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帯広市にヒグマの巣みたいな場所がある

2023-10-31 00:05:13 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車は芽室(めむろ)駅に停車しました。


 芽室の地名はアイヌ語の「メムオロペッ(泉沼より来る川、湧壺の所の川)」の意と説明されます。

 


 列車が停まった位置に「芽室遺産」と題する掲示がありました。


 その中の


 「芽室発祥のゲートボール:昭和22年、パン工場を経営していた鈴木栄治さんによって考案され・・・」や

 

 「花菖蒲園:2.7haの敷地内に610種・2万5千株の花菖蒲、種類数は北海道一を誇る」の項目が印象に残りました。

 


 駅舎に尖がり帽子の塔が見えたのでググってみると、からくり時計だそうです。


 平穏で豊かな街の印象を受けます。

 


 芽室駅で気動車が一両増結されました。


 芽室に高校があるので、朝の通学に運用された車両の調整かもしれません。

 


 列車は芽室駅に続いて大成駅、西帯広駅に停車しました。


 西帯広駅の住所は帯広史西23条一丁目です。


 列車は西帯広駅の1~2km手前で帯広市内に入り、駅の周囲に住宅が広がります。

 


 ところで、西帯広駅が帯広市西23条一丁目であることを確認し、帯広市ってどれ程のエリア?の疑念が生まれました。


 そこで、ネット地図を広げて確認すると、とんでもないことが分かりました。


 何と! 帯広市のエリアは帯広空港付近から西へ広がり、戸蔦別川に沿って更に西に進み、戸蔦別岳の稜線に至ることが分かったのです。


 戸蔦別岳と言えばヒグマの巣みたいな所です。


 まさか、こんな所まで帯広市だなんて思いもしませんでした。


 そしてすぐに連想したのは、東京都のエリアが多摩川に沿って雲取山まで広がる事実です。


 両者に共通するのは、住民の主要な上水道の水源地ということです。

 

 

 


 私は、このブログ記事を書きながら、今まさに旅の第3ステージの途上にあることを実感します。


 列車の窓から見た、駅周辺の何気ない住宅街の景色が、帯広のエリアの広さと、そのエリアの意味(私の推論は多分正しい筈です)を教えてくれました。


 旅の第3ステージも、実に楽しく面白い! 

 

 

 

 列車が西帯広駅を出ると、左手にコンテナを積んだ貨車が停まっています。

 


 右手の建物の脇に帯広貨物駅の表示を見ました。


 国鉄が分割民営化された時にJR貨物が誕生分離され、2011年に帯広駅から帯広貨物駅に改称されたそうです。


 そしてジャガイモの収穫期である9月中旬から10月上旬にかけて、ジャガイモ輸送専用列車が埼玉県の熊谷貨物ターミナル駅まで運行されるそうです。


 ところで、ジャガイモ輸送専用列車があるならタマネギ輸送専用列車もあると思い、ググってみると北見と旭川の間で通称「たまねぎ列車」が運行されていることが分かりましたが、ジャガイモ輸送と異なり、はるかに距離の短い旭川までだそうです。


 採算は取れているのでしょうか。

 

 

 

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日高山脈の記憶

2023-10-30 00:03:47 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 新得で9時25分発の帯広行きに乗り換えます。


 帯広行きの列車が待つ3番線ホームへ跨線橋を渡りました。


 跨線橋の上から望むと、根室本線が一直線に東へ向かい、

 


  反対側は、尾根の裾を単線の線路が回り込んでゆきます。

 


 改札口に接する1番線で、数人の客が列車を待ちます。 

 


 すると程なく、4両編成の特急列車「とかち4号」がやってきました。


 この特急は石勝線経由で、札幌に2時間強で到着しますから、昔の根室本線富良野経由の特急より約1時間早くなりました。


 富良野-新得間の根室本線が廃止となるのは致し方ないかもしれません。

 


 帯広行きの普通列車は、特急列車を見送った4分後に新得駅を発車しました。

 


 空は青く、雲は白く、野や山は緑に彩られています。

 

 三角形に尖る山は新得町のシンボル、オダッシュ山のようです。


 そしてオダッシュは、アイヌ語でボロボロの岩山に穴が空いた状態を指すとされます。

 


 列車は十勝清水駅に停車しました。


 私はホーム越しに見たヨーロッパトウヒを撮影したようですが、今は何を撮影したのか定かではありません。

 

 

 

 風景を見て、停車駅を確認し、植物に目を配る旅は何かと気ぜわしいも

のです。


 しかし、車窓風景は実に長閑。 


 この玉ねぎ畑は、こちら側からあちら側まで500mはありそうです。

 


 そんな景色の中を、気動車はひたすら走り続け、

 


 御影駅に停車しました。


 駅名は、この辺りで御影石が産出されることに因みます。

 


 御影駅に停まった列車の窓から、雲を被った芽室岳が見えました。


 芽室岳の標高は1754mで、これより北に、これ以上高い山はないことから「日高山脈最北端の山」とみなされます。

 


  日高山脈にも数多くの想い出が詰まります。


 帯広で過ごした学生生活で自然探査会というサークルに所属し、二年生の時に「日高五ヶ年計画」をスタートさせました。


 それ以前に実施された「大雪五ヶ年計画」を踏まえてのことですが、それが私の人生に影響を与えました。


 三年の夏休み前半に、日高の幌尻岳(ホロシリダケ)、戸蔦別岳(トッタベツダケ)に入る合宿を計画しましたが、そのタイミングと教職資格に必須な教育原理の集中講義が重なったのです。


 「日高五ヶ年計画」の提案者が合宿に参加しない訳にはいきません。


 そして翌年もこの集中講義を受けることができず、私は教員となる為の単位が足りないまま卒業の日を迎え、偶然のリクルートで、北海道勤務を希望する社員を探していた製薬会社に就職しました。

 

 そして腰掛けのつもりで入社した会社で定年を迎えることになります。


 そんな思い出と重なる日高の山々ですが、


 膝まで水に浸かりながら戸蔦別川を登り詰めて行くと、

 


 目が覚めるような幌尻岳七つ沼カールが待っています。

 

 

 

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新得はトムラウシ山の玄関口

2023-10-29 00:40:13 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 落合駅を出発したバスは針葉樹林に囲まれた道を走り、狩勝峠を目指して標高を上げて行きます。


 車窓に佐保岳のピークが見えてきました。


 私は1976年からの学生生活を帯広で過ごしました。


 その学生時代に、ワンゲルと探検部と生物部を合わせたような自然探査会というサークルに所属しましたが、その新人歓迎山行が佐保岳でした。

 

 新得駅で列車を降り、国鉄の古い線路跡を歩き、途中から尾根道に入ってピークに登り、頂上から稜線上の登山路を下り、国道に出て落合駅まで歩いた記憶があります。

 

 佐保岳は1980年に狩勝高原スキー場がオープンし、現在はスキー場の他に、ゴルフ場やクマのサファリパークなどの施設が設けられています。

 


 バスはやがて狩勝峠を通過しましたが、ドライブインがシャッターを下ろしていました。


 2017年頃には店を閉じたらしいのですが、寂しく思わせる光景でした。

 


 しかし、狩勝峠からの風景は変わりません。


 視界の先で二つの峰が印象的な姿を見せて、その奥で、十勝川の河岸段丘が地平線を描きます。

 


 峠を越えたバスは、正面にスキー場のゲレンデを見ながら、一気に高度を下げます。

 


 そして、峠道を下り終えた辺りでバスは左に折れ、サホロリゾートホテルの前に停車しました。


 国道38号線を挟んでサホロリゾートホテル反対側には、厳しい寒さを凌いでウメが育つ奇跡の梅園があり、5月下旬頃、ヤマザクラと一緒に1000本を超える豊後梅が花を咲かせます。

 


 道が平坦になった辺りからソバロードが始まりました。


 車窓に広大なソバ畑が広がります。


 今日は白いソバの花が咲いていますが、何年か前に、一面に赤いソバの花が咲いていたことがありました。残念なことにその時の写真が見つかりません。

 


 そしてバスは東鹿越を出発して約1時間後の9時14分に新得駅に到着しました。

 


 新得はソバが有名ですが、山登りをする人であれば一度は登りたいと願う、日本百名山のトムラウシ山への玄関口です。


 夏山シーズンには毎年、新得駅からトムラウシ温泉までバスが運行されます。


 トムラウシ山は、トムラウシ温泉から登り始め、頂上直下の南沼キャンプ地かヒサゴ沼の避難小屋に泊まり、化雲岳を経て天人峡温泉に降りるルート、あるいはその逆コースが一般的です。

 

 しかし天人峡温泉には公共交通機関がないので、いっそのこと、旭岳や黒岳へ2泊3日で縦走する登山者もいますが、初心者が登れる山でないことだけは確かです。

 

 
晴れた日には、美瑛丘陵から、山稜の一番奥にトムラウシ山が見える

 

 

 

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幾寅(いくとら)の冬の厳しさを思い出します

2023-10-28 00:04:39 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 直前の記事で説明した、東鹿越での列車とバスの運行詳細を説明するポスターが東鹿越駅の待合室に掲示されていました。


 そのポスターに、バスは十勝サホロリゾートの送迎バスの役割も兼ね、サホロリゾート前にも停車しますが、サホロリゾート送迎対象者以外は新得駅、落合駅を起点とする料金が必要である旨の説明が記されていました。

 


 そして、東鹿越の隣の幾寅(いくとら)にある、南富良野高校カヌー部のポスターが貼られ、過去に何度もインターハイや国体で優れた成績を収めたことや、南富良野教育振興会から遠征費などの援助を受けていることが記されていました。

 


 私は数か月前にNHKテレビの「ひむバス」という番組で、バナナマンの日村さんが、南富良野高校のカヌー部の生徒を滝川市の競技場まで送迎する番組を見ました。

 

 そしてこのバスに、数人の南富良野高校生らしき若者の姿を認めました。


 
 東鹿越を出たバスはかなやま湖の湖畔を走りますが、木々が邪魔して、湖の景色を僅かに見ただけに終わりました。

 


 東鹿越を出て3km程も走った頃に根室本線の踏切を渡りました。


 根室本線が台風10号の被害を受けたのが7年前ですから、それ以来、この線路は使われていない筈です。

 

 100m程の先で線路が灌木で覆われていました。

 


 そして程なくバスは幾寅駅に到着し、数人の高校生が下車してゆきます。


 幾寅駅は、映画・鉄道員「ぽっぽや」のロケ地として有名ですが、駅前のロータリー(というより駅前広場)の横に、映画で使われた気動車が保存されていました。
 

 

 幾寅駅から南ふらのスキー場が見えていました。


 一度はここで滑ってみたいと思っていたのですが、そのチャンスはとうとう得られませんでした。

 


 バスは駅前広場から国道38号線に出て東を目指します。


 そういえば、この辺りの反対車線で警察が頻繁にネズミ捕り(スピード違反の測定)をやっていました。

 

 国道は60kmの速度制限ですが、幾寅の市街地の手前で急に40km制限に変わるのです。

 

 こんな田舎道で、えげつないな~と思った記憶があります。

 


 国道38号線の両側にジャガイモやニンジンの畑が広がり、次の落合駅周辺まで人家は殆どありません。

 

 

 国道38号は空知川に沿って東へ進み、

 


 幾寅を出発したバスは10数分後に落合駅に停車しました。


 1976年頃のことですが、この地の診療所に満州から帰国したお医者さんが居られて、私は月一のペースで旭川から車を走らせ来ていました。


 その帰りに、吹雪の雪道で車がパンクして、死にそうな思いをした記憶が蘇ります。

 

 

 

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空知川の源流は上ホロカメトック山

2023-10-27 00:13:49 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 金山駅を出た列車は進路を東に変えて登り勾配を進み、空知川を渡りました。
 

 

 車窓右手に一瞬、金山ダムの姿を捉えましたが、シャッターが間に合いませんでした。


 そして列車はトンネルの中へ入りました。

 


 トンネルをぬけると突然、かなやま湖の上に出ました。


 湖面に青い空と白い雲が映ります。

 


 かなやま湖は6年の歳月をかけて1967(昭和42)年に完成した金山ダムによって空知川を堰き止めた人造湖です。


 空知川は富良野線の車窓から見た、十勝連峰の上ホロカメトック山を源とします。

 


 私は幾度も上ホロカメトック山に登りましたが、そこから見下ろす空知川の源流域は原生林が広がるばかりです。


 かなやま湖は滝川市に水道水を供給しますが、原生林が濾過した水は、美味しいだろうなと思います。


 かなやま湖の最狭窄部を鉄橋で越えた根室本線の列車は、湖の東側の岸辺を走り、8時1分に東鹿越駅に終着しました。


 滝川駅を起点とする根室本線は現在、実質的に東鹿越が列車の終着駅となっています。


 2016(平成28)年8月31日に台風10号が北海道に甚大な被害を及ぼし、十勝地方は一時孤立状態に陥りました。

 

 特に根室本線の幾寅-新得間の被害が大きく、10月17日に東鹿越-落合間で代行バスの運行が開始されましたが、東鹿越から先の鉄路が復旧することがないまま、2023年3月31日にJR北海道は富良野-新得間の鉄道事業廃止届を提出し、2024(令和6年)4月1日に当区間を廃止することが決まりました。

 


 そんな訳で、富良野からの列車を東鹿越で降り、駅舎の後ろに待つ、新得行きの代行バスに乗り換えます。


 代行バスの運用はふらのバス㈱に委託されています。

 


 バスに乗る前に、駅のホームを振り返えると、乗ってきた気動車が発車を準備した雰囲気で佇んでいました。

 


 この列車は東鹿越駅を程なく折り返すはずです。


 そして、函館本線が長万部で興味深い運行を行うことを思い出し、東鹿越の列車とバスの運行状況を確認しました。


 すると東鹿越駅も、長万部と同様に上下線の列車とバスの運行本数が非対称だったのです。


 しかし、東鹿越での非対称の理由は明らかです。


 私の記憶では、この地区で通学可能な高校は富良野と幾寅に限られます。


 朝6時36分発の滝川行きは高校生の通学用に違いありません。


 最終列車が2両編成で来て、東鹿越に1両置いて、1両で帰ってゆくと推測します。


 そして、東鹿越には運転手さんの宿泊施設があるハズです


 あるいは、かなやま湖畔の宿泊施設と契約しているかもしれません。

 

 どちらにしても、JRの運転手さんが、雪に閉ざされた辺境の地で家族と離れた一夜を、定期的に過ごす生活を強いられています。

 

 

 

 

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芦別岳・夕張岳の想い出

2023-10-26 00:47:48 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車が山部駅を出ると、右手に芦別岳の山裾が見えました。


 雲の合間に、山稜の中へ切れ込む谷が見えます。


 あの谷がユーフレ川で、その奥に避難小屋のユーフレ小屋があります。


 私が所属した山岳会はユーフレ小屋をベースに、その裏手の夫婦岩や芦別岳に直登する本谷周辺の岩壁でロッククライミングに勤しみました。


 今本棚を確認すると、1978年の12月30日からの正月を夫婦岩の岩峰で過ごした記録が出てきました。

 

 
 山部駅を出た列車は、空知川に沿って南下し、

 


 下金山駅に停車しました。


 この駅が開業したのは1913年ですが、1921年から1954年にかけて、西達布の東大演習林からこの駅の貯木場まで、馬車軌道の森林鉄道が木材を運搬していました。


 しかし来年の2024(令和6)年4月、富良野駅-新得駅間の廃止にともなって下金山駅も廃駅となる予定です。

 


 下金山駅周囲で数件の民家が、セイタカアワダチソウやオオイタドリが繁茂する草藪に飲み込まれそうな風情で立ちすくんでいました。

 


 根室本線と並行する国道237号に「くみあい配合飼料」と記されたトラックが占冠村方面へ向かいます。


 この辺りから占冠までは27km程の距離です。


 占冠には特急列車が走る石勝線と千歳空港や札幌へ伸びる高速道路のICがありますので、来年4月に根室本線の富良野-新得間が廃止になれば、国道237号の役割が増すことでしょう。

 


 列車は程なく金山駅に停車しました。


 素朴で鄙びた雰囲気の駅舎が見えます。


 金山駅は1900(明治33)年の開業です。

 

 この辺りは西に位置する夕張岳山稜から流れるトナシベツ川からトナシベツの地名でしたが、周囲の川から砂金が採れることから金山の地名になったそうです。


 私が帯広で学生生活を過ごしていた頃、サークルの仲間が、帯広駅を22時頃に発車する札幌行き普通夜行列車に乗って、夜明け前の3時頃に金山駅で降り、夜明けと共にトナシベツ川沿いの林道を7km程歩き、その後尾根に取り付いて夕張岳に登った話を聞かされました。


 私もそれを聞いて、夕張岳固有種であるユウバリコザクラなどが咲く季節に登りたいと思いましたが、願いは叶えられませんでした。


 しかし65歳になった2016年、サークルの後輩で札幌在住の森幸二さんが付き合ってくれて、念願の夕張岳に登ることができたのです。嬉しかったな~


 森さん、あの時はお世話になりました、本当に有難う。

 

 
 列車は7時49分に金山駅を発車しました。

 


 車内に目を向けると、ベンチシートに女子高生らしき姿が見えます。

 


 通学途中のようです。

 

 

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芦別岳が見たくて

2023-10-25 00:02:47 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

  列車は中富良野駅に停まりました。


 しかし列車が中富良野駅に停まる前に、ラベンダー畑という駅を通過しました。(写真は撮れませんでした)


 私はこの駅を知りません。


 ネットで検索すると、1999年に開業した、夏のラベンダー観光客用の臨時駅だそうです。
 

 

 中富良野駅を出た列車は、玉ねぎ畑が広がる中を走り、

 


 鹿討(しかうち)駅に次いで学田駅に停まりました。


 鹿討の名は当地に鹿討(ししうち)豊太郎が開設した「鹿討農場」に由来します。


 次の学田駅の名は、1896(明治29)年ごろに、付近一帯が札幌農学校(現北海道大学)の演習田畑だったことに由来します。

 


 この辺りまで来ると、列車の進行方向に、富良野スキー場のゲレンデと、その裾に建つ新富良野プリンスホテルの白い影が見えてきました。

 

 富良野スキー場は、1977(昭和52)年にワールドカップが開催され、その後幾度も国際大会が開催されています。

 

 私も数え切れぬ程このスキー場に足を運びました。


 1980年に、知人の紹介で新プリンスホテル直下の山林を購入し、つい最近まで所有していたのですが、定年後に山小屋を建てようとすると、周囲が市街地調整区域に変わっていて、道路を整備しないと建築許可が下りなかったのです。


 しかし道路用の資金が足りず、手は尽くしましたが、最終的に手放すことにしました。

 

 若い頃に見た夢なんて、所詮そんなものですよね。

 


 山仲間や大学サークルの後輩達を呼んで暖炉を囲み、酒を酌み交わしたかったのですが、残念です。


 そして列車は富良野駅に到着しました。

 

 
 駅のホームから富良野スキー場の北の峰ゲレンデが見えました。


 あの斜面の起伏や雪の感覚が足に甦りますが、再びこのスキー場でスキーを履くことはないかもしれません。

 


 富良野で、滝川発の根室本線の列車に乗り換えました。


 富良野線では十勝連峰が見たくて、車両の左側に座りましたが、今度は夕張山地の芦別岳が見たくて、右側に座りました。

 



 しかしです、空は晴れているのに、標高200m付近から2000m辺りまでが雲に隠れています。


 富良野スキー場のゲレンデ斜面も雲に隠れていました。

 


 そして案の定、列車が進む先に見える筈の芦別岳を厚い雲が覆っていました。

 


 富良野駅を出た列車は次の布部駅に停まりました。


 私の記憶にある布部駅は板張りの茶色っぽいイメージですが、それより綺麗になっています。


 そしてこの駅が、ドラマ「北の国から」の舞台となった麓郷への玄関口です。

 


 列車は根室本線を進んで空知川を渡りました。

 


 そして程なく山部駅に到着しました。


 この駅を降りて、西へ4kmほど歩くと芦別岳の登山口に至ります。


 金曜日の夕方に仕事を終え、最終列車を乗り継いで山部駅で降り、雪道を歩いて芦別岳の登山口で夜を明かし、夜明けを待って山に登ったこともありました。

 

 

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高山植物を話題に酒を酌み交わす

2023-10-24 00:18:15 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 富良野行きの列車は美瑛駅を出ると、美瑛川と空知川の分水嶺となる丘を上り、美馬牛(びばうし)駅に停まりました。

 

 もしかすると、この駅のプラットホームに育つのはアカマツかもしれません。

 

 しかし、アカマツに良く似たヨーロッパアカマツという木があります。

 

 その木は耐寒性があって、シベリアなどにも分布しますので、一目見ただけの判断は控えるべきです。

 

 

 ところで、この美馬牛駅で旭川行きの列車とすれ違いました。

 

 それで気付いたのですが、富良野線のほぼ中間点がこの辺りなのです。

 

 富良野線は旭川と富良野を結ぶ全長54.8kmの単線で、美瑛-旭川が23.8km、美馬牛駅-旭川が30.6kmですから、美馬牛駅で上下線の列車がすれ違うのは、さもありなんです。

 

 

 美馬牛駅は周囲を防雪林に囲まれますので、景色は良くありませんが、この辺りを車で走ると、北の方角に、麦畑や馬鈴薯畑の先に大雪山系の旭岳、

 

 

 そのまま視線を右へ移すと十勝連山の峰々

 

 

 そして、清々しい富良野岳の姿を堪能することができます。

 

 

 美馬牛駅の横の踏切を渡って、丘の上に続く道を進むと、丘の斜面を花で飾る「四季彩の丘」や、先に紹介した風景写真家の前田真三さんの作品が展示される拓真館が貴方を待ちます。

 

 列車が美馬牛駅を出て、5~6分後に、丘の斜面の下に上富良野の街が見えてきました。

 

 

 上富良野町は富良野盆地の北端に位置しており、冬はマイナス25℃を下回ることがあります。

 

 私が旭川に住み始めた最初の頃は、この駅で列車を降りて、バスで十勝岳温泉まで行き、そこから富良野岳を目指しました。

 

 当時のバスは、トトロの森に出てくるようなボンネットバスだった記憶があります。

 

 

 山から下りて十勝岳温泉の露天風呂に入り、一風呂浴びた後で呑むビールの味は格別でした。

 

 そして思い出すのは、旭川から北へ50km程の場所に士別という街があり、その街で開業するお医者さんが、自宅で高山植物を育てるのが趣味なので、私は何度か、高山植物を目的に、富良野岳をご案内したことがあります。

 

 その頃私は独身でしたから、金曜日の夕方に士別の医院を訪ねると、「今日は泊まってゆきませんか」と誘われ、夕食後に美酒を振る舞われながら、仕事の話しなどは一切せずに、山や高山植物の話に花を咲かせることが度々でした。

 

 

 

 上富良野駅を出ると、列車は5分後に西中駅に停まりました。

 

 今回駅名の由来を調べると、中富良野町の西部にあるからの命名だそうです。

 

 

 列車1両程の長さのホームだけの駅がニンジンや玉ねぎの畑の中にポツンと佇んでいます。

 

 そして私が座る席のすぐ横で、北海道に来たことを感じさせるオオイタドリが、白い花を咲かせていました。

 

 

 

 

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車窓に十勝連峰の山々

2023-10-23 00:18:48 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 美瑛を出発した列車は直ぐに美瑛川を渡りました。

 

 この美瑛川は、後で紹介する十勝連峰北端のオプタテシケ山と大雪山南部のトムラウシ山を結ぶ稜線鞍部から流れ出る一級河川です。


 そもそも美瑛という地名は、アイヌ語のピイェ(脂きっている)が語源で、この川が十勝岳の硫黄を含んで乳白色に脂ぎっていたことに由来します。

 


 そして美瑛川の上流には、北海道の観光地として上位にランクされる「青い池」があります。


 この池は、美瑛川本流に、アルミニウムを含む支流の水が混ざって青くなるそうで、風のない青空が広がる日に見る幻想的な光景は、世界中からの観光客を魅了します。

 


 美瑛川を渡った列車は、上川盆地と富良野盆地の分水嶺となる丘へ上り始めました。


 そして車窓左手に、十勝連峰の山々が姿を見せ始めました。


 私が今回富良野線に乗るルートを選択したのは、この光景が見たかったからです。


 十勝連峰の北端に位置し、美瑛川の源流となるオプタテシケ山からトムラウシ山へと続く稜線は見えませんが、若かりし頃に私は、これらの山に幾度も足を運びました。


 層雲峡の黒岳から登り、忠別岳、トムラウシ山、コスマヌプリ鞍部、の3泊4日で大雪・十勝連峰縦走をこなしたことも、その逆ルートを歩いたこともありました。


 縦走を終えて下山しながら、今度は2泊3日でチャレンジしよう、と思ったことを懐かしく思い出します。


 そのオプタテシケ山ですが、アイヌ語の「鉾がそれた」を意味し、妻である雄阿寒岳が怒って鉾を投げつけ、途中で然別の山が伸びあがって鉾を阻止して難を逃れた、という伝説に因るそうです。

 

 アイヌ人も和人の妻も、お~恐ろし!

 

 

 今日は大気中に水蒸気が多く、スッキリした写真は撮れませんでした。


 しかし、今は霞んで見える峰々も、雪の季節に、朝日が昇り始めた瞬間、別世界に迷い込んだかと思う光景に変わります。


 稜線の奥で、御来光を浴びて聳えるのが富良野岳です。


 遠くに日高山脈が横たわります。

 

 
 夜明けとともに、神秘の世界が広がる瞬間の喜びを私は今も忘れません。


 そしてほぼ同じ場所で振り返えると、十勝岳が深い眠りから目を覚まし始めました。

 


 旭川で医薬品プロモーションの仕事をしながら、私はこの頃、休日のほぼ全てを山で過ごしました。


 5月の連休が過ぎて、雪が解け始めると、高山植物が花を咲かせます。


 尾根を彷徨い、湿原のぬかるみに足を取られながら、花を求め、山の景色をフィルムに収め続けていた日々を思い出します。

 

 

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美瑛駅 なかなかにおしゃれな工夫です

2023-10-22 00:52:17 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 西神楽を出た列車は数分で西聖和駅に停車しました。


 私は十勝連峰が見たくて、進行方向左側の席に座りましたが、西聖和駅は右側に1面のホームがあるだけなので、停車中に見える景色は旭川空港がある丘陵地の森だけです。

 

 

 次に停車した千代ヶ丘駅の名が北海道らしくないので、名の由来を調べました。


 明治の頃、この辺りに「上川離宮」を設置する計画があり、今の旭川空港を含む一帯を「御料地」と定めたそうです。しかし計画はうやむやになり、その後民間に払い下げられました。


 その時この付近を【千代に八千代に栄える】ことを願って千代ヶ岡と名付けたそうです。


 そういえば、富良野線の周囲の西御料とか西神楽とかの地名も、そんなことに関わるかもしれません。

 


 列車が千代ヶ丘駅を過ぎると、周囲に稲穂が広がりました。


 今はこのような光景に少しの違和感もありませんが、北海道で稲作が成功したのは1873(明治6)年で、それ以前は、北海道は寒すぎて稲作は不可能とされてきました。


 私が帯広で暮らし始めた1971年頃は「北海道の米は不味い」と評されましたが、2011年になり、品種「ななつぼし」が初めて食味ランキングで特Aを獲得しています。

 

 

 列車は次に、北美瑛駅に停まりました。


 私が旭川で働いていた頃、この駅の横の踏切を渡って、国道237号と並行する裏道を抜けて美瑛の町に入りました。


 その方が、早く目的地に着くことができたのです。


 仕事の効率を高め、夜はナイタースキー、休日は山登りに集中したいと考えました。

 


 そして列車は、ケンとメリーの木や

 


 マイルドセブンの丘などへと通じる

 


 丘陵地を下り、美瑛市街に入りました。


 美瑛という町が世に知られるようになったのは、1987年に風景写真家の前田真三が美瑛の丘陵地を撮影した、欧州風の美しい景色がテレビで紹介されて以降のことです。


 そして美瑛駅の駅舎は、1952年に美瑛軟石を使って新築された、駅舎としては珍しい石造りの建物です。

 


 列車が美瑛駅に10分停車する間に私はホームに降り、懐かしい町並みを眺めました。


 昔は木造住宅が並ぶ、ありふれた田舎街でしたが、今は建物の高さを制限し、屋根の勾配を揃え、統一感のある街並みとなっています。

 

 駅のホームを歩いて列車に戻る時、列車の乗降口の1899という数字に気付きました。


 ワンマンかーの運転手さんに「これって何ですか?」と聞くと、運転手さんが駅員に問い合わせてくれた答えは、「これは美瑛駅が設置された年です」とのことでした。

 

 

 気付かない人も居るかと思いますが、ん~ なかなかにおしゃれな工夫です。


 グッドジョブ(good job)です!

 

 

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失敗談でブログを面白く

2023-10-21 00:05:44 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 旭川の駅に近い河原のテントで目を覚ましました。


 近くの森で小鳥達の囀りが聞こえます。


 そして私はもう一度ブランケットを被り、二度寝の夢に戻りました。


 旭川から先は、5時41分の富良野行きに乗って富良野から根室を目指します。


 しかし今日は、旭川で安息日の予定です。


 2019年の青春18きっぷの旅で、無理目のスケジュールをこなし、喘息を発症したので、今回は体を休めることにしました。


 なにしろ、昨晩は青函フェリーで4時間程の睡眠しかとれていないのです。


 古稀を過ぎたら無理は禁物です。


 しかしその翌日、私は旭川駅の改札口で狼狽えました。


 富良野行き列車の発車時間が6時41分と表示されていたのです。


 改札口で駅員に確認すると5時41分発の富良野行きは休日運休だそうです。


 そうか!今日は日曜日なのか!

 

 この十数年間、毎日が日曜日だったので、曜日の感覚がマヒしています。

 

 ということで、今日も安息日です。


 という失敗談でブログを面白くして(負け惜しみです)、旭川で十二分に体を休めた私は、月曜日の富良野線の始発列車に乗り込みました。

 


 列車が列車が発車すると、旭川駅の南側に作られた公園とその奥に幌内山地の山々が見えました。


 私はこの景色を初めて見ます。

 

 と言うのも、私が旭川で暮らした40数年前に、函館本線や富良野線は地上を走っていたので、旭川駅から、西の方角に山は見えなかったのです。

 


 そして程なく、列車は神楽岡(かぐらおか)駅に停車しました。


 この駅の近くに、精神科医の田上先生がお住まいでした。


 先生は、私が山で高山植物の写真を撮ることを知り、それが切っ掛けで、山へ一緒に登って高山植物の写真を撮り歩いた日々を思い出します。


 何度かご自宅に招かれ、クラシックレコードを聴きながらワインを頂いたこともありました。

 

 
 その次が緑ヶ丘駅です。


 この駅は住民の請願によって、1996(平成8)年に開業しました。


 駅の周囲に住宅が立ち並んでいます。


 旭川の社会人山岳会で一緒だったTさんが、この辺にお住まいの筈ですが、ご健勝にお過ごしでしょうか。

 


 列車が次の西御料駅を出た頃から、周囲に田が広がりました。

 


 西瑞穂駅付近で、左手に旭川空港を載せる丘陵地が見えてきました。

 

 
 そして西神楽駅。


 私は、ほぼこの辺りまでが旭川市内のイメージを持ちます。

 


 ところで、あまりにも慣れ親しんできた旭川なので、何でアサヒカワなのを考えたことはありませんでした。


 そこでググってみると、


 「市内を流れる忠別川をアイヌが「チュクペツ」と呼ぶのを和人が聞いて、「チュプペツ(太陽川=日が昇る川)」と解釈して、1890(明治23)年に命名された」だそうです。

 

 

 

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命短し、旅せよおじさん

2023-10-20 00:19:36 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 銀山駅を15時42分に発車した列車は、10分後の15時52分に然別駅に到着しました。
 


 すると、反対側の倶知安方面のホームに一両の気動車が見えました。

 

 あ、これだと思いました。ETさんが銀山駅で待つ列車です。


 時刻表を確認すると、倶知安行き列車の発車時刻は、私が乗る列車が着いた1分後の15時53分でした。


 この駅での乗り換えは不可能です。


 なので現状では、青春18きっぷを使って、函館から一日で往復できる、函館本線で最も遠い駅は銀山駅ということになります。


 ちなみに、函館から銀山までの距離は213.4km、運賃は4510円です。


 そして、函館と旭川を結ぶ函館本線の距離は423.1kmですから、その半分は211.55kmです。


 つまり銀山駅の2km程手前が函館本線の中間地点となります。


 私は函館本線の普通列車を乗り通しましたが、ETさんはこの日、ほぼ同距離を普通列車で移動したことになります。


 しかしま~ 一銭にもならず、誰かに褒められる訳でもなく、お互いにおバカですよね~!


 ですが、ドイツの詩人ゲーテはこんなことを語っています。


 「旅は、到着するためでなく、楽しいから」


 
 そうですよ皆さん、人生を楽しんでますか?

 

 命短し、恋せよ乙女。


 命短し、旅せよおじさん、なのです。

 

 さて、列車が然別駅を出た頃から周囲の景色が変わりました。

 

 

 沿線にブドウ畑が広がり、空と大地を隔てる稜線が穏やかな曲線を描きます。


 そして列車は仁木駅に停まりました。


 仁木の名は、1879(明治12)年に徳島県から仁木竹吉らが集団入植したことに因ります。


 仁木町では早くからリンゴ栽培が始まり、今はサクランボやブドウの栽培も盛んです。
 

 

 そして列車は5分後に余市駅に停車しました。


 余市は2年前に北限のツバキを訪ねて以来です。


 この辺りでリンゴが育つ気象条件が、ツバキの生育と合致するのかもしれません。

 

 
 その後、列車は蘭越、塩屋を経て小樽駅に終着しました。

 

 小樽も数え切れぬ程の想い出があります。


 私は車で北海道を訪ねる場合、東京から新潟に走り、そこから小樽行きのフェリーを愛用しました

 

 フェリーの運航時間や、大洗からよりもフェリー料金が安いことなどが主な理由です。

 


 私は小樽で千歳空港行きの快速電車に乗り換え、札幌駅に17時過ぎに到着しました。

 


 札幌から旭川へ向かう普通列車は19時36分発です。


 2時間以上の待ち時間がありますが、私は電機屋でカメラのメモリーを買い足し、ゆったりと食事を摂って寛ぎの時を過ごしました。

 

 そして私は、長い旅の一日を終え、22時34分に旭川駅に降り立ちました。

 

 

 

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青春18きっぷの魔力

2023-10-19 00:13:23 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 

 

 皆さん、トニーザイラーの「白銀は招くよ」という映画をご存知ですか?


 あるいは「白い恋人たち」という映画をご存知でしょうか?


 「白い恋人たち」は1968年にフランスのグルノーブルで開催された第10回冬季オリンピック競技とグルノーブルの風景を記録した映画で、その主題歌が「白い恋人たち」です。


 私は、1975年から北海道の旭川で社会人生活を始めましたが、土日は山に登り、平日の夜は市民スキー場の「白い恋人たち」のメロディーが流れるゲレンデでナイタースキーに熱中しました。


 富良野やニセコなどへも数多足を運びました。


 そんなことを思い出す景色を眺めていると、列車は比羅夫駅に到着しました。


 比羅夫の名は、飛鳥時代に安倍比羅夫という将軍が当地に政所を置いたことに由来するそうです。


 2019年の青春18きっぷの旅でも紹介しましたが、この駅舎は宿泊できます。


 4年前より宿泊料が上がり、二人で泊まると6000円/人程度のようです。

(2023年10月10日現在)


 
 比羅夫駅を出た列車から振り返ると、晴れた日には、以下のような羊蹄山の姿が見えます。

 

 しかし残念ながら、この日、羊蹄山は姿を見せてくれませんでした。

 


 そして列車は倶知安駅に終着し、私達は小樽行きの列車に乗り換えました。

 


 朝からご一緒したETさんは、この駅で小樽行きの列車に乗り換えて銀山駅まで行き、銀山駅で倶知安へ戻る列車に乗って、再び長万部へ戻り、そこで函館行きの列車で同じ鉄路を帰るそうです。


 もし銀山駅で倶知安行きに乗れなければ、長万部辺りの何処かで宿を探すことになります。

 

 次の仕事に影響を与えるかもしれません。


 でもしかし、銀山駅でミスったら、函館か青森から新幹線を使えば十分に対応はきます。


 ETさんはスマホで、列車の時刻表を入念に確認していました。


 私ならば、倶知安で長万部行きを待つ安全策を選んだと思いますが、ETさんの気持ちも良く分かります。


 可能な限り遠くまで行きたくなるのが、青春18きっぷの魔力なのです。

 

 

 小樽行きの列車が倶知安駅を発車しても、私は何だか落ち着きません。


 私には、これから先の状況が全く読めません。


 スマホや時刻表持たぬ私には、ETさんの判断を確認する術がないのです。


 倶知安駅を発車すると列車は倶知安峠を越え、11分後に小沢という駅に停車しました。

 


 そして次が銀山駅らしいのです。


 列車が銀山駅に近づくと、ETさんはポケットからコンビニのレシートを取り出し、氏名とメールアドレスを書いて私に手渡しました。


 私も慌ててポケットを探って、レシートらしき紙の裏に名前とメールアドレスを書いてETさんにお渡ししました。


 そして私達は握手を交わし、ETさんは足早に銀山駅のホームへ去ってゆきました。

 

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ニセコアンヌプリの斜面が好き

2023-10-18 00:03:51 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 

 

 前回の旅で、長万部から二つ目の黒松内の「北限のブナ林」を紹介しましたが、あの時から、この地名はきっとマツに関わるに違いないと考えました。


 今回の旅のテーマの一つが「松生育の北限地探し」ですから、「黒松内」の名の由来をググってみると、


 「町名は、アイヌ語の「クル・マツ・ナイ(和人の女の居る沢)」で、昔、出稼ぎの漁夫を慕ってきた妻たちが、この地でシケに遭い、そのまま滞留したと伝わる」 でした、ん~ 残念。


 そして、黒松内町のホームページに「町は日本海と太平洋の双方からの影響を受け、春から夏は、噴火湾で発生する濃霧が流れ込んで低音となり、冬は日本海からの北風が大量の雪をもたらす多雪地帯」と記されていました。


 アカマツやクロマツの生育には適さないかもしれません。

 


 黒松内の次に熱郛(ねつぷ)駅に停車しました。


 熱郛という地名はアイヌ語の「クンネ・ネッ・ペッ(黒い標木[目印となる木]の川)が詰まった言葉に由来するそうです。


 ところで、この旅の主旨は植物観察ですから、車窓に時々ヌルデらしき花を見かけますが、走り進む列車から撮影するのは無理です。

 

 

 熱郛駅を過ぎた列車は、急こう配を上り始めました。


 目名峠を越えて蘭越町に入り、列車は15.4kmを7分かけて目名(めな)駅に停車しました。


 メナの意味ははっきりしませんが、目名川と呼ばれる小川が道南に多く存在し、それらはどれも、支流・細流・溜水の類だそうです。

 


 目名峠で分水嶺を越えた列車は軽やかに走り続けて蘭越駅に停車しました。


 蘭越という地名は「ラウン・ウシ(桂の木の多い所)」が由来ですが、カツラは豊かな清流の畔に育つ印象があります。

 

 そして、ニセコ連峰の裾を廻る尻別川は清流日本一に認定されたことがあります。


 森の中には、大きな葉を茂らせたホウノキを見かけますが、普通列車程のスピードでも、気づいた瞬間にシャッターを押すことはできません。

 

 

 列車は蘭越駅を過ぎて東へ向かい、左手に尻別川を見ながら上流へ進みます。

 

 2018年の旅では、下の写真のように、この辺りから羊蹄山が見えてきました。
 
 

 

 そして程なく昆布駅に到着しました

 

 周囲が山ばかりの駅に「昆布」の名を見ると、誰もが何故なの?と思います。

 

 アイヌ語の「トコンヌプリ(ちいさなコブ山)」が由来と説明されますが、詳細は不明だそうです。

 


 列車は蛇行する尻別川の岸辺に沿って進み、時に鉄橋を越えてニセコ駅に至りました。

 


 この日のニセコアンヌプリは雲に覆われて姿を見せませんが、晴れていれば以下のような山容を見ることができます。

 

 

 私はニセコアンヌプリの斜面が好きで、昔々の頃、頂上直下の斜面で雪まみれになって遊んだことを思い出します。
 

 

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函館本線の運行状況が興味深い

2023-10-17 00:30:39 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 私はETさんと一緒に長万部駅の跨線橋を渡って4番線ホームで列車を待ちます。


 目の前の待避線に一両の気動車が停まっていました。


 この車両が我々を倶知安まで連れて行ってくれるようです。

 


 目の前に倶知安行きが待機していますが、今日現在、函館本線の長万部と蘭越の間は普通列車がたった4本運行されるのみです。

 

 蘭越から先は列車の本数が増えますが、長万部から先の函館本線はローカル線並みです。

 

 

 

 ところで、最初の写真の気動車を囲む景色が非常にスッキリしています。


 架線がありまあせん。


 今更ですが、函館本線は新函館北斗と小樽の間が電化されていないのです。


 しかも、長万部・小樽間は全て単線です。


 普通列車が一日4本なら無理もない話です。


 そんな函館本線の運行状況を確認する為にJRの時刻標を調べて、面白いことに気付きました。

 

 下が函館本線の時刻標ですが、何か違和感を覚えませんか?

 


 私は、函館本線の上下線の運行本数が非対称であることに気付きました。


 長万部から蘭越方面へ1日4本の列車が走り、蘭越から長万部へ1日5本の列車が走ります。


 こんなことを続けていたら、長万部に車両と運転手さんが積み上がってしまうのではと心配します。

 

 そのイメージを絵にすれば、こんな状況です。

 


 勿論、こんなことにならない対策が施されている筈ですが、長万部と蘭越間の列車運用本数が非対称なのは、どんな理由があるのでしょうか。

 

 どなたかご存知の方はいらっしゃいますか?


 それにつけても、興味深い話しです。

 

 私はETさんと、列車に揺られながら長万部での経験を語り合いました。


 とは言っても、ETさんは50歳、私は72歳で、壮年と高齢男性二人の会話は姦しくはなりませんが、ETさんは長万部でカニ飯を食べてきたそうです。


 そういえば、長万部はカニ飯弁当が名物でしたよね。


 そして、前回の旅で出会った「まんべくん」を思い出しました。

 私は歳とるとともに、お腹が空かなくなったので、お昼は菓子パン一個で済ませました。


 長万部駅を出た列車は緑に包まれた線路を北へ向かいます。

 


 そして写万部山らしき山が見えてきました。


 この辺りが二股駅の筈ですが、駅のホームは私達が座った席の反対側なので、写真はありません。


 二股という地名は、この辺りで二股川と知来川が合流することに由来します。


 二股川の上流には、全国の秘湯ファンが一度は訪ねたいと願う「二股らぢうむ温泉」があります。


 私もかなり前から意識していますが、二年前の夏も、この辺りに来る時は何時も、何処かを目指して走り抜けるばかりで、ゆったり湯に浸かって、という気分になりません。 

 

 

 非常に勿体ない話です。

 

 

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