指定重要文化財である本堂や庫裏などがあり、その建築美や彫刻などは見事である。特に本堂は江戸時代初期の建築であり、貴重な文化遺産である。
  • アクセス:JR羽越本線矢島駅から徒歩約10分。駐車場あり。
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正願寺に行ってみましょう

2023年07月16日 05時56分00秒 | 霊場
道川の正願寺は古刹!
由利本荘市の道川地区に古いお寺で正願寺がある。





鎌倉時代の末、左衛門を称する武将道川氏が山崎館に居城してこの地を治めていた。 




この時代は度々いくさ起こり、藤田館(君が野)万古館(内道川)菜館など峰続きの山に館を置いて守りを堅めていたが、いくさが起きた時は必ず勝つようにと祈願の寺を建立した。 これが正眼寺の始まりである。

今から七百年前の正和元年(1313)、この寺に加賀国(石川県) 古刹大乗寺の 三世明師を話して開山し正眼寺と号した。





お寺は初め寺屋敷(道川田中)にあったか、笹時代の中頃(宝膳以前(一七三C以 て焼失した為ここ浅田の地に移して再興された。 師は、曹洞宗の大祖常済大師瑩山禅師の華頭のお弟子さんで、 一人の優れた弟子を輩出した高僧です。

道川氏とは、正中元年(1324)鳥海弥三郎が由利氏(仲八郎政春)を滅した戦の時ただ一人だけ従わなかった赤穂津氏を天鷺城に攻めた戦いで 戦死した道川民部がその人と伝えられる。 道川村の村名はこの武将の名前に由来し名付けられたものである。以上石碑文より

お稲荷様が祀られています。










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西林寺に行ってみよう

2023年07月08日 04時25分00秒 | 霊場
今回は大内の西林寺です。
国道105号を大仙に向かって右側に西林寺はあります。松本集落から見ると芋川の向かいになります。






欄干の付いた赤い橋を渡ると山門が見えてきます。
境内には池の庭があり歴史を感じます。




創建は寛永7年(1630)で岩城亀田藩が宗教政策の一環として開かれたお寺です。




現在の建物は大正6年(1917)に建てられたもので、赤田の大仏で有名な是山和尚が長老の位を得る為、この寺で立職したと言われています。


本堂の前には是山和尚と思われる銅像があります。
亀田領三十三観音霊場第五番札所です。
是非参拝して下さい。
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大内地区の調査 諏訪神社

2023年07月07日 04時10分00秒 | 霊場
倉沢諏訪神社は集落にある高台に鎮座しています。集落の奥まった所にある為、付近住民の人達以外は分かりにくいかも知れません。

苔むした階段はなんとも言えなく素朴で集落の歴史を伝ているようです。鳥居の前の巨大な杉は集落をずっと見守っているかのようです
本荘から国道105号を東へ約6km。向沢(むかいさわ)の諏訪神社境内に3本の大杉があります。カーナビがないと無理です。




 最大のスギは、石段を登り切ったところ。鳥居の手前、向かって右側(左図)。見た感じ、今は6mを超えているのではないだろうか。
 左側のスギも大きい。これが境内三番手。
 第二の大杉は、拝殿の手前、向かって右。
 第一の大杉の荒々しさに対して、こちらは気品のある美しい姿。対比の意味で好一対をなしている。
 秋田県神社庁の神社紹介ウェブサイトによると、延宝2年(1674)、現在の大倉沢字沖田に信濃諏訪社の分霊を勧請。寛政6年(1794)、現在地に遷座したといいます。




鳥居杉と呼んでよさそうな立ち位置から、大杉は遷座の頃に植えられたのではないかと想像するが、遷座の際に村内の6神を合祀したとも伝えることから、ここには遷座の前から何らかの神社があった可能性もあります。




 もしかしたら、この地では、諏訪神社よりも大杉の方が先輩なのかも知れません。

大倉沢諏訪神社の宮殿は窓越しからしか見れませんでしたが 江戸中期に造られたそうで、かなり重厚な造りになっていました。



由利本荘市には諏訪神社が多いのは、藩主六郷氏と関わりがあるものと思われます。
ここは由利本荘市指定文化財になっています。
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大内地区調査 いきなり日本カモシカ

2023年07月06日 04時15分00秒 | 霊場
昨日は、大内地区の市指定の文化財を調査した。




切通稲荷神社へ向かう。
切通稲荷神社は長坂稲荷神社の事です。
最近毎日のように大内地区での熊情報が出されているので少々びびっていました。
さて場所は長坂集落の後ろの山にあって全く駐車スペースがありません。集落の中で鳥居があるので場所はわかりましたが、道路はすれ違いできない狭さです。


とりあえず、近くに車を置いて階段を登った階段は木材で土止めされたもので草が生えていて整備されていません。
結構なのぼりで、神社周辺は鬱蒼とした森の中です。

切通稲荷神社は慶長5年(1600)京都伏見稲荷の分神を伊藤氏が加賀より移住の際伝えたのが始まりとされています。
五穀豊穣、商売繁盛の神様としても周辺住民から広く信仰されています。現在の社殿は明治17年(1887)に再建されたもので、幕末から明治に掛けての由利本荘周辺の建築に見られる華麗な造りになっています。




特に向拝の彫刻が凝っており、様々(龍、鳳凰、獅子、象、鯉、兎、力士、亀など)な縁起物が掘り込まれています。
これは見事なものです。



由利本荘市(旧大内町)指定文化財に指定されています。
狛犬に狐様が寄り添っています。
ただビビったのは、ドサという音で、社殿からカモシカ降りてきました。。一瞬熊かと思いましたがカモシカでよかったです。



この神社では、天明年間から始まったと云われる長坂梵天祭が有名です。旧暦2月の初午に、五穀豊穣・商売繁盛・交通安全などを祈願し、梵天奉納が行われます。喧嘩梵天と言われる凄いみたいです。
これは由利本荘市指定無形民俗文化財に指定されています。
これは岩城氏入部400年と絡める事ができそうです。

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