正月気分も抜けた2月如月の頃、私は偶然手にした神戸つばき愛好会の機関紙に目を疑いました。
その冊子には、富山県氷見市の丸山さんが寄稿した、氷見市内の百を超える椿古木が紹介されていたのです。
実は私は、10数年前に「芦川のホームページ」を立ち上げ、その中で全国の椿や花の名所をリストアップし、暇を見てはそれらの地を訪ね歩いていました。
リストには氷見老谷の大椿と長坂の大椿(近年枯死)があり、私もホームページ設立後の早い時期に氷見を訪ねていたのですが、まさか氷見市内にこれほど沢山の椿古木が眠っているとは予想だにしていませんでした。
え~ そうなんだ!
手元まで手繰り寄せた鯛を、寸前のところで取り逃がした、そんな残念さに染まる我が身を感じていました。
このままでは精神衛生上良くない。
そう思い始めると、もうじっとしてはいられません。
思いつく限りの手立てを尽くし、著者の丸山さんとの連絡方法を探索しました。
何とか電話番号を知ることができたので、憚りもなく直接電話を掛けて、丸山さんの記事に触発され、氷見の椿の古木を巡りたい想いをご本人に伝えました。
そして、氷見の椿古木の詳細なデータ提供のお願いをしたのです。
丸山さんは、氷見市内で著名な会社の常務さんを務め、多忙な日々を過ごしておられますが、一週間も経たぬ間に椿の詳細住所を調べ、一度も会ったこともない、見ず知らずの私宛に膨大な資料を送って下さったのです。
そして4月2日の夜、氷見に椿の花が咲き始めたことを確認し、私は夜の闇に包まれた関越道を、氷見へ向かって車をはしらせました。
夜の間の中、目的地に向って車を走らせるのは私の旅のセオリーです。
夜半までに目的地に近づけば、朝からフルに活動することができます。
夜明後に1~2時間走れば目的地に着く場所に車を停め、車内で朝を迎える予定です。
時間の経過を見ながら、長野ICで高速道路を下り、一般道を糸魚川へ向かいました。
23時を過ぎたころ、車は糸魚川市街を抜け、市振の街に差し掛かりました。
車窓の右手に、漆黒の日本海へロゼワインを注いだように染め照らす、上弦の月が浮かんでいました。
市振の街は、新潟と富山の県境に位置する、新潟県最南端の街です。
松尾芭蕉が元禄二(1689)年に奥の細道の旅で一夜の宿をとり、
の名句を詠んだ地でもあります。
帰路に再び市振に寄り、長円寺境内にある芭蕉句碑を確認しました。
良寛もこの地に一宿し、
「市振や 芭蕉も寝たり おぼろ月」
と詠んだそうです。
では、臆面もなく私も一句
市振や 漆黒の海 ロゼの月
※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。