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「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ 往路

2024-04-22 19:15:51 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

「花の旅」 総合目次 

 

「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ 往路

 

 東京-仙台

 1.  青春18きっぷで日本最東端の街へ。  (こち亀の街を車窓に)


 2.  旅人の心を刺激するもの  (未知なるものに出会うこと)


 3.  牛久沼は「ウナ丼発祥の地」  (発祥、元祖、老舗が気になる)


 4.  城県はレンコン生産量が日本一  (旅の気分に浸る)


 5.  特急列車と普通列車の旅は同質ではない。  (移動を楽しむ)


 6.  「勿来」の意味  (蝦夷の南下を阻止する地)


 7.  いわき市の印象  (いわき市は交通の要所)


 8.  常磐線は単線区間に入りました。  (長閑な景色の中を走る)


 9.  東日本大震災から今年で12年  (2023年現在)


10.  都民も他人事ではない。 (あの日の記憶を語り継ぐべき)


11.  津波で列車ごと流された乗客が全員無事だった奇跡 (信じられない)

 

 仙台-青森
12.  松島や ああ松島や 松島や  (芭蕉の句と思い込んでた)


13.  小牛田駅の駅舎は文化財級  (110年前のレールを使った駅舎)


14.  電車は宮城、岩手、宮城、岩手と走ります。  (奥州街道に沿って)


15.  定年後は花を眺めて暮らそうと。  (何もいらない)


16.  北上川、滔々と流れる。  (北上川を見に行く)


17.  北上線の車窓風景  (もう一度訪ね来たいと思う)


18.  大曲花火大会の夜を回想  (川の堤防から見上げた花火)


19.  今だからこその青春18きっぷ  (時代の節目)


20.  青森駅は4年前の記憶とのキャップが大きすぎる。 (綺麗になった駅)


21.  徒歩で青森フェリーターミナルへ  (歩くのは苦にならない)

 

 函館-長万部
22.  函館フェリーターミナルから五稜郭駅への徒歩ルート(タクシー不要)


23. 函館も美味しいものに溢れています。  (あのときの居酒屋の味)


24.  北海道は空の青さが魅力です。  (函館山山麓を歩く)


25. 「箱舘」が函館の語源と言われる。  (函館の歴史に触れる)


26.  美しい船体曲線「ナッチャンWorld」  (インスタ映えする船)


27.  函館本線 長万部行き気動車の旅  (味わい深い気動車の音)


28.  車窓に駒ヶ岳の姿が見えてきました。  (景色を譲り合う)


29.  鉄道ファンの皆さ~ん、早くしないと見逃しますよ!(時は移ろう)


30.  旅は3つのステージで構成されます。  (旅の構想、実行、検証)


31.  日本で唯一 太平洋と日本海に接する町  (八雲町のみ)

 

 長万部-旭川
32.  長万部 あやめ公園  (レンタサイクルで街巡り)


33.  長万部 町民センター  (列車の待ち時間にお勧め)


34.  函館本線の運行状況が興味深い。  (本線なのに一日4本)


35.  ニセコアンヌプリの斜面が好き。  (ニセコはパウダースノウ)


36.  春18きっぷの魔力  (ゲーム感覚で旅する)


37.  命短し、旅せよおじさん。  (人生を楽しむ旅)

 

 旭川-富良野(旧根室本線)-帯広

38.  失敗談でブログを面白く。  (曜日感覚がマヒしていました)


39.  美瑛駅 なかなかにおしゃれな工夫です。  (美瑛の印象)


40.  車窓に十勝連峰の山々  (十勝連峰は私の庭だった)


41.  高山植物を話題に酒を酌み交わす。  (山に登って花を見ていた)


42.  芦別岳が見たくて。  (富良野に山小屋をと願った頃)


43.  芦別岳・夕張岳の想い出  (夕張岳は花の山)


44.  空知川の源流は上ホロカメトック山  (空知川の源流は原生林)


45.  幾寅(いくとら)の冬の厳しさを思い出します。  (厳しい冬)


46.  新得はトムラウシ山の玄関口  (一度は登りたい山)


47.  日高山脈の記憶  (錦秋の幌尻岳七つ沼カール)


48.  帯広市にヒグマの巣みたいな場所がある。  (トッタベツ岳も帯広)


49.  それにつけても、帯広の空の青さ。  (浦島太郎の気分)

 

 帯広-釧路
50.  人の人生も、結果が全てではない気がします。  (人生と運)


51.  十勝ワイン セイオロサムの意味が分かった。  (池田町の地名)


52.  十弗を何と読みますか?  (北海道の駅名は面白い)


53.  根室本線の車窓に海が広がりました。  (平原から海に出る)


54.  茫々としたとはこんな風景  (シシャモが遡上する川)


55.  釧路の年合計日照時間は少なくない。  (夏の海霧と冬の晴天)

 

 釧路-(花咲線)-根室
56.  根室行き普通列車「道北 流氷の恵み」号  (釧路駅の鈍色の屋根)


57.  花咲線の旅が始まりました。  (花咲かにめし弁当を食す)


58.  無人駅の花壇に咲く赤いサルビア  (無人駅にも花が咲く)


59.  別寒辺牛(ベカンベウシ)湿原でシカに急ブレーキ (エゾシカ出現)


60. エゾカンゾウの群落が湿原を染める。 (何でルパン三世がいるの?)


61.  牧草地の広さは常識を疑います。  (野鳥の宝庫風蓮湖)


62.  落石岬はサカイツツジの南限自生地  (花咲線を代表する景色)


63.  日暮里から鉄路1684.8㎞の地 根室に到着。  (日本最東端の駅)

 

 

「青春18きっぷ」花の旅 北海道Ⅱ 帰路

 

 

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「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ 帰路

2024-04-22 18:45:27 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

「花の旅」 総合目次 

 

「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ 帰路

 

【「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ 往路

 

 根室-函館

64.  タンチョウの親子が線路を歩く  (珍しい光景だそうです)


65.  芦別岳本谷 雪の急斜面 (残雪期のみ登攀できます)

 

 青森-久慈
66.  三陸鉄道で三陸海岸を南下する予定です (青い森鉄道の旅)


67.  青い森鉄道 普通電車の旅 (三沢高校の太田幸司投手) 


68.  JR八戸線久慈行きに乗り換えました  (三陸海岸の旅が始まる) 


69.  普通列車の旅は、珍しい地名に出会える (単なる移動ではない)


70.  三陸海岸北部の穏やかな景色 (サーフィンを楽しむ海)


71.  青春18きっぷが有効なのはJR久慈駅まで (八戸線の終着駅)

 

 久慈-(三陸鉄道)-大船渡
72.  久慈の街を散策する  (日本最古の歴史を誇る市日)


73.  大谷さん、岩手県民の資質そのもの (努力、奢らず、他者を気遣う)


74.  第三セクター 三陸鉄道の旅が始まる (久慈から始める三鉄の旅)


75.  三陸海岸 津波さえなければ (風光明媚な光景の玉川海岸)


76.  旧島越駅舎はメルヘンだった (ダイナミックな景観の地)


77.  鵜の巣断崖の幻想的な光景の記憶 (もっと知られていい光景)


78.  釜石行きの列車はレトロな雰囲気 (宮古の浄土ヶ浜は一見の価値)


79.  重茂・船越半島の緑、山田湾の青 (松茸を食べ飽きるらしい)


80.  ドン・ガバチョが住んだ島 (ひょうたん島って、あれのこと?)


81.  過去の経験を生かしきった中学校 (生徒達は訓練通りに避難)


82.  三陸海岸の三陸町の三陸駅 (青い海と緑の半島)


83.  列車は終着駅 盛駅に到着しました。 (三陸鉄道の終着駅)


84.  大船渡や陸前高田では、ツバキ油を搾ってきました。(花も実も)

 

 大船渡-仙台まで
85.  首都圏民は、地震時の火災に備えるべき。(備えあれば憂いなし)


86.  1657億の盛土工事こそが最大の震災遺構 (あの日を忘れない)


87.  長い旅にお付き合い頂き、ありがとうございました。(どうぞご健勝に)

 

 

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長い旅にお付き合い頂き、ありがとうございました。

2024-04-16 00:10:16 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 気仙沼駅はJR大船渡線の終着駅で、大船渡線BRTと気仙沼線BRTが乗り入れています。


 気仙沼で乗り継ぐ、気仙沼線BRT柳津行 バスの発車時刻は18時0分です。


 46分の待ち合わせ時間を得て、気仙沼駅の外に出ました。


 駅の周囲にコンビニさえありません。


 記事を認めるに際しググると、2011年の震災前は、南気仙沼が街の中心駅の機能を担ったそうです。

 

 しかし、南気仙沼駅は津波で甚大な被害を受け、高台にある気仙沼駅が被害を免れ、現在は当駅が気仙沼市唯一の鉄道駅となったそうです。

 


 駅前ロータリーに掲げられた市内案内図には、気仙沼駅から北方向にJR大船渡線が伸び、南へJR気仙沼線が走り、港近くに南気仙沼駅が記されていました。

 

 
 気仙沼も何度か訪ね来ましたが、2015年の夏、寝袋を積んだ車で三陸海岸を縦断した時、気仙沼港の駐車場に車を停め、港の近くに灯を灯す、プレハブ小屋の復興屋台村で地酒を飲み、魚を食べた思い出でがあります。

 


 知らない土地を訪ねる時は必ず、見知らぬ肴を注文します。


 この時は「モーカの星」でした。

 

 モーカとはネズミザメで、星は心臓です。


 レバ刺のような見た目のサメの心臓に酢味噌を付けて食べました。


 弾力があっても固くない食感で、クセのない味に酒が進みました。


 言うまでもありませんが、サメ一匹に心臓は一つなので、気仙沼を代表する珍味だそうです。

 


 そして次に、マンボウ刺を注文しました。


 私はマンボウを初めて食べましたが、淡泊でくせのない刺身を、この地の人々は酢味噌や南蛮醤油などで食べるそうです。

 


 今回の旅も、気仙沼駅近くに居酒屋でもあれば、と思ったのですが、残念です。


 やがて駅の電光掲示板に、「BRT 18:00 柳津」と表示され、1番乗り場に向かうと、

 


 宮城県のキャラクター、むすび丸をデザインしたバスが停まっていました。

 


 私は最前部の、タイヤ真上の席に座りました。


 駅構内に設けられた信号が青に変って、BRTバスは発車しました。

 


  バスは線路跡のBRT専用道を走ります。

 


 進路を南へ変えて川を渡りました。

 


 ガードレールに両側を挟まれた専用道を走り続けていると、

 


 前方にトンネルが現れ、バスは躊躇することなく中へ進みます。

 


 そして極狭の鉄橋を渡るときも、スピードを変えません。

 


 川を渡ると、左手に防潮堤が見えてきました。


 防潮堤の裏側は気仙沼湾の筈ですが海は見えません。

 


 しかし、この辺りで日没を迎え、以後は写真撮影ができなくなりました。


 バスは夜道を淡々と走り続け、19時49分にJR気仙沼線の柳津駅に到着しました。


 私は柳津駅で小牟田行き電車に乗り換え、小牟田駅で仙台行きに乗り継ぎ、約3時間後の22時51分に仙台駅に降り立ちました。


 仙台から夜行バスで東京に戻ることも考えましたが、生ビールが飲みたくて街をふらつくと、ネットカフェを見つけたので、今夜は仙台の街で夜を過ごすことにしました。

 


 青春18きっぷで北海道の根室を往復してくると、仙台なんて東京の隣町みたいなものです。


 更に、青春18きっぷ全5回分を仙台までに使い果たしました。


 と言うことで、仙台から先は割愛させて頂こうと思います。


 長い旅に、最後までお付き合いいただきまして、本当にありがとう御座いました。

 

 私は古希を過ぎてもなお旅を続けます。 

 

 近場でも、未知なる旅のアイデアに事欠きません。

 

 また何時か、このページでお会いできる日を楽しみにしております。 

 

 皆様もどうぞ、ご健勝にお過ごし下さい。

 

 

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小石川植物園 ちいさな花旅

 

自転車で神田川

 

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1657億の盛土工事こそが最大の震災遺構

2024-04-15 00:01:59 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 小友BRTバス停を発車したバスから、色づき始めた田圃が見えました。

 

 あの日から13年、塩水に浸った田は、どれ程の歳月をかけて復活したのでしょうか。


 そして思い起こすのは、放射能に汚染された福島の農地です。

 


 陸前高田市を17mの津波が襲い、街は壊滅し、1700人以上が犠牲となりました。


 バスの窓から穏やかな広田湾と新しい防潮堤が見えます。


 震災前は5.5mだった防潮堤は2倍以上の12.5mに再整備されたそうです。

 


 小友を過ぎるとバスは一般道を走り、国道沿いに、見覚えのある建物が視野に入ってきました。


 震災遺構の下宿定住促進住宅です。

 

 5階建ての市営住宅でしたが、津波は4階部分まで水没させ、5階の床面まで押し寄せたそうです。

 


  バスは高田病院や高田高校などを経て陸前高田BRTバス停へ向かいました。

 


 すぐにバスは陸前高田BRTバス停を出発し、一般道を走りましたが、海に近いこの辺りに建物はなく、あるとすれば震災遺構だけです。


 そして右手奥に気仙川水門が見えていました。

 


 実は、2015年に三陸海岸を訪ねた時、前高田市の様子を撮影しています。


 国道横に、巨大なベルトコンベアがコンビナートのように連なり、コンベアの先端に土を運んでいるように見えました。

 

2015年8月10日


 盛り土作業だろうか、とは思ったのですが、初めて目にした時、スケール感が巨大過ぎて、何をしているのか見当も付きませんでした。

 

2015年8月10日


 しかし今回、ネット検索で確認すると、高台の宅地造成作業で発生する土砂を活かした、市街地のかさ上げ盛土工事だったのです。


 1657億の経費と10年の歳月を経て、該当市街地に東京ドーム9個分の土を盛り、海抜10mの街に造り変える工事です。

 (独り言ですが、海抜は10mで足りるのでしょうか?)


 そして私は、陸前高田市のこの工事こそ間違いなく、数百年後の後世に語り伝えられる震災遺構になると思います。


 陸前高田BRTバス停を出たバスは、一般道を右左折しながら市内を走り続けました。


 道路脇の田で稲穂が色づき始めていました。

 


 バスは奇跡の一本松BRTバス停を過ぎると、

 


 左手に奇跡の一本松が見えてきました。

 


 気仙川を渡ると、河口に築かれた堰柱高30.6m、幅211mの水門が見えました。

 


 気仙川の横に、震災遺構として保存された旧気仙中学校が見えます。


 この中学校は津波が堤防を越えて数分後に屋上近くまでが水没しましたが、その前に校校生徒が高台に避難し、犠牲者はなく、全員が無事だったそうです。

 


 バスは新設された大船渡線BRTバス停を過ぎ、

 


 広田湾を見下ろす丘を越えて、

 


 岩手県の陸前高田市から宮城県の気仙沼市に入りました。


 気仙沼市に入るとすぐに唐桑町港が見えました。


 唐桑町港は、陸前高田市と同じく広田湾に位置しますが、港の東に位置する真崎が防波堤の役を担ったので、新たに防潮堤が築かれた様子は見られません。


 ちょっとした地形の差が、津波被害の大小に影響する様です。

 


 そしてBRTバスは唐桑町港付近の唐桑大沢バス停等を経て、

 


 出発から84分後の17時14分、BRT気仙沼駅に終着しました。

 

 

 

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首都圏民は、地震時の火災に備えるべき。

2024-04-14 00:18:43 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 盛駅のバス乗り場で3・4分待つと、大船渡行きBRTバスがやってきました。

 


 JR大船渡線BRTは青春18きっぷが使えますから、乗り降り自由ですが、一応、乗車時に発券機から整理券を受け取りました。

 


 バスは都バスや定期民間バスと同じシステムで、運転席の上に運賃表が掲げられ、前扉の横に運賃箱が設けられています。


 バスが走る場所は、線路が敷かれていた跡地です。


 バス前方の窓から幅3m弱かと思う、細いBRT専用道が見えました。


 一般的な市街地道路の幅の半分程の道をバスは進んでゆきます。

 


 大船渡線大船渡BRTバス停は、盛り土された線路に設けられたホームの形を留めていました。

 


 バスは大船渡BRTバス停で線路跡から一般道に降り、市街地を走り

 


 再びBRT専用道へ戻りました。


 バスが大船渡魚市場前の停留所(駅?)から、目下に魚市場と、その先に大船渡湾が望みました。

 


 その後も、バスは専用道と一般道を自在に走り抜けます。


 このシステムは、地域の方々にとって、従来の鉄道よりも便利かもしれない、と思いました。 


 BRTであれば、バスが身近に来ますので、乗客は駅まで出向く必要がありません。

 


 バスが走る窓に大船渡湾が大きく広がりました。


 湾口の右手が碁石岬、左手が尾崎岬です。

 


 バスが進むにつれて、変化に富む大船渡湾の景色が目を楽しませてくれます。


 鈍色に輝く海の底で、静かに眠る古代魚が暮らすような、そんな風に思わせる、穏やかな海が午後の光の中で水面を広げていました。

 


 バスは大船渡湾から更に凹んだ細浦湾の岸辺に停まりました。


 対岸に数多くの漁船が見えました。この辺りが大船渡漁港のようです。

 


 バスは専用道と一般道の出入りを繰り返し、次に碁石海岸口に停車しました。


 周囲にのどかな畑作地が広がります。


 この辺りに居を構えれば、新鮮な野菜と魚に恵まれる暮らしが待っている筈です。

 

 

 夏雲の下で、碁石岬へ続く丘陵地が旅人を見送ってくれます。

 

 

 そしてバスは広田半島の基部を横切り、気仙沼市から陸前高田市に入り、小友(おとも)に停車しました。

 


 専用道の左右に、色づく稲に溢れる田が囲み、三陸海岸のイメージとは異なる景色が広がっていました。

 


  畑は連作障害が起きますので、毎年同じ作物を育てることができません。


 イネは水田で育てるので、連作障害が起きず、毎年安定した収穫が期待できるのです。


 田が広がる景色は、穏やかで安定した暮らしを連想させます。

 


  そんな景色の中で、前方左手に広田湾が見えてきました。


 この辺りは海岸に接して平地が広がります。


 穏やかで安定した暮らしを保証する平地が、東日本大震災と津波に襲われました。

 


 広田半島の基部に位置するJR大船渡線小友駅辺りで、南の広田湾からの津波と北の大野湾からの津波が合流し、駅の周囲は壊滅状態となってガレキに覆われました。


 東京に住む私達にとっても、東日本大震災は他人ごとではありません。


 関東大震災を思い起こせば、東京で怖いのは地震後の火災です。


 首都直下型大地震が起きたとき、都民は火に囲まれる前に逃げ出す場所を、必ず考えておくべきです。

 

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大船渡や陸前高田では、ツバキ油を搾ってきました。

2024-04-13 00:08:12 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 盛から先は、青春18きっぷを使って、JR大船渡線BRTで気仙沼を目指します。


 ところで大船渡線BRTって初耳なので、いつもの通り検索すると、


 JR東日本の「気仙沼線BRT・大船渡線BRT(バス高速輸送システム)」のページを見つけました


 BRTはバス・ラピッド・トランジット(bus rapid transit)の略で、日本語に訳すと「バス高速輸送システム」です。

 

 三陸鉄道の列車のホームを出口に向かうと、跨線橋を備えたホームの反対側に、JRのロゴを付けた赤いバスが停まっていました。


 跨線橋の壁に「三陸鉄道・大船渡線BRTのりば」と記されています。

 


 どうやら、この場所から気仙沼行きBRTバスが発車するようです。


 バスの発車予定時刻は15時50分ですから、待ち時間の40分程を使って街を散策することにしました。


 駅の近くに何かないかな? と名所案内を確認しましたが、適当な場所がありません。

 


 駅舎を出ると、駅のロータリー広場に「碁石海岸」の広告塔が見えました。

 


 ご存じない方のために、碁石海岸を簡単に紹介しますと、


 大船渡市末崎半島の碁石海岸はこの地の著名な景勝地です。


 碁石海岸には推定樹齢1400年の三面椿という日本最古のヤブツバキがあり、昭和44年に県の天然記念物に指定されています。

 

2017年5月25日 撮影


 ヤブツバキは日本固有種で、ヤブツバキの自生林の多くは西南暖地にあります。


 ヤブツバキの分布が少ない東北地方では、照葉樹林を代表する、厚くツヤツヤした葉のヤブツバキを大切にしてきました。


 そして大船渡や陸前高田などでは明治の頃から、ツバキの実からツバキ油を搾ってきました。

 

2017年5月25日 撮影



 また、三面椿がある末崎町には、世界13か国から600種の椿を集めた「世界の椿館・碁石」という温室ツバキ園があります。

 

 大船渡市民は今も熱心にツバキを育て、ツバキ咲く季節になると毎年、「三陸・大船渡つばきまつり」が開催されています。

 

2017年5月25日 撮影



 「世界の椿館・碁石」の温室の中には、珍しいアメリカ産の椿等が花を咲かせます。

 

 

 

 碁石海岸に足を運ぶと、蒼い海が、屹立する岩の間に水を湛え、緑の枝の松の下で潮鳴りを響かせていました。

 

2017年5月25日 撮影


 岬はマツ林に包まれ、散策路の横に掲げられた解説文に、

 

 「碁石海岸のマツ林は、アカマツとクロマツが混交しています。アカマツはクロマツより涼しい気候に適しているため、三陸海岸の北部ではアカマツ林が多くなります云々」

 

 と記されていました。

 

2017年5月25日 撮影


 私は駅舎を出ると気まぐれに、右手方向に歩き始めました。


 大船渡を幾度か訪ね来たことがありますが、盛駅に来たのは初めてで、駅の北側は車で走った記憶もありません。


 知らない土地がいつも気になるのは、多分私が持って生まれた性分なのでしょう。

 


 旧道らしき道を北へ進みましたが、他の街と代わり映えのない光景が続きました。

 

 

 3~400m程も歩くと、スーパーマーケットの前に出たので、中に入りました。


 地方都市のスーパーは、その地方独特の魚や野菜等や、珍しい銘柄の地酒などが並び、結構楽しめます。

 

 

 店内をくるりと見て時刻を確認すると、時間に余裕が無いことが分かり、

 

 ここでバスに乗り遅れると、この先が面倒ですから、早目に盛駅へ戻ることにしました。

 

 

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椿の旅 北海道北限のツバキ探索

 

椿の旅 氷見に椿古木を訪ねる

 

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列車は終着駅 盛駅に到着しました。

2024-04-12 00:50:31 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 三陸駅を発車した列車から越喜来(おきらい)湾に注ぐ泊川河口の水門が見えました。


 水門の裏に泊漁港が隠れ、越喜来湾に突き出た小さな岬に「越喜来の株椿」と呼ばれる、推定樹齢250年の大船渡市天然記念物の椿が育ちます。


 筆者の旅のテーマの一つが椿を訪ねる旅です。

 

 いつかは「越喜来の株椿」を訪ね来たいと思います。

 


 そんなとき列車の窓から、真っ赤な百日紅を庭に咲かせる民家を見ました。


 海抜25m程かと思いますが、民家は線路よりも高く、津波から免れた様子でした。

 


 列車がトンネルを抜け甫嶺(ほれい)駅に停車すると、駅横の、甫嶺川河口に水門が築かれていました。


 甫嶺駅は築堤上にあり、東日本大震災の時、三陸鉄道の築堤が山側の家を津波から守ったそうです。

 

 列車は次に恋し浜(こいしはま)駅に停車しました。


 この駅は1985年に小石浜駅の名で開設されました。

 

 その後2008年に、この地で立ち上げたブランドホタテ「恋し浜」に因み、駅名を「恋し浜」に改称したそうです。

 

 
 恋し浜駅から、小石浜の集落と海を隔てた越喜来半島の山(444m)が望めました。

 

 この地区も津波に襲われなかったように見えます。

 


 列車が恋し浜駅を発車し、長い第二白浜トンネルを抜けると、綾里(りょうり)湾や野々前漁港の景色が広がりました。


 V字型で東向きの湾は、非常に高い津波が押し寄せますので、東日本大震災時は40.1mの津波遡上高を記録しています。

 

 一方、この湾奥の地区は過去の津波の教訓を生かし、家屋浸水や人的被害は出なかったそうです。

 


 列車はその後小さなトンネルを二つ潜り、綾里駅に停車しました。


 この駅前の広場に津波記憶石が設置され、記憶石には「津波てんでこ」の字が刻まれています。

 

 「てんでこ」は、てんでんばらばらを意味し、津波が来たら他人どころか、親子もかまわず、夫々が必死で逃げろ、という古くからの教えだそうです。

 


 綾里駅を出た列車は2960mの綾里トンネルを抜けて、陸前赤崎駅に停車しました。


 列車の窓の下に何か建物の屋根が見えました。


 三陸鉄道のHPに記された陸前赤崎駅の説明に、「愛称:貝塚めぐり 東日本大震災後、釜石寄りに100mほどホームを移設して長い階段を改称しバリアフリー化を図りました。ホームから大船渡の街が遠望できます」と記されています。


 「大船渡 貝塚」で検索すると、

 

 大船渡市観光サイトに「気仙地方は縄文時代の遺跡が多く、貝塚の分布密集地域の一つで、大船渡湾岸には蛸ノ浦貝塚、下船渡貝塚、大洞貝塚などが見られ、陸前赤崎駅の近くの大洞(おおほら)貝塚は、縄文時代晩期の土器形式である「大洞式」が設定された遺跡として有名」の記載があります。

 

 

 駅前の防潮堤の上に、県道が設けられていました。

 


 陸前赤崎駅を出ると列車は、三陸鉄道リアス線最後の佐野トンネルに入りました。


 全長2km程と思うトンネルを抜けると、列車は左へ曲がり、県道9号を横切り

 


 盛川を渡りました。

 

 
 そして列車は、15時05分 三陸鉄道リアス線163㎞の終着駅、大船渡市 盛駅に到着しました。

 

 

 

 

 

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三陸海岸の三陸町の三陸駅

2024-04-11 00:08:44 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車が釜石駅を発車すると右手にイオンと釜石グレーンセンターの白い建物が見えてきました。


 イオンは総合スーパーですが、釜石グレーンセンターは飼料穀物を輸入供給する企業です。

 

 グレーンは穀物を意味します。

 

 釜石港は水深が深く、穀物を積んだ大型外航船が入港できる地の利を生かし、岩手県の畜産業を支えます。

 


 そして列車は甲子川を渡りました。

 


 甲子川を渡ると列車はすぐに釜石トンネルに入りました。


 1857mのトンネルを抜け、小さな川を渡り、列車はスピードを緩め、平田(へいた)駅に停車しました。

 

 

 平田は一般的に「ひらた」と読みますので、平田(へいた)の名の由来を調べると、アイヌ語で「ヘタ(海辺の平らな土地)」を意味するとの説明を見つけました。

 


 平田駅を出た列車はすぐにまた、石塚トンネル(4670m)に入りました。


 先のページで書いた通り、三陸海岸は西から山稜が海に迫り、幾多の川が刻んだ谷が水没してできた地形なので、それを南北に横切れば、トンネルが多くなるのは当然です。


 そしてトンネルを抜けると必ず、青い海と緑の半島が視野に映ります。

 

 しかし、猛暑の季節は、冷房が効いた列車が長いトンネルに入ると、窓ガラスの外側が水蒸気の幕で曇り、唐丹(とうに)湾の景色と唐丹駅を撮影することができませんでした。

 


 唐丹駅を過ぎると列車はまた、熊の木トンネル、鍬台トンネルに入りましたが、次の吉浜駅に着くまでに窓ガラスの曇りは消え、車窓に吉浜湾の景色が見えてきました。

 

 ところで、リアス式三陸海岸は入江と半島が鋸の歯のように連なるので、個々の湾と半島名を知りたいのですが、半島の幾つかは国土地理院の地図を眺めても記載されていません。

 

 吉浜湾の南に伸びる半島もその一つですが、他の方のブログに「越喜来(おきらい)半島」との記述を目にしました。

 

 通称名かもしれませんが、私もそれに倣うことにします。

 


 列車は鍬台トンネルを抜ける間に釜石市から大船渡市に入りました。


 ちょっと余談ですが、ちょうど大地震発生時に、釜石行きの列車が鍬台トンネル(3906m)を走行中でした。

 

 緊急停車した列車の乗客2名と運転手はトンネルから徒歩で脱出し、列車は地震の3か月後、同じ運転手の手によってトンネルから無傷で脱出できたそうです。


 吉浜駅から大船渡市三陸町吉浜の集落と吉浜海水浴場が見えました。

 


 吉浜駅を出ると列車は、吉浜湾の南に伸びる越喜来半島の基部を横切ります。


 山の狭間の平地に田畑が緑を広げていました。

 


 小さなトンネルを3つ、そして羅生トンネル(1978m)を抜けると、三陸町越喜来(おきらい)の街と、その先に越喜来湾が見えました。

 


 列車はそのまま三陸駅に停車しました。


 三陸海岸の三陸町の三陸駅です。


 どんな歴史や経緯があるか気になり「三陸町」で検索しました。


 1956(昭和31)年に吉浜村、越喜来村、綾里村が合併し三陸村が発足し、1967年に三陸村が町政施行し、三陸町となります。

 

 そして2001(平成13)年に大船渡市に編入され、大船渡市三陸町になりました。


 ということで、浦和、大宮、与野が合併して、さいたま市と名乗ったのにも似て、特段の意味はなさそうですが、私は三陸町を瞬時に記憶しました。

 


 越喜来湾の海岸にも、新たな防潮堤が築かれていました。

 


 そんな光景をもたらした、あの日を忘れない為に、当地を襲った津波の映像がYouTubeで公開されています。

 

 

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過去の経験を生かしきった中学校

2024-04-10 00:07:24 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 鵜住居川を渡り、鵜住居駅に停車した列車の窓から、2019年ラグビーWCで使用された釜石鵜住居復興スタジアムが見えました。


 2011年の東日本大震災津波襲来時、この場所には釜石東中学校と鵜住居小学校がありました。

 

 そして3月11日2時46分、中学生達は地震発生直後から自主的に避難を始め、訓練通りに避難した生徒に犠牲者は一人も出なかったそうです。

 

 中学生達は海抜4mの第一避難場所から更に高台へと、小学生と保育園児の手を引いて避難を続けました。

 


 鵜住居駅に停車した列車右手の高台に、新築された鵜住居小学校が見えました。

 


 列車が動きだすと小学校の隣に、新釜石東中学校が見えます。

 


 駅を出て、列車が少しずつ標高を上げると、線路に沿って、被災者の方々の住居らしき家並が見えてきました。

 


 鵜住居駅と次の両石駅の間に、箱崎半島へ続く標高44mの「恋の峠」があります。

 

 あの日、釜石東中学校と鵜住居小学校の生徒達はこの辺りまで避難したそうです。

 


 そして列車は峠を下り、両石(りょういし)駅に停車しました。


 この駅がある釜石町両石町の集落を襲った津波は海抜24mに達し、260戸あった住宅は、高台の13戸を残し全て流失したそうです。

 


 列車が再び動き出すと、高い場所を通る線路から眺める両石湾が、白い夏雲の下で穏やかな表情を見せていました。


 こんな長閑な風景を10~20年も見続けると、みんないつの間にか、津波の恐ろしさを忘れてしまうのかもしれません。

 


 両石湾の岸辺を離れた列車は、両石湾に注ぐ水海川に沿って2㎞程東へ進み、釜石湾の北に伸びる馬田岬(まだみさき)へ伸びる尾根の基部をトンネルで抜け、目の前に、今まで見てきた景色とは異なる、煙突が目立つ工場が見えてきました。

 

 ネット地図で確認すると日本製鉄の製鉄所だろうと思いますが、この煙突が、釜石市に着いたことを強く印象付けます。

 


 すぐに列車は甲子川(かつしがわ)を渡りました。


 ところで私は、今まで甲子を(こうし、きのえね)と読んでいましたが、(かつし)と読むことを初めて認識しました。

 

 甲子は他に(きね、かし、かふじ)などとも読むそうです。

 


 そして列車は13時53分、釜石駅へ定刻通りに到着しました。


 釜石から乗り継ぐ盛行きの列車は、14時13分発の発車です。


 駅の外に出て街を見学する時間はありません。

 


 降りたホームの周囲を見回すと、少し離れた場所に二両編成の気動車が止まっていました。

 


 駅の「三陸鉄道 盛方面」の表示に従って地下通路へ下り、

 


 地下通路を左に進み、盛行きの列車が待つホームへ上がりました。


 列車はクーラーが効いているので、汗をかきませんが、外へ出ると、強い陽射しが駅舎の屋根を熱し、思わず、自販機のボタンに手を伸ばします。

 


 盛行きの列車の窓から、宮古から乗ってきた列車を確認しました。


 その背後に、釜石駅周辺の山々が映り込んでいました。


 三陸海岸は基本的に、このような山稜が海岸に迫り、その山を削る川に沿う僅かな平地に人々が暮らします。


 そんなリアス式海岸は、川が絶え間なく海へ、森の豊かな栄養素を注ぎます。

 

 そんな奥深い入り江の海は、津波さえなければ、海の幸に溢れる楽園なのです。

 

 

 

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ドン・ガバチョが住んだ島

2024-04-09 00:16:19 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 岩手船越駅を発車した列車の窓に船越湾が見えてきました。

 

 東日本大震災時の津波遡上高は、巾着型の山田湾側が9.7mに対し、太平洋に湾口を広げる形の船越湾側は27mだったそうです。


 しかし、船越地区は過去の津波から教訓を得て、低地に家を建てることを避けていたので、他地域よりも被害は少なめだったそうです。

 


 列車は左手に、穏やかな細波が寄せる船越湾を見ながら南下します。

 


 線路は、海岸から高さ40~50m程の場所を、国道45号と並走しながら大槌町に入り、

 


 青い海の向こうに船越半島を望む、浪板海岸駅に停車しました。


 浪板海岸は寄せる波はあっても返す波がない「片寄せ波」の海岸で、東北有数のサーフィンのメッカとして知られます。

 


 列車は浪板海岸駅を出ると、4分後に吉里吉里駅に停車しました。


 吉里吉里駅は、井上ひさしの小説『吉里吉里人』がベストセラーとなった1981(昭和56)年に、一大ブームを巻き起こしました。


 今はそのブームも去り、駅は静かな佇まいに包まれていました。


 「吉里吉里」の名は、吉里吉里浜の砂踏む音が由来とされますが、アイヌ語では「白い砂」を意味するそうで、名の由来は主張が分かれるようです。

 


 列車は吉里吉里半島の裾を横切り、車窓に大槌(おおつち)湾が見えてきました。

 


 列車が大槌駅に停まると、今まで見てきた駅前の光景と同様、海が護岸に隠される風景が現れました。


 それでも一応、どんな駅かと思い「大槌駅」を検索すると、三陸鉄道のHPに「大槌町のシンボルひょうたん島(蓬莱島)をイメージして作られた屋根が特徴の駅舎で」と記されています。


 ところで「ひょうたん島」ってあれかな? と思い調べると、やっぱりそうでした。


 蓬莱島は、今から60年前の1964年から放送されたNHKのテレビ番組「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島です。

 

 ということは、あのドン・ガバチョが住んでいた島なのです。


 そんな、ひょうたん島(蓬莱島)は、防波堤で陸地と繋がっているそうです。

 


 大槌駅を出るとすぐに小鎚(こづち)川を渡りました。


 河口に14.5mの小鎚川水門が築かれていました。

 


 大槌湾の津波痕跡高は15.1mだったそうです。


 鵜住居川河口付近の海岸でも、防潮堤が夏の陽射しに照らされていました。

 


 列車が進むと、車窓に広い空き地が広がりした。


 海岸に新しい防潮堤を築きながら、東日本大震災と同規模の地震時には、堤を超える津波の襲来を想定し、低い土地に緑地公園やスポーツ施設などの整備を予定しているそうです。

 


 大槌駅を発車した列車は暫くすると鵜住居川(うのすまいがわ)を渡りました。


 名前だけで、どんな川か良く分かります。


 鵜が住む川であるのなら、きっと魚影が濃いに違いありません。

 

 

 

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