自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

日産リーフ 納車10日 インプレッション

2017年02月28日 06時35分41秒 | Weblog
リーフがやってきて10日が経ちました。
まだ日産のカードが届いていないので、充電は、日産サティオで毎日行っている。
職場と自宅往復で70kmある。
あちこち寄っているので、1日90km走っている。
夕方帰ってきて、サティオで30分の充電で常に朝は80パーセントの充電状態である。
朝の通勤はほぼの登りの為25パーセントの電力が消費されるが,帰りは15パーセントで丁度家に着くと残量は40パーセントである。
今朝は氷点下8度まで下がっていたので、暖房の電力を消費しているがそれでも28パーセントに収まっている。
急速充電器は,矢島のローソンにもあるので、カードが来たら利用するつもりだ。
日産の旅ほーだいに加入したので、1ヶ月どこで充電しようと2000円で済むのだ。
しかも、現在キャンペーン中で2年間は旅ホーダイがただである。
家電する気はないので燃料代は2年間完全無料である。
遠出は少々きついが、20kmいないにはほぼ急速充電機が設置されているので不都合はない。

さらに、サティオで夕方充電している30分をマラソンの練習にあてているので、時間も有効に使う事ができる。

モーターのパワーは、ガソリンの比ではない。V63500のエルグランドもパワーがあったが、静粛性、加速性を合わせるリーフが圧倒的に優れている。
ヒートポンプ方式に暖房が変更され走行距離も伸びているが、やはりエコドライブしないと電力はどんどん消費される。冬はリーフの敵なのかもしれないが、通勤では十分である。

今まで1日1200円ほどのガソリン消費が0円である。


もうガソリンは戻れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅江真澄の標柱 と現如上人の石碑

2017年02月27日 06時24分39秒 | Weblog
海士剥に菅江真澄が立ち寄ったという標柱がある。

昨日撮ったものだが、朽ち果てそうだ。


海士剥の由来のヒントが菅江真澄の紀行文にあると郷土史研究家は言っているが、微妙だ。

江戸末期に尼崎と海士剥の事を記している文書もある。

教育委員会辺りに働きかけて、貴重な史跡として整備してもらいたいものだ。


同様の場所に現如上人の石碑がある。

昭和8年建立とある。

バカにできない古さだ。
1993年からずーとあるのだ。
私が10歳くらいの時稚児行列を行なった最終地点がこの石碑だったのだ。

ちなみに、チャー坊のお父様から聞いた話では、超光寺と専念寺のコラボで、現如上人が海士剥に来て100年経った記念の行事だったらしい。
衣装は東本願寺から借りたという事だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薪割り

2017年02月26日 07時47分18秒 | アウトドアー
焚き木は買うと高いものです。コメリで1束5kgほどで500円です。
海に行けば流木があるので暇を見つけては拾っています。
流木は結構乾燥しています。
今朝は薪割りです。


タダだとガンガン燃やせます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラーメンNO14 久々の朝清吉

2017年02月26日 06時39分13秒 | ラーメン
今日は日曜日ですが、鳥海生涯学習発表会に行かなければなりません。
無性に朝中したくなって清吉向かう。ラッキーな事に駐車場は2つだけ空いていました。

それ程混んではいません。
土曜日より日曜日が空いています。


美味いぞ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラーメンNO13 トロトロ海藻辛ネギラーメン

2017年02月25日 07時51分45秒 | ラーメン
今年のラーメンはどうも遅い。2月も後半なのにまだ13杯目だ。
今朝は自分でつくった。
塩ラーメンベースに溶き卵と海藻で煮込むとトロトロになる。
そこに辛ネギをトッピング。
辛ネギは前の日につくってなじませるのがベストなのだがつくったばっかりだったので、辛ネギの本当の旨味は出ていない。

うーん絶品だ。250円だったら行列ができるぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海士剥の歴史2 学校編

2017年02月24日 05時08分55秒 | Weblog
海士剥に尋常小学校があったんですが??

そこで、ちょっと西目の学校について調べてみました。

明治7年に潟保に西目東学校、沼田に西目西学校ができました。

その時、海士剥は子吉郷の行政区だったので、海士剥子どもは子吉北学校に行く事になっていました。しかし、、金もなく遠いので殆ど登校していなかったようです。

明治11年 子吉北学校は埋田分校となって海士剥の子達は埋田分校が学区となりました。この時、西目西学校は出戸学校となります。
明治15年 子吉小学校ができて、海士剥の子達は子吉小学校が学区となります。
明治20年 沼田尋常小学校 22年に沼田簡易小学校 25年に沼田尋常小学校と名称が変わります。
明治27年 沼田尋常小学校の海士剥分教室ができ子吉へは行かなくても良くなります。
明治32年 西目尋常小学校と名前が変わ、明治34年には海士剥分教室は海士剥ぎ尋常小学校として独立します。
明治44年 西目尋常高等小学校となります 
明治45年 海士剥分校場となり
大正15年 合併吸収され 海士剥から学校はなくなります。
昭和16年 西目国民学校
昭和22年 西目小学校 西目中学校となります。

よって、西目中学校は来年創立七〇周年となるのです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エコ生活 リーフ

2017年02月21日 18時41分46秒 | Weblog
リーフがやってきて3日目
急速充電を夕方2日連続で日産サティオでやっている。
今日はサティオは休みなので、車の中で30分休憩だ。
エアコンはつけたままで充電できる。
家で充電するには外が猛吹雪で無理なのだ。
日産カードがまだ届かないのでサティオ以外の充電器が使えない。
早くきて欲しい。
矢島LAWSONに充電器があるので早く利用したいのだ。
急速充電は85パーセントしか充電されないので、カードが早く欲しいのだ。
外は氷点下でバリバリに凍っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エコ生活に徹する

2017年02月19日 12時26分41秒 | Weblog
エルグランドの月のガソリン代が4万円を下る事は無い。
通勤だけでで70kmで
リッター8km弱である1日
リッター125円なので1日1200円位かかる。
単純に30日で36000円だが、それで済むわけもない。
よって、遠出などしようものなら、月50000円もガソリン代が飛ぶ。
退職まで3年余り、カミさんが7人乗りシエンタを乗っているので、エルグランドは意味が無いのだ。
これからは、エコに徹する。
よって、新春売り出しで契約したリーフが我が家にやってきた。

ハイテクです。
燃料代がタダです。
2年間は、2000円旅放題もタダです。
自宅で充電する必要はありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プチ旅 岩沼

2017年02月18日 08時03分04秒 | 霊場
朝5時50分 家を出る。
強風だが雪はない。
鬼首を超えることも考えたが、積雪が予想されたので、横手ICに向かい。
石沢で既に国道には圧雪です。
金ケ崎PAまで2時間かかってしまった。

遅い朝食は一杯のかけ蕎麦

アローカナの生卵があったので、月見蕎麦にした。

いい蕎麦使っている。
利府で孫達を引き連れ、名取のイオンへ向かう。


時間を潰し、仙台空港へ




こんなに風が強くて大丈夫なのだろうか?
次男が大阪へフライトする。
しかも格安ピーチ航空で行くらしい。
4時には利府に孫達と別れ帰路につく。
雪模様なので嫌だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海士剥の歴史

2017年02月17日 06時07分10秒 | Weblog
私は、由利本荘市西目町海士剥出身である。アマハギと呼ぶ。
さて、なぜ海士剥という集落ができたのだろう。
海士は男の漁師、剝はものを根こそぎうばいとるもの

よって 海賊?

などと思っていたが、どうやらあたっていない。

海士剥の歴史はそう古いものはない。

今の西目川のことを尼崎川と読んでいたという記録がある。

この一ヶ月海士剥の歴史を調べている。

西目の歴史は、中世期には、潟保が中心でその後出戸も多くの記述があるが、全く海士剥は出てこない。年

初めて出てくるのが、菅江真澄の紀行文である。1784年9月30日海士剥を真澄は通過している。


菅江真澄が海士剥を本荘へ向かう為に川を渡ろうとした徳、見た目以上に深いため、ここでおぼれ死んだ旅人多数、地元民にを金を払っても水先案内をしてもらった方がいいとされている。海士剥に人が住んでいたかは定かではないが、年貢帳に海士剥というのは出てきていないので少なくとも農民は存在していないことは分かる。
1802年に伊能忠敬が西目を調査している。
本庄町外より砂原 尼剝村七軒 小川あり浅し 中小屋村家九軒 上小屋村七軒両村出戸支郷 出戸村家70軒 この時点では尼剝村である。
1867 海士剥の船沈没 2名死亡とあります。 やっと海士剥という名前がが出てきました。

1870現如上人が海士剥説法
明治14年戸数44戸 漁船36隻
明治22年戸数59戸
昭和14年戸数194戸
現在   戸数264戸
である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする